02

 賀古さんのフルネームは賀古美来かこ みらいっていう。覚えやすいけど本人は「冗談みたい」って嫌がっていて、わたしにも名字で呼んでほしいと頼んだ。

 賀古さんは近寄りがたい。猫背で首が長くて痩せていて、肩にかかるくらいの髪をいつも雑にくくっていた。クラスでひとりだけ使い古して色がうすくなったブレザーを着ていて、一年生の一学期だっていうのにスカートはもうテカテカだった。でもなんとなく迫力があるというか近づきがたいというか、とにかくいじめられたりはしなかったはずだ。みんなから避けられていて、賀古さんもそっちの方が居心地いいみたいだった。

 成績はたぶん中くらい、体育はほとんどサボりで、得意なこととかたぶん特にはなくって、五月の連休が明けたらもう学校に来なくなっていた。賀古さんはそういう子で、だから、元々そんなに仲がよかったわけじゃない。


 わたしは小六から塾に通い始めた。ちなみにそのころ賀古さんのことは存在すら知らなかった。別の小学校に通う彼女がどんな子だったのか、そもそもろくに通ってなかったのか、色んなことをわたしは知らない。

 とにかくそれから時が経って時期は中一の夏休み、塾通いは二年目に突入していた。通ったからといってめきめき成績がのびるわけじゃないけど、通うのをやめたらガンガン落ちるかもしれない。そう思って真面目に通っていた。夏期講習の途中まではそうだった。

 でも、途中で「どうしても行きたくない理由」ができてしまった。

 塾に行きたくない。でもどんな理由があるのかって、そんなことは親にも先生にも言えない。今まで真面目に通ってたんだし、こんな理由通るわけがない。だから、だまっていた。そして、夏期講習をさぼるようになった。

 さぼるのは簡単だった。「カゼひきました」って電話を塾にこっそりかけて、親には「夏期講習行ってくる」って言いながら外に出てしまう。あとは自転車に乗って、塾が終わるくらいの時間になる前に、あちこちをうろうろしてから戻るのだ。

 ひとりぼっちだったけど、ちょっと楽しかった。何の目的もなく知らない家ばかりの住宅街を走ったり、公園の中を歩き回ったりした。そうやって時間をつぶしてからそれっぽい時間に帰ると、お母さんはふつうに「おかえりー」なんて言って、塾さぼったでしょとかそういうことは一切聞かれなかった。だから、こうやっていればやりすごせるって思ってしまったのだ。


 その日はものすごく暑かった。道路からゆらゆら立ちのぼる陽炎が見えるくらい、セミも鳴かないくらいの暑さだった。自転車をこいでいるとだんだん頭が痛くなって、本当にあぶないかもと思って休むことにした。

(これじゃ今から急いでも、夏期講習には大遅刻だな)

 どうせさぼるつもりのくせに、そんなことを考えた自分がなんだか可笑しかった。

 自販機で飲み物を買って、おつりのところに手を入れた。そのとき(多いな)と思った。百円玉を二枚入れて五十円戻ってくるはずなのに、手の中には百五十円ある。百円玉がひとつ多い。

(前に使ったひとが取るのを忘れてったのかな)

 そんなことを考えながら、わたしは手にのせた百円玉を眺めた。

 たった百円のために交番にいくなんてめんどう過ぎ、でもだからといってお金はお金で、捨てておくのも惜しい。けっきょくわたしは、自分の五十円玉とあわせて百円玉を一緒にポケットに入れることにした。

 小銭をはさんだ右手の人差し指と中指を、ズボンのポケットの中に入れる。それから指だけを抜き取るとき、指先がなにかねちゃっとしたものにさわった。

 慌てて手を出してみた。何ともない。何かがくっついているわけでも、おかしな匂いがするわけでもない。

 でも、さっきの手ざわりには妙な現実感があった。

 わたしはもう一度ポケットをあさってみた。さっきの「おつり」に手が触れる。

 ねちゃねちゃしたものなんか何も入っていない。百五十円と、あとは小さなゴミくらい。でも気のせいにできなくって、どうしようか悩んだ。

 それでふと(ポケットの中身を空にしちゃおう)と思った。ゴミをはたいて、百五十円はさっきの自動販売機に入れる。硬貨はペットボトルの麦茶に変わった。

 このとき、なぜか「ほっとした」のを覚えている。


 こんなことがもう一度、そう間を置かずに二回も起きた。

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