11
太一くんとはそれから少しして別れた。昨日賀古さんと一緒に入ったスーパーに、ひとりで入っていく後姿を見送ってから、ペダルをこぎ出した。
今度こそ本当に、賀古さんに会いたいと思った。百円玉のことがなくても、彼女に会って話したかった。
「いつも不安そう」だなんて、今まで一度も言われたことがない。でも、図星だ。賀古さんはわたしが百円玉をほしがっていたから、そんなふうに思ったんだろうか。それとも、他に理由があるんだろうか。わたしのことをどこまで知っているんだろう。
不思議な気持ちだった。昨日会うまではほとんど話したことすらなかったのに、今は賀古さんのことばかり考えている。賀古さんは違う。あたりさわりのない話しかできない、他の子たちとは。
太一くんは、今日はダメだって言っていた。だから今日はあきらめる。でも明日は会えるかもしれない。
会えたらいいな。
コンビニに寄って、500mlの炭酸飲料を買った。あえて買わなくてもいいものだったけど、とにかく百円玉を使わなきゃならないのだ。
レジの人はふつうに百円玉を受け取った。触る瞬間変な顔をしたりとか、指を引っ込めたりとか、そういうことは全然なかった。ふつうのお金として受け取ってくれたように見えた。みんながみんな、あのネチョッていうのを感じるわけじゃなさそうだった。
で、これ以上行くところがなくなったから家に帰った。自転車で外をうろうろしている間にエネルギーと水分がどんどん蒸発してしまったみたいで、とにかく何か食べたり飲んだりしないと具合が悪くなりそうだった。キッチンに向かうと、コンビニで売ってる辛いラーメンの匂いがした。
「おかえり」
お父さんだった。昨日夜遅く帰ってきて、今日は寝坊したのだろう。
「ただいま。お母さんは?」
「伯母さんち」
「そう」
昼食はないみたいだから、勝手に作って食べることにする。食パンにベーコンやチーズをのせてトースターにつっこみ、焼ける間に麦茶を飲んでいると、お父さんが「あき」と話しかけてきた。
「なに?」
「塾、行ってないんだって? お母さんが言ってたけど」
お母さん、そんな話したんだ――しかたなく「うん」と答えた。それから「ごめんなさい」と付け加えて、気まずくなってうつむいてしまった。
「塾って、中学校の近くのだよな。緑の看板の」
「うん」
「塾、変えたら行くか?」
びっくりして顔を上げると、お父さんと目があった。
「変えてもいいの?」
びっくりしたままの顔で尋ねると、「行くならね」と言われた。
「まぁ、夏期講習の料金はもう振り込んじゃってるから、お母さんにはいやな顔されるだろうけど。あと、ちょっと遠くなるな」
「自転車で行くから大丈夫」
「そうか。じゃあ、メシ食ったら手続きしちゃうか」
お父さんはそう言ってラーメンを口に運ぶ。わたしは「なんで?」と声をかけた。
「ん?」お父さんはすぐにラーメンを飲み込む。「なんでって?」
「なんでわたしが、塾変えたいってわかったの? サボリなんて、勉強がめんどくさいだけかもしれないじゃん」
お父さんはひげをそった後のあごを「うーん」と唸りながらなでた。「……なんていうかなぁ。そういう感じがしたからかな」
「ぜんぜん答えになってないよ」
「ははは。まぁ、あきは父さんに似てるから。何を考えてるとか、ちょっとだけわかるとこはあるよ」
ラーメンを食べ終えて、お父さんは立ち上がる。確かにわたしと似ているところは多いと思う。左肩がちょっと下がってるところとか、横顔のおでこのラインとか、そういうところが。でも、きっとそういう問題じゃないんだろう。
なんだ。もっと早く相談してればよかったかも。
トースターがチン、と音をたてた。そのとき、お父さんが「そうだ」と言ってこっちを向いた。
「あき、昨日の夜遅く、ラジオ聞いたりしてないか?」
「――なんでそんなこと聞くの?」
とっさに「してない」と言いそびれて、逆にそんなふうに尋ねてしまった。お父さんは困ったように頭をかいた。
「……いや、何でもないよ。それじゃあ塾、ちゃんと行きな」
案の定、お母さんは怒った。でも、夏の間は日曜日も営業しているのをいいことに、お父さんが先に退塾の手続きを済ませてしまってしまったから、もう「文句を言っても仕方ない」みたいなことになった。
「今度はちゃんと通いなさいよ」
口をすっぱくして言うので、わたしも「大丈夫、ちゃんとするから」と大真面目な顔で答えた。実際、ちゃんとするつもりだった。勉強しないとやばいってことは、わたしにもちゃんとわかっているし、ほかの塾にいけば、とりあえずあの黒いものには会わなくてすむ。
それに、新しい塾の夏期講習は午後の二時から始まるらしい。だから、午前中を賀古さん探しに当てることができるのだ。色んなことが上手く回り始めた気がした。ただ、
(賀古さん、元気になってるといいけど)
それだけが心配だった。
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