第2話 侵され始める深層心理

 目の前にいる女性は、ただの詐欺師。人より美人なだけの、ただの詐欺師。

 絶対に当たるなど、ミーハーな一般人の妄言にすぎない。もしくは、ネット特有の悪ノリだ。

 何度もそう言い聞かせているが、糸井は警戒を解けずにいる。

 それを知ってか知らずか、占い師が話を続ける。


「先に言っとく。占いのせいで酷い目に遭っても責任は取らない」


 ダウナー系に近い無表情からは熱意を感じない。だが、自信だけは不思議と伝わってくる。静かな気迫とでも言うべきか。これが漫画やアニメであれば、謎のオーラを纏いながら空間を歪ませていただろう。


(占いのせいで酷い目に遭っても……それはつまり……)


 占い師の威圧感に気圧されつつも、冷静に言葉の真意を探る。

 責任を取らないという言葉尻を捕らえれば、予防線を張っているように見える。詐欺師の常套手段だ。

 だが、この責任を取らないというのは、占いが当たるか否かではなく、占いが及ぼす事象にかかっている。

 要するに占いが必中するという主張を下げる気は、さらさらないということだ。


「よほど自信があるんですね、占いに」


 言うまでもないが、これは皮肉だ。

 糸井の指す占いとは、口八丁で相手を煙に巻く話術のことだ。スピリチュアルパワーの存在を肯定しているわけではない。


「貴方こそ、さっきの発言を撤回するなら今のうち」


 微妙に噛み合ってない気がするが、脅されていることぐらい糸井もわかっている。

 糸井は、さっきの発言というのが何を指すのか考え込む。


(料金の話……いや、違うな……えっと、占い師さんが美人だって話をしてたっけ)


 会話を遡った結果、『美人発言がお世辞じゃないと証明する』という発言に辿り着く。


「えっと? 発言の撤回と占いの精度が結びつかないんですが」

「じゃあ証明するってことでいいね」


 糸井視点で見ると、会話がまるで噛み合っていない。

 だが、占い師は意思疎通ができていると思い込んでいるらしく、占いを再開する。


「あの……?」

「集中するから静かにしてて」

「いや、そうじゃなくて……こういうのって悩み相談から始まるんじゃ」

「なんの悩みか知らないけど、しかるべきところに相談して」


 糸井と同じ体験をした人はいるのだろうか。占い師に悩みを相談しようとしたら、別の人に相談しろと、冷たくあしらわれた人は。


(ここじゃい! しかるべきところは!)


 納得がいっていない糸井を制して、占いに集中する。

 言いたいことは山ほどあるが、糸井は諦める。

 この数分で悟ったのだ。この女は話が通じないタイプだと。

 無料だという言質は取っているのだから、ヤバそうな雰囲気を感じたら立ち去れば問題ないだろうと。そう高を括ったのだ。

 普通の人間相手なら正しい判断と言える。そう、普通の人間相手なら。

 不幸なことに、糸井の目の前にいる女性は普通じゃない。性格も大概だが、それ以上に異常なところがあるのだ。


(どうやって生計を立てているのか……悩みも聞かずに、何を占うというのか……)


 根掘り葉掘り聞きだしたいところだが、これ以上話しかけると何をされるかわからない。黙って推測を立てようにも、あまりにも情報不足だ。

 今はただ、占いらしき行為が終わるのを待つしかない。


(せめて目のやり場に困る服でも着ててくれたらなぁ……暇が潰せるのに)


 暇を持て余しすぎて、下卑た思考が頭をよぎる。

 しかし、それも無理からぬこと。

 いくら相手が美形といえど、同じ画角で同じ表情を見続けるのは、さすがに辛いものがある。


(初めは連絡先とか交換したいと思ってたんだけどな)


 一目惚れしたわけではないが、占い師の顔を見た時から多少の下心があった。通い詰めて仲良くなろうという、浅ましくもピュアな下心が。

 天は二物を与えずとはよく言ったものだ。悪事の一つも働かずに、この恵まれた容姿を帳消しにできるのは凄い。


(これは一種の失恋か? いや、単なる気の迷いだ)


 よりにもよって、こんな奇人相手に失恋などしたくない。それはきっと、人生における汚点となる。

 よくわからないが、失恋だと認めれば何かが終わる。終わってはいけない何かが終わってしまう気がする。

 糸井がよくわからない何かと闘っているうちに、それなりの時間が過ぎたようで占い師が顔を上げる。


(おっ? いよいよか?)


 時間を計ったわけではないが、体感としては五分以上は経っている。

 さぞありがたいお告げをいただけることだろうと、糸井は身構える。


「貴方はトイレに閉じ込められるわ」

「はぁ?」


 思わず失礼な反応を示す。

 いや、当然と言えば当然のリアクションだ。さんざんもったいつけて出てきたのがこれなのだから。


「はい、占いは終わり。さっさと帰って」

「あの?」


 一切の補足説明をすることなく、糸井を顧客から邪魔者に転向させる。

 喋るなという命令が解除されたはずなので、疑問を処理しようと試みるが、取り付く島もない。

 尚も食い下がるが、即座に立ち去らないと警察を呼ぶと脅され、渋々撤退する。


「……ありがとうございました」

「いいから帰って」


 お礼の言葉さえ受け取ってくれない。心がこもっていないことがバレたのか、本格的に邪魔者扱いされているのか。おそらく後者だろう。

 絶対にSNSで悪評を流してやると心に決め、帰路につく糸井。


(接客態度についてボロクソに書くか? いや、コンビニのアルバイトとかが絡んでくるかもしれんな)


 休日を無駄にした被害者だというのに、謎の第三者に叩かれても面白くない。

 『無料なのに文句言うな』だの『休日を失ったのはお前の自己責任だ』だの、上から目線で説教される恐れもある。

 著名人ならいざ知らず、一般人の糸井が炎上を恐れるのは些か自意識過剰な気もするが、SNSというのは慎重すぎるくらいで丁度いい。

 炎上商法は別として、炎上のほとんどは想像力の欠如によるものである。投稿前に三分考えるだけで回避できた炎上が、この世にはいくつあるのだろうか。


「ああいうのを残念美人って言うんだろうな。あれと結婚とか俺には無理かな。絶対ストレス溜まるし」


 結局SNSの投稿は保留にして、独り言という極めて安全で、極めて卑屈なストレス解消方法を取った。

 我ながら大人だと悦に浸っているが、糸井は気付いていない。SNSへの投稿を踏みとどまった本当の理由に。

 占い師にアカウントを特定されるかもしれないだの、炎上するかもしれないだの、もっともらしい理由をつけたが、本当の抑止力は恐怖だ。

 占い師の威圧感により、深層心理に刷り込まれたのだ。畏怖の念を。

 万が一にも占い師と敵対してはならないと、本能が逃避行動を取らせたのだ。事なかれ主義者の直感とでも言うべきだろうか。

 その証拠に占いを信じていないにも関わらず、トイレの扉を閉めようとしない。一人暮らしでも律儀に施錠していた糸井が、鍵どころか扉すら閉めない。

 冷静に考えてみれば、一人暮らしでトイレの扉を閉める必要はない。地震や経年劣化で扉が偶然壊れる可能性だってある。壊れずとも、無駄な開閉で扉にダメージを与えるのは不合理だ。占いを信じたわけではないが、生活習慣を変える良い機会だ。などと、もっともらしい言い分を並べ立てているが、結局は逃避行動だ。

 今この瞬間にも、世界のどこかで交通事故が起きているはずだが、だからといって車の運転を諦める奴はいない。占いを一切信じていない人間は、念のためレベルで言動を改めたりしない。

 要するに、糸井の意に反して本能が認めているのだ。あの占い師がただ者ではないということを。

 彼は石を投げれば当たるレベルで、どこにでもいる凡人だ。だが、危機察知能力、人を見る目に関しては一日の長があるらしい。


「思い出しただけで腹立つな。何が『警察呼ぶわよ』だよ。国家権力に頼ってんじゃねえよ。お前こそ営業許可取ってんのかよ。税金払ってんのかよ」


 思い出し怒りというヤツだろうか。

 饒舌に独り言を漏らす糸井だが、心なしか震えている気がする。

 それは怒りによるものなのか、あるいは内なる恐怖によるものなのか。


「はい、怒りタイムおしまい! 一期一会、ただの交通事故! アイツのことは、もう二度と考えない!」


 あの占い師には、もう二度と関わらないと心に誓い、普段より早めに就寝した。この切り替えの早さだけは見習いたいものだ。

 翌日、彼は社会人生活で最大の危機に瀕することになるのだが、今はまだ知る由もない。

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