第5話 能力の正体

 女性用トイレに軟禁されて会社を当日欠勤したなんて、家族や親友相手でも話せないだろう。最低でも十年以上は経たないと話せない。

 できることなら墓まで持っていきたい。こんなくだらない物で墓の容量を浪費するのも馬鹿馬鹿しいが、笑い話にするには少々ヘビーすぎる。

 この話を唯一知っている占い師が平気で煽ってくることに苛立ちつつも、糸井は怒りを内々に処理する。


「占い師さんは有給がなくて大変ですね」


 心にもない労いの言葉だ。

 フリーランスはフリーランスで大変なのだが、サラリーマンである糸井からしてみれば羨ましい限りだ。

 有給がなくとも、出勤日が指定されていない時点で恵まれている。このアドバンテージが有給ごときで埋まるはずがない。少なくとも糸井はそう考えている。


「……」

(しまった……皮肉と捉えられたか?)


 処理し損ねた怒りが無意識に出てしまったかもしれない。労われるべきなのは自分だという、手前勝手な考えが言葉に乗ってしまったかもしれない。

 機嫌を損ねないという目標を早々に失敗してしまったのではないか。そんな不安を覚えながら、占い師の顔色を伺う。


(怒って……ないのか? くそ、ポーカーフェイスでわかんねぇ)


 張り付いたように一切変わらぬ無表情に、糸井の不安は強まる。

 実際のところは、この占い師は人の気持ちに鈍感ゆえに、糸井の言葉を気にも留めていないのだが、糸井がそのことを知る由はない。


「に、日本も遅れてますよね。フリーランスの人にも有給みたいな感じで、手当が出てもいいと思うんですよね」


 無表情と無言のダブルパンチに耐えきれず、ペラペラと余計なことを喋る糸井。

 本人なりに頑張ってはいるのだろうが、空回り感が否めない。当然だ、フォローなんて初めから必要ないのだから。


「いや、本当に、我々サラリーマンなんて指示待ち人間の集いで……」

「うるさい」

「は、はい」


 糸井の話が延々に続くと判断されたのか、冷たい声で強制的に打ち切られる。


「世間話がしたいなら、よそに行って」


 心底面倒くさそうに呟く。

 

(やばいな、逆に心証を悪くしたか? いや、前向きに考えろ)


 墓穴を掘ったことを後悔しつつも、新たな知見を得ようとする。


(情報集めだから会話は必要なんだが、必要以上の引き延ばしは機嫌を損ねる。よし、学び得た)


 転んでもタダでは起きないというのは、良い生き方だ。

 大成とまではいかずとも、それなりに社会で上手くやっていけただろう。占い師にさえ出会わなければ。


「無駄話がしたいなら、しかるべきところに行くこと。わかった?」


 しかるべきところとは、どこを指すのだろうか。キャバクラだろうか。

 この人は今まで、どうやって生きてきたのか。親が放任主義なのか。誰かに怒鳴られたことや、殴られたことはないのだろうか。

 言いたいこと、聞きたいことが次から次へと湧いてくるが、機嫌を損ねないために黙って首を縦に振る。


「えっと……占いをお願いしてもよろしいでしょうか?」


 出来ることなら占いの前に話せるだけ話したい。一度の訪問で、少しでも多くの情報を持ち帰らねばならないのだから。

 別に時間の節約を図っているわけではない。なるべくリスクを減らしたいのだ。

 通えば通うほど、占いというリスクが付きまとう。ならば、悪い目を引く前に情報収集を済ませたいというのが人のサガというもの。

 だが、下手に会話を引き延ばせば出禁を受ける恐れがある。塩梅が難しいとでも言うべきだろうか。


「酷い目に遭ったのに懲りないんだね」


 この発言だけを見れば、こちらを慮っているように見えるだろう。だが実際は、糸井を嘲笑しているだけだ。

 キャンセルは許さんと言わんばかりに、占いを始めているのが何よりの証拠だろう。本当に相手のことを思うなら、念押しするはずだ。


(占い方は昨日と同じか。水晶玉は必須なのだろうか?)


 嘲笑を無視して、占い師を観察する。

 占いの方法は昨日と同じく、無言で水晶玉に片手を置く。ただそれだけ。

 当初は単なるポーズだと決めつけていたので、違和感があった。客へのアピールにしては、動きがなさすぎると。だが、占いが本物だと仮定すれば逆に自然だ。

 本当に必要なことだけをしているから、動きも最小限になっていると考えることができる。占い師の能力が本物だという根拠が、今朝の一件しかない糸井にとっては大きな情報だ。


(で、どういう原理なんだ? これは)


 水晶玉に触れているということは、水晶玉になんらかの力を送っているのか、それとも水晶玉から何かを受け取っているのか。

 水晶玉に変化が見られないのは、マジックミラーのようになっているからなのか、それとも特別な能力がないとダメなのか。

 そもそも結果は、どういう風に出るのだろうか。お告げのように文字として現れるのか、映像が浮かび上がるのか。

 考えれば考える程、疑問が増えていくが考察というのはこういうものだ。徒労に思える考察によって、見えてくるものがきっとある。


(待てよ? そもそも……これって、この女の能力なのか?)


 占い師の口から出る占い結果、それは恐らく本物だろう。だが、それを占い師の能力だと決めつけるのは、些か早計ではないだろうか。

 原始人の前でライターを使えば、特殊能力だと思われるかもしれない。

 実際は、ライター自体が有している機能、性能に過ぎない。だが、自分達の常識、文明から大きくかけ離れた物を目にすれば、勘違いをしてもおかしくない。

 戦国時代の人間相手なら、さすがにライターの機能だと察するだろう。実際、ライターが作られたのは、戦国時代から二百年足らず。既に火縄銃が存在したことから、想定内の発展と言える。

 だが、テレビを見せた場合は、どうなるだろうか? 妖術を用いて、箱の中に人を閉じ込めたと、解釈されるのではないだろうか?

 パソコンのように、彼らが扱えない物であれば尚更だろう。

 技術が時代と共に発展することぐらい、彼らとて理解しているはずだが、物事には段階というものがある。それをすっ飛ばした物というのは、妖術の類として扱われるかもしれない。

 それと同じようなことではないだろうか?


(技術や文明を超えた超常現象に違いはない。だが……)


 だが、これは本当に占い師が起こしている事象なのか?

 水晶玉本体に特殊な能力があって、結果を報告しているだけ。つまり、占い師が一般人という仮説が立てられないだろうか?


(俺の仮説が当たっていれば、俺でも占いができる可能性が生まれてくる……)


 仮説通りだとすれば、次に重要なのは使用方法だ。

 ただ触るだけでいいのだろうか? 呪文を唱えている様子はないが、心の中で何か唱えているのだろうか?


(触ることができたら早いんだが……触らせてくれなんて言えるわけがない)


 占い師は手の平を押し当てているが、指先だけじゃダメなのだろうか? それぐらいならば、目を盗んで実行できるやもしれぬ。


(まず、どこまで見えてんだ? 水晶玉を見つめているのはわかるんだが)


 さりげなく右手を机の上に置くが、占い師の挙動に変化はない。視野的には見えているはずだが、気にも留めていないのか、それとも集中のしすぎで見えないのか。

 ほんの数センチばかり水晶玉に右手を近づけるが、それでも無反応。


(水晶玉に秘密があるなら、触られないように警戒するよな?)


 左手でジャケットの内ポケットをまさぐるが反応なし。乳首を弄っていると勘違いされかねないくらい露骨に左手を動かすが、一切の反応を示さない。影絵を作る時みたいに、両手で怪しい手遊びをするも反応なし。

 こちらの動きに一切の興味、反応を示さない。不自然なくらいの無反応。


(占い中は隙だらけ……という知見を得たってことにしておこう)


 ここまで無警戒だと、触っても意味がない可能性が高い。触る機会が訪れた時に触るぐらいで丁度いいだろう。リスクを冒す必要はない。

 そう判断して、机の上の手を引っ込めようとした刹那。


「ねえ」


 不意打ちのごとく声をかけられ、体が反射的にこわばる。


(まずい、調子に乗りすぎたか?)


 怪しい動きをしたことにより、心証を悪くしたかもしれない。ここで下手な対応をすれば、出禁になる可能性がある。

 どう言い繕えば、納得させることができるのか。内心焦りつつも、平静を装い、必死に言い訳を考える。


(いっそ誤解してくれねえか? 乳首を弄っていたと)


 それはそれで、出禁をくらうような気がしてならない。焦るあまり、完全に思考回路がショートしている。

 何故、無策で動いてしまったのか。追及された時の誤魔化し方を、事前に用意していなかったことを心の底から後悔する。


「ん? なんでしょうか?」


 意に反して緊張で声が震え、情けない気持ちになる糸井。

 奇妙な言い回しだが、真面目に生きてきたツケというヤツだろう。

 犯罪行為はおろか、夕飯のつまみ食いさえしたことがない。そんな生真面目な男が『すっとぼけ』という、処世術を身に着けているわけがない。

 有罪を言い渡されるのが確定した被告人の面持ちで、裁判官こと占い師の発言に身構える。別にそこまで悪いことはしていないので、堂々としていればいいのだが、こればかりはどうしようもない。

 そんな、不自然なまでに緊張している糸井を意に介さず、占い師は普段と変わらぬトーンで言い放つ。


「喉、乾いたんだけど」

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