第6話 鮫トレ
迅速に対応しなければいけない時に限って腰が重いくせに、時が来ていないことに関しては行動が早い。
日本という国はいつだってそうだ。政治批判をするつもりは毛頭ないが、見通しの甘さに辟易する。
選挙というのは、実は出来レースなのだろうか? 日本を衰退させようと目論んでいる工作員が、裏にいるのか?
普段、糸井はそんな気持ちを心の奥底に封印している。不平不満を口にする度に、むなしくなるというのもあるが、何よりも面倒なのだ。
右翼だの左翼だの、つまらぬ勢力の、つまらぬ言い争いに巻き込まれるだけで、良い事は一つもない。
決して解かれることのない封印だと思っていたが、思わぬタイミング、つまらぬ理由であっさりと解かれる。
「なんでだよ……」
新五百円玉が自販機の返却口に落ちる音が、むなしく、こだまする。
無駄な行為だと知りつつも、壊れたロボットのように、返却された硬貨を投入し続ける。
投入するスピードを変えようが、裏表を変えようが、結果は変わらない。結果を変えたければ、硬貨を変えるしかないのだろう。古いアーケードゲームならば、硬貨を勢い良く投入することで上手くいったりするが、自販機はそうもいかない。
「将棋とかチェス下手だろ、絶対」
無意味な行為とまでは言わない。貨幣の偽造を防止するためには、新たに作り替える必要がある。それは理解できる。
だが、タイミングに関しては、一生をかけても理解できないだろう。なぜよりにもよって、このタイミングなのか。
考えうる限り、最悪のタイミングと言える。日本語として違和感のある表現になるが、遅すぎるし早すぎる。
「わかりきってたことだろ。俺みたいな被害者が出ることなんて」
硬貨を作り替えれば、従来の硬貨選別機に弾かれる。その新貨幣が存在しない時に作られたのだから、当然のことだ。
対策としては、硬貨選別機を最新の物にする他ない。だが半導体不足の今、それを行うのは現実的ではない。
新貨幣は偽造によって、硬貨の信用度が下がるのを防ぐために作られる。だが、現実はどうだろうか。使えなければ、信用度が逆に下がる。これでは、本末転倒ではないだろうか?
「新硬貨は効果がない……」
昭和でも通用しないであろう低俗なシャレを言いつつ、財布の中身を改める。何度見返しても、紙幣は一万円札数枚と五千円札一枚。硬貨は新五百円玉が一枚と十円玉以下の小銭が数枚。
この中で使用できるのは十円玉のみだが、全て合わせたところで、一番安い水さえ購入できない。
少しばかり不謹慎な話だが、災害に対応した自販機なので、災害が発生すれば、無料でジュースが手に入る。その場合、占いどころではなくなる気もするが。
なけなしのプライドを投げ捨て自販機の下を覗くが、一円玉さえ見つからない。強いて言うなら、埃とクモの巣が見える。
「電子マネーならあるんだけどなぁ」
言うまでもないことだが、辺鄙な場所の寂れた公園に置いてある自販機が、電子決済に対応しているはずがない。災害時に対応しているだけでも奇跡だろう。なんだったら、自販機があるだけでも奇跡だ。
「わざわざコンビニに行けと?」
お察しの通り、徒歩数分圏内にコンビニは存在しない。公共施設でもなければ、慈善事業でもないので、当然のことだ。人気の無い場所にコンビニを設けたところで、儲からないのだから。
「報告したくねぇ……」
コンビニまでは最低でも徒歩十五分以上かかる。一声かけてから行かねば、心証を悪くするだろう。
自分に一切の非が無くとも、相手がまともでなければ怒りを買う。
この最低な法則をこれまでの人生で、嫌というほど経験している。
「占いって……未来を見るって……本来こういうことだよな」
絶対に怒られる。理不尽な嫌味を言われる。そんな最悪の未来を予知しつつ、重い足取りで報告に向かう。
席を離れてわずか数分、席には些細な変化が見受けられた。
「両替してあげる」
机の上に置かれた百円玉を指差す占い師。
瞬間記憶能力を持っているわけではないが、席を立つ前に百円玉が無かったことは間違いない。
糸井から話を聞いたわけでもなければ、手ぶらの糸井を見て、財布から取り出したわけでもない。あらかじめ机の上に出していたのだ。
きまぐれで片づけるのは、さすがに無理がある。小銭が無くて何も買えないという、情けない事件を予知していたとしか思えない。
「あの、知ってたんですか? 俺が新五百円玉しか持っていないことを」
無言で小さく頷く占い師。
やはり、この占い師は本物なのだろうか。
糸井が自販機前で立ち往生している様子は、占い師の位置から絶対に見えない。財布の中身を見せたこともない。
占い師、もしくは水晶玉に、なんらかの能力があるのは確定と見ていい。それを否定するのであれば、カラクリを証明しなければならない。
盗聴器や監視カメラで様子を伺っていた? 自販機周辺に諜報員がいた? 歩行時に出る、わずかな小銭の音を聞き取った?
考えれば考える程、非現実的な説が湧き上がる。最後の説に至っては、それはそれで特殊能力だろう。
占い師の能力が本物だと確信し、興奮と共に「わかっていたなら最初から両替しろ」という憤りが押し寄せる。訪問前の事前確認が無ければ、間違いなくツッコミを入れていただろう。
心証稼ぎ中に、憤りや不満をぶつけるわけにもいかない。代わりに、今しがた浮上した疑問をぶつける。
「あの、一枚しかないように見えるのですが」
机に置かれた百円玉はどう見ても一枚だけ。百枚と九十九枚ならば、見間違えもありうるだろう。だが、一枚と五枚を見間違えることはありえない。
五千円札との両替ならば五十枚。五百円玉との両替ならば五枚必要となる。
新硬貨と旧硬貨ならまだしも、額の違う貨幣で一枚同士の交換は成立しない。
手数料というには、あまりにも差額が大きい。悪貨が良貨に劣るのは自明の理だが、それにしたって納得できない。
これは俗に言う、シャークトレードというヤツではないだろうか。糸井はふと、小学生時代を思い出す。
(上級生にレアカードと雑魚カード、騙されて交換したなぁ……)
どこの地域でもある、上級生による不平等な交換。それは、物を知らぬ子供同士だからこそ成り立つのであって、いい大人がいい大人に持ちかけるような提案ではない。持ちかけた時点で悪い大人だ。
サービスの提供者という立場を利用して、シャークトレードを強要するなど、人として恥ずかしくないのだろうか。
それとも、うっかりだろうか? はたまた、算数が苦手なのだろうか? 悪気はないのだろうか?
「文句があるならコンビニまで行けばいい」
残念ながら、どちらでもないらしい。悪気はなさそうではあるが。
往復三十分の労力か四百円の手数料、選択を委ねられる。糸井にとっては理不尽な選択だが、前者は占い師にとっても不利益ではないだろうか?
(喉乾いてんだろ? 三十分待つ気か?)
前者を選択した場合、誰も幸せにならない。強いて言うならば、コンビニのオーナーが幸せになる。
そんな糸井の心の声を読んだのか、占い師は最悪の条件を持ちかける。
「ただし、三分以内に戻ってこないと、追加の占いはしない」
徒歩十五分かかるコンビニへのおつかいを、三分でこなせという無茶振り。
しかも、買い物をする時間を含めて三分。
世界広しと言えど、このミッションを達成できる人間は存在しないだろう。少なくとも糸井は、達成できない側の人間だ。
その辺のバイクや車を盗んだとしても、到底間に合わない。
要するに、コンビニまで行く選択肢を与える気は、ハナからないということだ。
人間をやめるか、それとも四百円の両替手数料を支払うか。一択しかない理不尽な選択肢だが、それ以上に気になる点がある。
「追加の占いと言いますと?」
追加とは、一体どういうことだろうか。追加の意味自体は糸井も理解している。だからこそ、妙に引っかかる。
昨日の占いに対してだろうか。
それとも、既に占い自体は済んでいて、条件を飲めば追加で占ってくれるという意味だろうか。
「あと、二分四十秒」
残念なことに、目の前にいる女性はジョブチェンジしたらしい。占い師から、ストップウォッチに。
糸井の質問に答える気は、毛頭ないらしい。次の質問をしたところで、返ってくるのは更に縮まった残り時間だろう。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「二分三十五秒」
予想通り、命乞いに対して残り時間が返ってきた。話が通じない相手、話を聞かない相手というのは、キレ者よりもよっぽど厄介だ。
糸井が、いくら頭をフル回転させたところで、時間が切れるまで、同じ処理が繰り返されるだろう。
「わかりました、交換してください」
これ以上、食い下がったところで、イタズラに心証を悪くするだけ損だと悟り、観念する糸井。賢明な判断だろう。
そもそも、彼女の占いは無料だ。四百円の手数料ぐらい安いものだろう。やり口がやり口なだけに、納得はいかないが。
(待てよ? 考えようによっては、めちゃくちゃラッキーだったのか?)
いかに使い勝手の悪い産廃とはいえ、新五百円玉があったのは、不幸中の幸いだったと言える。
もしも、新五百円玉を持っていなかった場合、どうなっていただろうか? 五千円札と交換させられていたのではないだろうか?
いや、疑問の余地はないだろう。この占い師は、人の心を持ち合わせていない。五千円札はおろか、一万円札でも躊躇しないだろう。
新五百円玉を持っていなければ、手数料が、十二・二五倍になっていた。それを思えば糸井は、幸運の持ち主かもしれない。
損していることに変わりないのだが、安堵する糸井。おそらく、この時点で術中にハマっているのだろう。
「はい、たしかに百円玉を渡したよ」
(たしかに? 今、たしかに、と言ったのか?)
あたかも、公平なトレードを行ったかのような態度の占い師。何故、堂々とシャークトレードをできるのだろうか。
この女は普通の占い師としても、やっていけるのではないだろうか。詐欺に一切の躊躇がないのだから。
思うところはあるが、心の奥底に封印する。このまま占い師と関わり続ければ、封印された思いが飽和するのではないだろうか。
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