第4話 神威

 真っ暗闇の中。俺は徐々に意識を取り戻していく。

 長い眠りから醒めたような、そんな気分だ。

 だが、心地よさを感じていたのは、ほんの僅かな時間に過ぎない。


「かはっ……⁉」


 身体を駆け巡る激痛によって、半ば強制的に目覚めさせられた。

 見れば目の前には屈強な魔銀人狼ライカンスロープが立っており、指から伸びる爪が俺の身体を深く刺し貫いていた。


「いってぇ……もうちょいマシなタイミングで戻せなかったのかよ」


 俺は女神さまへの不満を吐露しながら込み上げてきた血反吐を吐き捨てた。

 確かに地球に返してくれとは願った。そして俺は帰ってきた。

 だが、こんな最悪なタイミングとは思わなかった。

 常人の精神力なら激痛でまた失神してるぞ、これ。


「きゃあああっ⁉」


 背後で悲鳴が響き渡る。この声は間違いない。

 数百年前に助けようとした、あの時の少女だ。


「……今度はちゃんと助けられそうだ」


 少女の悲鳴を聞いて、俺は少しだけ安堵した。

 当時、俺は肉壁にすらなっていなかったからな。

 あのまま時間が進んでいたら、その後すぐに彼女も殺されていたことだろう。

 刺し貫かれたまま、俺は魔銀人狼ライカンスロープの腕を掴んだ。


「──あの時の借りは返させてもらうからな」


 そう告げた後、俺はを発動させた。


「〝聖霊の炎オルディナ・フレア〟」


 次の瞬間、俺の手から青白い炎が吹き出した。

 白炎は蛇のように魔銀人狼ライカンスロープの身体に纏わりつき、あっという間に全身を包み込んだ。


 苦痛のあまり魔銀人狼ライカンスロープは俺から爪を乱暴に引き抜き、火を消そうとアスファルトを転げ回る。だが、いくらもがいても、その火が消える事はない。

 しばらくすると魔銀人狼ライカンスロープは黒く炭化し、そのまま息絶えた。


「……相変わらずの力だな」


 ま、当然と言えば当然か。

 俺が神界で会得した能力──神威かむい

 それは文字通り神の威光であり、神が持つ力そのものだ。

 神の手足である神輝兵は、女神さまの神聖力リソースを消費して様々な奇跡を行使する事ができる。

 俺は元・神輝兵だが、このままでは蘇生してもすぐに死んでしまうという理由から帰還後も女神さまの神聖力リソースに接続する許可を与えられたのだ。


『ふふっ、特別ですからねぇ?』


 今、女神さまの声がしたような……。気のせいか?


『気のせいじゃありませんよぉ? 私には神威が善き行いに使われているか見届ける義務がありますから!』


 あ、そう……。

 ま、俺はもう神輝兵じゃないからな。神威を使うなら監視されて当然か。

 ただ、そんな気軽に話しかけてこないでほしい。

 曲がりなりにも女神なんだからさ。


『ふぇぇ、何でですかぁ⁉ 私の御言葉ですよ⁉ 嬉しくないんですかっ⁉』

「……」


 少し面倒に感じた俺は、女神さまを無視して腹の怪我を治療することにした。


「……〝治癒エィル〟」


 俺が手をかざすと暖かい光が身体を覆い、傷口を癒やしていく。

 臓器までズタズタに裂かれていたが、数秒も待てばそれらも綺麗に完治した。


「大丈夫か?」

「は、はい……あ、ありがとうございます……」


 俺はへたり込む少女へ手を差し伸べた。

 少女は恐怖と驚愕で目を丸くしたままだったが、ゆっくりと立ち上がった。


「悪いが俺は行かなきゃいけないんだ。後は自分で逃げれそうか?」

「え? あ、多分……大丈夫だと、思います……」


 そう少女は答えたが、その表情は不安なままだ。

 無理もないか。彼女は今まさに魔獣に殺されかけたばかりだ。

 これから一人で逃げろと言われて不安を感じないわけがない。


「そうか。なら安全に逃げれるように加護バフを掛けてやる」


 俺は少女の額に手をかざすと、神威を発動させた。


「……? いったい何を……」

「それでしばらくは魔獣から認識されなくなる」


 多分2時間くらいは持続するだろう。

 S級魔獣相手だと通用するか微妙なところだが、その辺は少女の運に任せるしかない。 


「それじゃ俺は行くから」

「あっ……せめて名前を──」


 少女が何かを言いかけたのを無視して俺は跳躍した。

 申し訳ないが、のんびりと会話をしている暇はない。

 今は妹の──真昼まひるの安全を確保するのが最優先だからな。


 ◇


「行っちゃった……」


 その場に取り残された少女──綾園あやぞの結衣ゆいは、ぽつりと呟いた。

 それから青年が去った方向をじっと見つめる結衣。

 その頬は少しだけ赤みを帯びていた。


 彼女が頬を染める理由は単純で、刀夜に好意を抱いたためである。

 自身が傷つく事も恐れず、飛び込んできて自分を守ってくれた。

 彼のそんな勇敢な姿に、彼女は強く惹かれた。


「名前、聞きたかったな……」


 それが単なる吊り橋効果なのか、それとも本心なのか。

 恋愛経験の乏しい彼女にはわからない。

 ただ、もう一度会いたい。そう強く思うのだった。

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