06

 一応家に電話をかけると、予想どおり昼食は用意していないという。だからわたしは安心して賀古さんについていくことにした。

 賀古さんは町中の、けっこう広い範囲に百円玉を置いていた。小学校の裏門に置いて、少し歩いたところの自販機に置いて、看板が色あせたカラオケボックスの入り口の階段に置いて、それでもまだポシェットの中からはチャリチャリと硬貨がぶつかりあう音が聞こえた。徒歩の賀古さんにあわせて、わたしは自転車を押して歩いた。

「バイトって、おうちの手伝い?」

「違う。知り合いの」

 どんな知り合いの何なのか、賀古さんは言いたくなさそうだったので、わたしも聞かないことにした。

「この百円玉、何なんだろうね」

「さぁね。ねぇ、まだ持ってんの? 早く使ったほうがいいよ」

 ちょうど少し行ったところにスーパーがあった。わたしはそこでペットボトルのお茶を一本買い、賀古さんはパンや飲み物を買ってポシェットの中の百円玉で支払った。トレイの上に十枚以上の百円玉が並び、レジ係のおばさんはちょっといやそうな顔をしている。

「お昼、泉さんも食べない? 多めに買ったから」

「いいの?」

「金使うの、バイトの一環だし」

 正直助かった。お昼ごはんをどうするかなんて、全然考えていなくてお腹が鳴りそうだった。わたしたちはスーパーの前のベンチに座って、賀古さんが買ったパンを食べた。すぐ近くにキッチンワゴンが停まっているけど、もうここ何年か営業しているところを見た覚えがない。置きっぱなしにされて、ピンク色の塗装が全体的にうすくなっている。

「賀古さんて、勉強どこでしてるの?」

「してるように見える?」

「ごめん」

 とっさに謝ってしまって、かえってイヤなやつだったかなと思ったけど、賀古さんは笑った。これ一緒に笑っちゃっていいやつかな? でも結局わたしもつられて笑ってしまった。百円玉のことはもちろんだけど、賀古さんとこんなふうに話すことができてよかった――そう思って少し胸が痛んだ。

 賀古さんといると、なんだか楽だった。たとえば賀古さんになら「わたし、体中の血管がつながってるのが怖いんだよね」みたいな話をしても、変なやつって思われないような気がした。


 スーパーの駐車場に百円玉を一枚落として、わたしたちが通ってる中学校の正門の前にも三枚置いて、そこでおしまいになった。

 賀古さんはポシェットの中を確かめると、「じゃ、終わったから私帰るね」と言って、あっさりと帰ってしまった。「またね」と言うと、「またね」と返ってきた。わたしたちはちょっとの間手を振りあった。

 賀古さん、帰っちゃった。

 わたしは自転車を押したまま、家に向かって歩き出した。なんとなく、サドルにまたがる気分になれなかった。賀古さんと別れてしまうと、今までちょっとだけ忘れていた太陽の日差しがまたガンガン照りつけてきた。

(暑い……)

 わたしはふと、ポケットの中に手を入れてみた。

 ネチョッという手触りがした。その感覚を確かめてから、わたしは自転車のハンドルをにぎり直す。

 さっきスーパーで支払いに使ったのは、わたしが元々持っていたお金だった。

 賀古さんにもらった百円玉は、まだ使っていない。

(早く使った方がいいよ)

 賀古さんはそう言っていたけど、せっかく手に入れたんだから、気持ちいい瞬間をもう少し引っぱってみたい。

(賀古さんには秘密にしなきゃ。もしもばれたら、もう百円玉をくれたり、一緒に歩いたりしてくれないかもしれない)

 そんなことを考えながら歩いていたら、いつの間にか学習塾の近くに来ていた。二階建ての建物で、エントランスには去年の合格実績をプリントした紙がびっしり貼られている。

 最近さぼってばかりだから気まずい。夏期講習はないけど、塾自体は今日もやってるはず――そう思ってふと視線を上げて、後悔した。

 二階には教室がある。その窓のすぐ外に、なにかが立っていた。

 それはまるで黒い綿を丸めて寄せたみたいな、あいまいな人の形をしていた。でもそれが通りに背を向け、教室の方に顔を向けて中をのぞいているということは、どうしてかわかる。

 それに気づかれたらよくないということも、なんとなく見当がつく。

 わたしは目をそらした。見ていることがばれたらまずい。ゆっくり歩いているのが怖くなって、とうとう自転車にまたがった。

 早くあそこから離れたくて、一所懸命自転車を漕いだ。振り返って、もしも後ろにあれが乗っていたらどうしよう。そんなことを考えると、不安で吐きそうになった。つばを飲み込み、必死でペダルを踏んだ。

 いやだな。あいつ、まだいるんだ。

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