10
まるで小さいころからよく見ていたものみたいに、賀古さんのポシェットを一瞬で見分けられた自分は、あとになってよく考えてみるとけっこういやな奴だった。賀古さんじゃなくて百円玉の方が大事だって思ってることがわかってしまう、そういう行動だ。でもそのときは、本当に見つけることができてよかったと思った。
わたしは児童公園の前で、自転車をとめて入口で立ち止まっていた。ポシェットを肩からさげて、公園のベンチから立ち上がったのは賀古さんじゃなかった。小学三年生くらいのやせた男の子だった。わたしが大きな声で「あっ!」と言ってしまったので、その子はこっちを向いた。
どうしよう。話しかけるべき? 決め手はポシェットしかないのに? 何て言って話しかけたらいい? でもあんな古いポシェットめったにかぶらないだろうし、そもそも男の子が持ちたがるようなデザインじゃないし、でも――と頭の中がぐるぐるした。そのとき、男の子が自分からこっちに走ってきて、「もしかして泉ってひと?」と話しかけてきてくれた。
「――あ、うん。泉です。葛西中一年二組」
とっさにそこまで自己紹介したのは、この子は賀古さんに頼まれてきたんだ、という確信があったからだった。
「賀古美来の弟です。姉ちゃんが、泉ってひとに会ったら百円わたせって」
男の子はそう言ってポシェットから百円玉を一枚取り出し、わたしに手渡してくれた。ネチョッとする手触りの、あの百円玉だ。
男の子はわたしよりもずっと背が低くて、どうしても下から見上げるような感じになる。その目付きが賀古さんに似てるなと思った。
「あ、ありがとう。その、賀古さんは?」
「オレも賀古さんだよ」
まぁ、それはそうだけど。改めて「お姉さんの方の賀古さんは?」と聞くと、弟くんは「今日は休み」と答えた。
「お休みなんだ。風邪とか?」
「ちがうけど、今日はダメだから」
そう言いながら、弟くんは車止めの上に百円玉をひとつ置いた。それからダメ押しするみたいにもうひとつ。
「なんでダメなの?」
「ダメになる日があんの。仕事は毎日あるけど、人間は毎日いいわけじゃないから」
「そっか」
言っている意味がよくわからないけど、あまり深く聞いてほしくなさそうに見えた。
とにかく、賀古さんが弟くんにわたしのことを教えておいてくれたのはありがたい。それがなかったらあのまま声をかけそびれていたかもしれないし、そしたらわたしの今日の分の百円玉はナシになってしまう。
「そのバイトって、毎日やってるの?」
「そう、毎日。毎日やんないとお金足りなくなるから」
「そうなんだ……」
そんなにお金必要なことってあるかな? 賀古さんたちのお父さんやお母さんは何をしているんだろう――そう考えていたことを読まれたみたいに、弟くんに言われた。
「父さんも母さんもダメんなっちゃってるから。だから姉ちゃんもダメな日は、オレがやるしかないじゃん」
「そうなんだ――あの、弟の方の賀古さんって、葛西小?」
「うん。三年」
「そっか。大変だね、働いてて」
「まぁ、しょうがないよね」
小学三年生ってこんなだったっけ、と言いたくなるような口調だった。大人っぽいっていうか、すごく疲れてるときのお父さんみたいな感じの言い方だ。
あんまり事情を深掘りされたくなさそうだったけど、ちょっと弟くんにくっついて歩くことにした。弟くんは賀古さんがやってたみたいに、ポシェットから百円玉を出して植え込みの近くに置いたり、歩行者用信号機のボタンの上にのせたりしながら歩く。
それにしても暑い。暑すぎて今年は蝉の声もあまり聞こえない。外に出てる人もいなくて、静かで、わたしたちは影絵の中を歩いてるみたいだった。
「お姉さんの方の賀古さんって、ケータイとか持ってないの?」
「持ってない」
「どこに住んでんの?」
「個人情報だから教えない」
「弟の方の賀古さんはさ――」
「それめんどくさい呼び方だから、オレのことは
「わかった、太一くんね。わたしは……」
「泉さんは泉さんでよくない?」
「……じゃあそれで。よくわたしが泉だってわかったね?」
「姉ちゃんが、百円玉すごくほしがってるひとがいるって言ってたから」
――恥ずかしいな。そんな前のめりだったのか、わたし。
太一くんは「あとさー」と続ける。
「なんか不安そうなひとだって言ってた。なんにも困ってなさそうなのに、いつも不安そうなんだって」
ぎょっとして、一瞬足が止まった。賀古さんはわたしのことを一体どこまでわかっているんだろう?
「――太一くん、賀古さんに会いたくなったらどうすればいい?」
「姉ちゃんの方の? さがすしかないんじゃない?」
太一くんはぽいっと放り投げるような口調でそう言った。
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