15
夜、夢を見た。
わたしの部屋のどこかから、ぶつぶつとささやき声が聞こえる。あの百円玉は持ってきていないはずなのに、なぜか部屋の中にあるらしい。
わたしは狂ったように百円玉を探した。クローゼットの中身を全部ひっぱり出し、自分のサイフの中身を床にぶちまけ、引き出しを全部出してひっくり返した。カバンも服のポケットも全部全部探して、でも百円玉は見当たらない。なのに声は聞こえ続けている。どこから聞こえるのかわからない。
泣きそうになりながら部屋中を歩き回っているうちにふと、ベッドの下の引き出しが気になり始めた。ほとんど開けないから忘れていたのだ。
(ここにあるのかもしれない)
そう思って引き出しを開けると、替えのベッドパッドや毛布の代わりに、なぜか賀古さんが身体をぎゅっと縮めて入っていた。賀古さんの顔には生気がない。唇は紫を通り越してほとんど灰色に見える。まるで死体を引き出しにむりやり詰めたみたいだ――そのとき、賀古さんが閉じていたまぶたを開け、わたしの顔を見上げる。
「泉さん、たすけて」
なぜか声は耳元で聞こえた。
目が覚めた。
まだ夜中だ。エアコンはついているのに、汗をびっしょりかいていた。
のどがカラカラだった。だるかったけど体を起こして、一階のキッチンに向かった。
リビングにはまだ灯りが点いていて、お父さんとお母さんの声がぼそぼそともれてくる。お父さん、今日も遅かったな。何を話してるんだろう。わからないけど、あまり楽しそうではないなと思ってしまう。
階段を下りる足音に気づいたのか、声はぴたりと止んだ。もしも今、わたしがリビングのドアを開けたら――いやな想像をしてしまう。ドアを開けて、もしもそこにだれもいなかったらどうしよう。
(いや、そんなわけないって)
首を振って、わたしはリビングのドアの前を通り過ぎる。予定どおりキッチンで一杯だけ水を飲んで、自分の部屋に戻った。わたしが階段をのぼり始める頃、またリビングからぼそぼそと声がし始めた。
翌日、開店時間の午前九時をすぎても、例のスーパーはまだ開いていなかった。シャッターには「臨時休業」と書かれた紙が貼られている。少し離れたところからそれをぼんやり眺めていると、とんとん、と肩を叩かれた。
「おはよ」
賀古さんだった。
「あのさ、賀古さん知ってる? ここ、お店の中で人が死んでたんだって」
まっさきにそれが口から出た。賀古さんは「知ってる」と答えた。
「自殺だってね。ここが開いてないなら、別のところでお金使わなきゃ」
そう言って、賀古さんはきびすを返した。わたしは後を追いかけた。
「ねぇ賀古さん、あのさ……百円玉のせいじゃないよね」
賀古さんはこっちを振り向いた。わかってるんでしょ、とでも言いたげな目をしていた。
「ふつうはね、何ともないよ」
賀古さんの、血色の悪い唇が動いた。
「たまに泉さんみたいな、カンの鋭い人が何か感じるかもしれないけど。あとね、何枚も持ってたらやっぱり影響は受けるかな。でも、それだってそんな大したことない。もしも一人のひとが十枚とか二十枚とか、いっぱい持ってたらちょっと……あるかもだけど。でも、それだってちょっとしたことだよ」
賀古さんのぼろぼろのスニーカーが、こつんと小石を蹴った。
「スーパーで自殺した人は、前から心が死にかけてたんだと思う。ふつうだったら影響なんか受けないんだけど、その人には効いちゃった。こういうことがあるかもしんないから、同じお店には続けて行かないようにしようねって、私――」
言ったのに、と口が動くのがわかった。
「……賀古さん。あの……太一くん元気?」
「ちょっと今日は、ダメな日かな。あいつ、わたしより影響受けやすいから」
「影響?」
「そう……私らあちこちに百円玉置くけどさ、バイトの間、ポシェットの中には何枚も百円玉が入ってて、それを持ってなきゃならないじゃない。だから、ダメなときはダメなの。それだけ」
「賀古さんは大丈夫? 今日とか……」
賀古さんはわたしの方をくるりと振り返った。「大丈夫」
(泉さん、たすけて)
夢の中で聞いた声が、頭の中によみがえった。
わたしはだまって賀古さんの後ろをついていった。さっさと歩かないと、賀古さんはわたしを置いて、どこか遠くにどんどん行ってしまうような気がした。
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