16

 二人で歩いているのに、なんだか寂しかった。やってることは前と同じ、百円玉を置いていく賀古さんにくっついて自転車を押していくだけだ。でも今日は妙に胸が苦しくなった。

 たぶん、あんな夢を見たせいだ。夢なんて自分の頭の中から出てきたものだってわかっていても、わたしには賀古さんの「たすけて」が本物に思えた。

 いつか本当にあんなふうに言われる日が来るんじゃないか。それとも、もうとっくに助けを求めなきゃいけないレベルになっているのか。そんなことを考えてしまう。

 賀古さんはしばらく何も言わなかったし、わたしもだまってついて行った。自転車を押しながら考えていた。賀古さんが言う「ダメな日」のことを。

 どんなふうにダメになるのか知らないけれど、百円玉を持ち歩くことで影響を受けてしまうのなら、毎日こんなふうにバイトをしている賀古さんは、これからどうなってしまうんだろう。ダメって休めばちゃんと回復するのかな。それともちょっとずつ溜まり続けて、ダメの日が増えていって、そのうちどうにもなくなる――そういうものなのかな。

「泉さんさぁ」

 前を歩く賀古さんが、こちらをふり返らないでそう言った。「こんな毎日来ない方がいいと思うよ」

「……なんで」

「泉さんけっこう鋭いみたいだし、私と歩いてるとダメがうつるかも。『たまに』くらいにしといた方がいいと思う」

 そうかもしれない。賀古さんがそう言うなら。わたしには何もわからない。

「そういえば今日のぶんの百円玉、忘れてた。あげる」

 振り返った賀古さんが、百円玉をわたしの方に向かって突き出した。わたしはそれを受け取りながら、そういえばわたしも忘れてたな、と気づいた。あんなに百円玉のことばかり考えていたのに、今日は賀古さんのことばかり気になっていた。

 つまりわたしは今日、本当に賀古さんに会いたかったってことだ。

「今日、帰ってもいいよ。ていうか帰ってもらっていい?」

 賀古さんは、わたしが百円玉を受け取ったことをちゃんと確認してからそう言った。わたしがなにか言わなきゃと思って口を開いたところで、

「帰って」

 賀古さんが言った。

 その声を聞いたとたん、足が止まってしまって、どうしてもそこから先についていくことができなくなってしまった。追いかけたらたぶん賀古さんは逃げてしまって、わたしから離れたところで百円玉を撒こうとするだろう。でもきっと賀古さんだって寂しくて、一人よりも二人でいたいはずだと思った。賀古さんの声は震えていて、耳は真っ赤になっていて、それは泣くのを我慢してる子供みたいだったからだ。なのに、なんて返せばいいのか考えて、考えたのにわたしは、

「賀古さんがそうしてほしいなら、そうする」

 そう言った。それが賀古さんのために一番いいと思って口に出したはずだった。でもその声が自分の耳に届いた瞬間(卑怯だ)と思った。そんなこと自分で決めればいいのに、わたしはあえて賀古さんに決めさせようとしている。

「帰って」

 賀古さんはそう言って、うつむいた。わたしはもう「わかった」と言って、家の方にハンドルを向けるしかなかった。でも遠ざかっていく賀古さんの背中に「またね!」と言って手を振ったとき、賀古さんはちらっと振り返って、小さく手を振ってくれた。

 見間違いじゃなかったと思う。


 家に帰って、午後からはちゃんと塾にいった。新しい塾にも黒いものがいたらどうしようと思ったけど、いなかった。ほっとした。

 中一夏期講座には何人か同じクラスの子がいて、中でも「泉ちゃん!」と手を振ってくれた里香は席がすぐ隣だった。

「泉ちゃん、こっちの塾に変えたの?」

「うん――なんか行ってたとこ、合わなくって」

「そっかー。知ってる子増えてうれしー」

 里香は話しやすくていい子だけど、すごく仲がいいわけじゃない。この子がすごくフレンドリーで、だれとでもおしゃべりしようとするだけだ。知ってる子がいると嬉しいし、人が増えると嬉しいし、しゃべったりするのも嬉しいって感じの子だ。ここまで他人に関心があるって、才能だと思う。

「泉ちゃん、週三で講習きつくない? うちら夏休みなのにさぁ、中一からこれでどうなると思う? 受験のときとか」

「うわ、やばいね。確かに」

 話しながら、やっぱり賀古さんとは違うな、と思った。どうして賀古さんがほかの子と違うのか、うまく言葉にできなくて、心の中がもやもやした。

「そういえば泉ちゃんってさぁ」

 わたしのもやもやを見透かすように首をかしげて、里香が言った。「賀古さんと仲よかったりする?」

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