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 うらやましい、だって。そんなの覚えてるかぎり一度も言われたことがなかったから、何て言い返したらいいのかわからなくて困った。しかも賀古さんの「うらやましい」は、ちょっとした「いいなぁ」とかじゃなかった――それはなんとなくわかった。

「賀古さんちって、そういうのどうしてるの? その、家のこととか」

「大体私がやってる。太一も手伝ってくれるし」

「すごいね……」

 わたしがそう言うと、賀古さんは「別に」と言って笑った。さびしそうな笑い方だと思った。

 賀古さんの「ふつう」はたぶん、わたしのと全然違う。わたしがふつうにやってること――たとえば学校に行ったり塾に行ったり、人付き合いめんどくさいとか成績下がったらやだなって悩んだり、家でご飯食べたり新しい服に着替えたりしていること――が、賀古さんにとってはうらやましいことなんだ。それって、ほっといたらよくないことじゃないんだろうか?

「あのさ……よけいなお世話かもだけどさ」

 わたしはちょっとどきどきしながら話す。「そういうのって、学校とか児童相談所とか、そういうところに相談とかって……しないの?」

「しないよ」

 賀古さんはきっぱりと答えた。「したら、家族バラバラになっちゃうかもしれないじゃん」

「そうか……」

「大丈夫だよ。このバイトけっこうもうかるもん。お金がなんとかなればさ、一応生きてはいけるじゃん」

「……そっか」

 わたしはうなずいた。別に納得したわけじゃなかったけど。

 たぶん賀古さんちのことは、本当なら大人に相談した方がいいんだと思う。「お金がなんとかなってる」って言うわりには賀古さんも太一くんも痩せてるし、服だって伸びて色あせたやつを着てる。バイトのせいで学校に通えないっていうのも、ちょっと――いや、けっこうやばいな、と思う。

 でも、賀古さんは彼女なりに今の生活を続けるためにがんばってて、それをむりやり取り上げることになるかもしれない。そう考えると勇気が出なかった。それに賀古さんがバイトをやめちゃったら、百円玉がもらえなくなるし――って、申し訳ないけどそういうことも考えてしまったのだ。

「じゃ、行かなきゃ」

 賀古さんは歩道を歩きだし、わたしの方をぱっと振り返った。「いっしょに来る? 今日はちょっと、遠くにいくけど」

 わたしは当たり前みたいに、「うん、行く」と答えた。


 賀古さんにあわせて自転車をひっぱって、カンカン照りの太陽の下を歩いた。汗がだらだら流れて、ちゃんと水分補給しないと死んじゃうな、と思った。

「もうちょっと先に行かせて。あと五分くらい歩いたらコンビニがあるから」

 賀古さんが言ったとおり、コンビニはあった。店内は別世界みたいに涼しく、水と塩飴を買って外に出た。二人で並んで水を飲み、飴玉を口に入れた。

「めっちゃ暑」

「暑いね」

 しばらくそんな話しかしなかったけど、賀古さんとならだまっていても別にいやじゃなかった。そういう子は、賀古さんが初めてだった。

 歩いて、となりの学区に入った。通ったことのない小学校の前に百円玉を置いている賀古さんを見ていると、ふと太一くんのことを思い出した。

「太一くん、元気?」

 賀古さんは「うん」と答えた。「元気だよ。なまいきだし」

「『弟の方の賀古さん』って呼んでたら、太一でいいって言われちゃった」

「ははは、そりゃそっちの方がいいよね」

「だよね――賀古さんは? 下の名前の方がいい?」

 ためしに聞いてみると、賀古さんは首をふった。「私、自分の下の名前きらいなんだよね。かこ・みらいだもん。冗談みたいでしょ」

「じゃあ賀古さんのままでいい?」

「むしろそっちでお願い」

 だからわたしは賀古さんのことを、ずっと賀古さんと呼ぶことにした。これから先もっと仲良くなれたとして、それでも苗字で呼ぶだろう。

「これさぁ、あんまり一ヵ所にたくさん置くの、よくないんだって」

 賀古さんがポシェットを軽くたたきながら言った。ポシェットの中で百円玉がカチカチ鳴った。

「そうなの?」

「あんまり集めたりとかしとくと、悪いことが起きるんだって。だから置く場所とか、使うお店とか変えてんの」

「へぇ。だから今日、遠くまで来たんだ」

「そう。でも昨日は太一がさ……あいつ、雑だから」

 植え込みの柵の平べったいところに百円玉を一枚置いて、賀古さんはため息をついた。

 わたしは今朝閉まっていたあのスーパーを思い出した。そういえば太一くん、昨日あのスーパーに入っていってたっけ。そこで百円玉を使ったのかもしれない。

 あそこで何かあったんだろうか。警察が来るくらいの「よくない」ことが。

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