02
矢沢さんにこういう相談ができるかって考えたけど、たぶんできない。
理科の先生の板書と、授業を受けている矢沢さんの横顔を半分こに眺めながら、そんなことを考える。
彼女はすごくいい子だけど、こんな話をしたらなんて思われるだろう? 変なやつだと思われたり、警戒されたりするんじゃないかな……と思うと言えない。そもそもこんなことをわかってくれる人なんて、めったにいない。
お父さんはわかってくれるんじゃないかな、と思うことがあるけど――でも、やっぱり相談したくない。正直、もうまともに話すのもいやだ。そもそもこんなふうに転校することになったのは、お父さんのせいで引っ越ししなきゃならなくなったからなのに。
そういうことを考えているとだんだんイライラしてきてしまう。わたしは一旦家族のことを考えるのをやめて、板書をわざとらしいくらいていねいに写そうとする。
何かに集中していないと、理科室のドアが目に入ってしまう。
ドアにはまっている曇りガラスの向こうに、さっきから黒い人影が立っているのが見える。
あれは、教室の窓の外で見たのと同じものなんだろうか? ああいうものは全部真っ黒な人影みたいに見えるから、わたしには全然見分けがつかない。
ただ(いやなものだ)という確信だけがある。あいつに近づかれたり、話しかけられたりしたくない。
経験上、ああいうものは、だれかといっしょにいるときは近づいてこないらしいということがわかってきた。だから、学校でぼっちになると死活問題だ。
やっぱりだれかに相談するのはむずかしい。相談したからといって、わたしと同じ中学生に解決できるとは思えない。
シャーペンの芯がパキッと折れて、いつのまにかすごく強い筆圧で文字を書いていたことに気づいた。文字が全部、なにかに怒っているみたいに見えた。
期末テスト直前で、部活がない日なのもいやだった。人数がそこそこ多くてグループ単位で動くことが多い合唱部に入部して、ひとりになるのを防いでいたけど、それがなくなるととたんに一人になりやすくなる。図書室に行けば自習している生徒がけっこういるはずだけど、あそこはうろうろしている黒いものも多い。
さっさと家に帰ることにした。同じ方向に帰るクラスメイトの輪に入って、わいわい話しているのを聞いたり、適当に口をはさみながら昇降口に向かう。
我ながら、だれとでもソツなく話せる方ではあると思う。ただ親友みたいな、本当に仲がいい子を作るのはすごく苦手だ。どうしたらそういう相手ができるのか、よくわからない。
(これまで会った子の中に、ひとりくらいそういう子がいなかったかな)
ふとそんなことを思いついて、だれか思い出してみようとするけれど、結局思い出せなくてやめてしまう。本当にだれもいなかったっけ? だれかそういう子がいたならよかったのに――でも転校しなきゃならなくなってしまったし、やっぱりいない方がよかったのかもしれない。
(ああ、またいるな)
今度は廊下のむこうに、黒いものが立っている。
最近、本当に見かけることが増えた。みんなの話にうなずきながら、無視するために少し顔を下げた。そのとき、
「あっ、ありちゃーん」
クラスメイトのひとりが、そう言って廊下の向こうに手をふる。もちろん、黒いものに向かって振ったんじゃない。廊下のはしっこにある階段から、ちょうど担任の先生が下りてきたのだ。
「こらー、『先生』をつけなさいって」
って本人は言うけど、若くてかわいいから「先生」っていうより「お姉さん」って感じで、だからほとんどみんな「ありちゃん」って呼んでしまう。先生だって、あんまり本気で注意している感じじゃないのだ。
「はーい! ありちゃん先生ばいばい」
「ばいばい。気をつけて帰るんだよー」
先生はそう言いながらこっちに歩いてくる。一階に用事があるのかな……なんて思いながらなんとなく見ていると、先生がひょいっと右にずれた。
わたしにはそれが、廊下に立っていた黒いものを避けたように見えた。
(もしかして先生、見えてる?)
いや、気のせいかもしれない……そう思ってすれちがう瞬間、先生と目があった。先生はわたしを見て、それから廊下の黒いものにさっと視線を移して、それからまたわたしを見た――そんな気がした。
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