第4話 煽りのプロ
占い師のもとに向かう道すがら、本来の目的以外のことを思案する。
「俺にはクレームを入れる権利があるのでは?」
クレーム自体が褒められたものではないが、無料のサービスであれば尚更だ。
役場や警察のように、税金が絡んでいれば話は別かもしれない。だが、相手は自営業者だ。
無料のオプションが前提の有料サービスならばまだしも、完全に無料とあっては多少の不具合があったところで、泣き寝入りするのが基本だ。
だが、今回のケースは悪質と言えるのではないだろうか?
確かに糸井の態度はよろしくなかった。冷やかし目的だったことは明白で、煽るような言動がなかったと言えば嘘になる。
「そもそも向こうも接客態度最悪だったし……」
無料の占いで接客態度にケチをつけるのもなんだが、こちらの態度の悪さと相殺してもいいのではないだろうか。
そう考えれば、一方的に悪質な対応をされたと言っても過言ではない。
少々、暴論が過ぎるかもしれないが、糸井が受けた屈辱を考えれば、多少の暴論は通してもいいだろう。
「でも、クレームって入れたことないんだよな」
冷やかし目的で休日を浪費した人間が言っても説得力はないが、糸井は基本的に無駄な争いを好まない。
ゆえに、人生で初のクレーム、ファーストクレームとなる。
『女性用トイレだなんて聞いてないぞ! 騙したな!』
『言ってないだけ。騙してない』
念のためにイメージトレーニングをするも、一瞬で論破される。
『なんで言ってくれなかったんだ! 悪質だぞ!』
『聞かれなかったから』
切り口を変えてみるも、あえなく討ち死にを遂げた。
勝てる未来が見えないので、糸井はクレームを断念する。
そもそもの話だが、糸井はクレームというものを取り違えている。クレームとは正当な主張ではなく、ゴネることを指すのだ。
律義に筋を通そうとしている時点で、クレーマーの才能がないと言える。
「第一、あの女が客に屈するかね」
クレームはパワハラと同様に、相手が立場上の問題で反論できないという前提条件ありきのものだ。この条件を満たしていない時点で、詰んでいるのだ。
それ以前に通したい要求がない。クレームを入れるだけ損だろう。
無駄に思えたイメージトレーニングだったが、勇み足を踏まずにすんだことを考えれば、効果があったと言える。
「危うくチャンスを棒に振るところだったな」
ノーリターンはノータリン。
たった今、糸井が五秒で考えた格言だが、真理を突いている。一時の感情に身を委ねてチャンスを失うのはノータリン以外の何物でもない。
幸か不幸か、例の占い師が昨日と同じところで営業していた。
前者になるか、後者になるか。それは糸井の態度次第かもしれない。
相変わらず地味な服装だが、それを指摘すれば後者になる恐れがある。余計な口を慎んで、ゆっくりと占い師に近づく。
(落ち着け、今日は情報収集にきただけだ。ここでしくじれば、俺の人生はつまらないままだぞ)
自らを鼓舞する糸井だが、第三者視点で見れば、つまらない人生を送れれば御の字だろう。占いが本物だった場合、死ぬという結果が出れば本当に死ぬという言葉が本当だった場合、つまらない人生すら送れないのだから。
(絶対に機嫌を損ねない。できる限り会話を引き延ばして情報を得る。よし!)
ミッションの最終確認を終え、占い師の前に立つ。
糸井の存在に気付いていないのか、それとも興味が無いのか。占い師は客の前であるにも関わらず、スマホを弄っている。
話しかけていいのかどうか悩ましいところだが、意を決して声をかける。
「昨日ぶりですね」
小心者ゆえに、若干声が上ずっている。
糸井の声に反応したのか、占い師は興味なさげに糸井を一瞥する。そして、何事もなかったかのように、再びスマホに視線を落とす。
待てど暮らせど返事はなく、視線をスマホから外す気配がまるでない。接客態度以前に、人に対する接し方としていかがなものだろうか。
客として認識されてないなら、まだマシな方かもしれない。この態度は人間とすら認識していないまである。
(休憩中なのか?)
例の質素な看板に目をやると、そこには昨日と同じ三文字が書かれていた。
この三文字を表にしている時点で、返事する義務があるはずだが、一向に果たす気配がない。
「座ってもよろしいでしょうか?」
頭を掴んで返事を促すわけにもいかず、話を無理矢理進めにかかった。
占い師はスマホから目を離さず、無言で小さく頷く。偶然、顔を動かしただけの可能性もあるが、肯定の意だと捉えて着席する。
相変わらず返事も視線もくれない。ここまでくると、喋れない呪いでもかかっているのではないかと邪推してしまう。
一方的に話しているみたいで妙な気まずさがあるが、それでも話を続けなければいけない。無言でスマホを弄る女性を、無言で見つめるのはもっと気まずいからだ。
「昨日の占いですが、見事に的中しましたよ」
なぜ詳細を教えてくれなかったのか。なぜ一番肝心な部分を隠していたのか。
許されるのであれば、胸倉を掴んで問いただしたい。
そんな切実な思いを押し殺す。
「そのせいでお仕事を休んだの? 社会人のくせに当日欠勤したの?」
(やっと口を開いたと思ったら、それかよ!)
小心者の糸井だが、この時ばかりは殺戮衝動が湧いた。
暴力沙汰というのは、この衝動に身を委ねた結果、発生するのだろう。
糸井は眉をピクピクさせながらも、作り笑いで平静を装う。
「そうですね……当日欠勤ですね……」
彼女に煽る意思はないと思われるが、この際、意思など重要ではない。逆鱗に触れたという事実だけが重要なのだ。
法律を知らないことが言い訳にならないのと同じで、逆鱗の位置を知らないことは免罪符にならない。
「当日欠勤なんてしていいの?」
先ほどまで不気味なまでに無言だったくせに、急に口数が増え始める。
怒りや悲しみを押し殺し、精一杯の作り笑いを浮かべる。
「去年の有給がだいぶ余ってますからね」
そうだ。有給が消滅することを考えれば、消化できたのは幸運だ。
いくら悔やもうとも、社内評価が下がったという事実も、上司に怒られる未来も変えられない。ならばプラスの面だけを見るべきだ。
人生も仕事も恋愛も、なにもかもメンタルが強いものが勝つ。俺は勝ったんだ。
などと、自分を必死に納得させて満足している糸井に水を差すかのように、余計な一言を放つ占い師。
「サラリーマンは有給があっていいね、羨ましいよ」
口は災いの元という言葉を知らないのだろうか。
たとえ義務教育で習わなかったとしても、普通に生きる過程で自然と身に着くはずなのだが。
(あっていい物、羨ましい物を失ったんだよ! お前のせいで!)
その言葉をよく知っている糸井は、心の中で怒りをぶちまける。
罵詈雑言とまではいかずとも、皮肉の一つでも言ってやりたい。そんな気持ちを、お得意の損得勘定で抑え込む。
(怒りの発散という小さなリターンに対して、コイツと敵対するというリスクは大きすぎる。なんなら小さなリターンも怪しい。無神経な反論で、下がった分よりも大きく上がる気がする。溜飲が)
人生を変える特大ホームランを打とうと意気込んでいたが、あまりにも幸先が悪すぎる。情報集めどころか、普通に会話することさえ困難なのだから。
しかし、糸井の心は折れない。そこまで辛い人生を送っているわけでも、引き返せないほど占い師に入れ込んでいるわけでもないのに、それでも心が折れない。
成功も挫折も経験したことがないゆえに知らないのだ。
負けた方が幸せな時もあるということを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます