05

「泉さん、コーヒーだいじょうぶ? あ、あと緑茶もあるけど」

 ようやくわたしが落ち着いたころを見計らって、先生が電気ケトルでお湯をわかし始めた。「ほんとはお客さん用だからナイショね。でもここ寒いからさ、何か飲んじゃお」

「すみません」

 落ち着くと、周りの音が聞こえてきた。いつもだったら今ごろは部活の時間だ。週明けから期末試験で、でも勉強はぜんぜんできていない。それどころじゃなかった――またぼんやりしていると、先生が目の前にコーヒーの入った紙コップを置いてくれた。

「砂糖とか勝手に入れちゃったけど、いいよね。泉さん、なんか甘い物入れた方がよさそうな顔してるよ」

 そう言われて、自分で自分の顔をさわってみた。まぁ、元々甘いものは好きだ。

「そんな顔してますか」

「してるしてる。ありちゃん先生はね、わりとそういうのわかる方」

 コーヒーは熱くて、たぶんスティックシュガー二本くらい入ってるなって味がしたけど、確かにそれでちょうどよかった。

「どう? 話できる?」

 先生が聞いてくれて、わたしはうなずいた。


 今までだれにも話したことがなかったから、なにから話せばいいのかわからなくて、すぐグダグダになった。でも先生が時々質問をはさんだり、たまに話を戻したりしてくれて、大体伝えたいことは伝わった気がした。黒い影みたいなものが見えるとか、家で飼ってるハムスターがすぐに死んじゃうとか、何を話しても先生は否定したりしないで、うなずきながら聞いてくれた。

「泉さんには悪いんだけど、わたしもそういうのはちょっと見えたりするだけで、お祓いみたいなことはできないのね。まぁ、ふつうにお守り持ったらちょっとマシになったかな」

 あくまで個人的な感想ね、なんて言いながら、先生はジャケットの内ポケットを探って、小さなお守りを取り出した。どこかの神社のものらしい。

「これ、泉さんにあげる。色々試したなかで一番効くやつ」

「いいんですか?」

「うん。十代の頃ほど見えなくなったし、すぐ買いにいけるから」

 受け取ったお守りは、見た目よりもちょっと重かった。お礼を言ってスカートのポケットにしまうと、少し気持ちが軽くなった気がした。

「ありがとうございます」

「いいのいいの。そのかわり、試験がんばってね。国語で赤点とるなよぉ」

 ありちゃん先生は国語担当なのだ。「はい」と答えるしかない。

 話を聞いてもらっただけで、気持ちがかなり軽くなった。相手がありちゃん先生だからよかったのだ。担任だから、元々わたしの家族の事情をある程度知っている。だから、家のことを話しやすかった。

「また何かあったらおいで。お祓いはムリでも、話聞くくらいならできるから。泉さん、ストレスとかガマンしてため込んじゃうタイプでしょ」

 当たっていると思う。先生がさっき言ったとおり、「ありちゃん先生はわりとそういうのわかる方」ってやつか。

「……なんか、そういうの相談できる人いなくて」

 わたしがそう言うと、先生は「うん」とうなずく。急に、もうちょっと話していたい気分になった。

「それで、なんだろ、時々すごい不安になったりして……特に何って理由があるわけじゃないんで、変なんですけど」

「ううん、変じゃないよ」

 先生は首を振った。「ていうか、むしろわかるなぁ。わたしも理由がないのに急に不安になったりするもん。そういうのって、けっこうあるものだよ」

「そうですか?」

「そう思うけどな。そうだ、『天つ星 道も宿りもありながら 空にうけても 思ほゆるかな』って短歌があるんだよね。菅原道真が作ったの」

 なんて、急に国語の先生っぽい話を始める。

「天の星のように行く道も宿も決まっているのに、空に浮いているように不安な気持ちがするなぁ……って感じの意味なのね。まぁ大宰府に追放される途中で詠んだ歌らしいから、不安になるのも当然なんだけどさ。でも先生はこの歌を知ったとき、そういう背景を知らなかったっていうのもあるけど、ちょっと安心したんだな。大昔のすごく頭がよくてすごく偉いひとでも、なんとなく不安になったりしたことがあったんだなぁって――どう? 先生今いいこと言った?」

「……うーん、最後のがなければ」

「惜しい!」

 でもふたりでちょっと笑って、気持ちが楽になったことはなったのだ。

 先生にお礼を言って、進路指導室を出た。もう友達はみんな帰っちゃってたから、ひとりで帰らなきゃならない。

 ポケットの中でお守りをにぎりしめて、窓の外を見た。暗くなりかけた空に、一番星が不安そうに浮かんでいるのが見えた。

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