第20話 契約の箱

 裂け目を抜けた先に広がっていたのは、漆黒の森だった。

 遠くで響く不気味な鳴き声と、闇夜に浮かぶ赤い月が異様な雰囲気を醸し出す。

 そんな魔性の森の中、俺たちは立っていた。


『第二階層──魔銀人狼ライカンスロープまたは吸血鬼ヴァンパイアのどちらかの陣営を勝利に導いてください』


 次に表示された課題は予想外の内容だった。

 どちらかの陣営を勝利に導くとは、つまり魔獣と共闘するということだ。

 異界に潜り魔獣を狩ることを生業とする覚醒者にとっては前代未聞のことである。


「まさか異界に来て、魔獣同士の抗争の肩入れをさせられるとはな」

「仕方ないわよ。特異界シンギュラリティ・ゲートだもの。本当に厄介な異界だわ」


 俺のため息混じりの呟きに、紅羽は同意した。


「だけど課題をクリアする以外に道はないわ。問題はどちらの陣営につくかよね」

「……吸血鬼ヴァンパイア一択だな」

「びっくりするくらい即断ね。どうしてそう思うの?」

魔銀人狼ライカンスロープとは会話が成立する気がしない」

「一理あるわね」


 理由を聞いた紅羽は、即座に納得し頷いた。

 この課題の一番難しい部分がそこだと、彼女も気づいたようだ。


 ぶっちゃけ勝利に導くのは簡単だ。

 どちらに味方しようが、俺と紅羽の戦闘能力なら相手を容易に蹂躙できる。

 それよりも人間である俺たちを味方と認めさせることの方が遥かに難易度が高かった。

 その点で言えば、交渉の余地がある吸血鬼ヴァンパイア以外に選択肢はない。


「俺は実物を見たことがないが、上位の吸血種は人語を話せるんだろう?」

「ええ、そうよ。ただ、一つ難点があるわね……」

「難点?」

「あいつらって本当にプライドが高いのよ。あたしも何体か相手したことあるけど、どいつもこいつも他種族を見下して偉そうに踏ん反り返ってたわ」


 そういえば、そんな情報を目にしたことがあるな。

 だけど、気位が高いなら色々とやりようはある。


「とりあえずは魔銀人狼ライカンスロープを探そう」

「はぁ? 吸血鬼ヴァンパイア側につくんでしょ? さっき自分で言ってたじゃない」


 俺の提案を聞いた紅羽は眉をひそめ、何を言ってるのと言わんばかりの表情を見せた。


「ああ、だからこそだ。偉ぶる奴に取り入るなら──が必要だからな」



 ──それから数分後。


 俺たちは茂みの中に潜んでいた。


「……いたぞ。あそこだ」


 枝葉の隙間から、徘徊中の魔銀人狼ライカンスロープたちを覗き見た。

 目視で確認できる数は五匹。

 その中で一匹だけ上位種である血牙人狼ブラッディ・ライカンが混じっていた。


「あの血牙人狼ブラッディ・ライカンが群れのリーダーだな」

「あいつの首を吸血鬼ヴァンパイアへ献上するわけね」

「いや、その必要はなさそうだ」


 暗くて見辛いが、よくよく見れば魔銀人狼ライカンスロープたちは、1体の吸血鬼ヴァンパイアを取り囲んでいた。


 追い詰められていたのは、上品なドレスを身に纏った金髪の女型吸血鬼だ。

 吸血鬼ヴァンパイアは下位種と上位種で特徴に差が無いため、見た目だけで種族名を判別するのが難しいが、身に着けた服から上位種の可能性が高い。

 さらに言えば、その周囲には従者と思しき吸血鬼の遺体もあった。

 

『くっ、寄るな‼ 穢らわしいめ……!』


 そんな彼女は己の魔力を剥き出しにして、にじり寄る魔銀人狼ライカンスロープたちを強く威嚇していた。

 しかし、残念な事に女型吸血鬼の魔力はそこまで高くなく、魔銀人狼ライカンスロープ側は全く恐れを抱いていなかった。

 むしろ、涎を垂らしながらじりじりと追い詰める様子を見ると狩りを楽しんでいるようだ。


「ははーん、吸血鬼ヴァンパイア陣営に恩を売る絶好の機会ね。それで、どうやって……ってあれ?」


 紅羽が何かを言い終える前に、俺は動き出していた。

 天脚を発動させ、颯爽と女型吸血鬼の前に躍り出た。


『何だっ、貴様……⁉』

『グルルッ……⁉』


 突然の闖入者に、両者は驚きつつも警戒する構えを取った。

 俺は背後の吸血鬼を守護する姿勢を保ったまま提案する。


「見たところ困ってるようだな。あんた、俺を雇わないか?」

『この匂い……貴様、人間か? 突然現れて、いったい何のつもりだ?』

「さっき言った通りだ。俺を雇わないかと尋ねている。傭兵みたいなものだ」


 傭兵と聞いて、女型の吸血鬼は訝しげに目を細めた。


『傭兵だと? 貴様ふざけているのか? 魔人に手を貸す人間など聞いたことがないぞ』


 敵対しているはずの種族から持ち掛けられた怪しげな取引。

 どうしても彼女は不信感が拭えないようで、放出する魔力の質がぴりぴりと突き刺すようなものに変化した。

 実にわかりやすく魔力の矛先がこちらへ向けられているが、俺は構わず言葉を続けた。


「俺は雇い主を選ばない主義でな。客になるなら相手は問わない。さて、どうする? 雇うのは自由だ。このままあんたが狼どもに喰われようが、俺としては別に構わないけどな」

『ぐっ……』


 選択肢はあってないような状況。

 彼女は表情に苦渋を滲ませたまま答えた。


『ちっ、やむを得まい。貴様を雇ってやる!』

「……取引成立だな。〝契約の箱アーク〟」


 その言葉を聞いた俺は神威を発動させた。

 俺と彼女の間の空間から神々しい彫刻が刻まれた木箱が出現した。


「緊急だし、報酬は後で相談ってことでいいよな? それと俺の仲間も契約対象だから」

『あ、あぁ……?』


 言われるがままに吸血鬼は頷いた。

 すると文字が浮かび上がって文章となり、そのまま箱の中へ吸い込まれていった。


「──契約完了。それじゃ、の時間だ」


 無事、上位種と思しき吸血鬼と契約を交わした俺は、狼狽する魔銀人狼ライカンスロープたちへ剣を突き付けた。

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