第3話 迷走

 スラム街に足しげく通うアダムに、カナリアを始め、ワーカーも、その宿主であるイカルも良い顔をしなかった。


「もう、このホテルで静かに暮らそうよ。お金ならいくらでもワーカーが持ってきてくれるから。だから、アダムももうスラム街に関わるのはやめて」


 その金の出所がアダムには未だによく分からなかった。多分、かつてのエバンス家の資産をワーカーが海外の銀行に移して運用しているのではないだろうか。だが、そのことを詳しく聞き出すことに、アダムは抵抗を感じていた。それに、ワーカーやカナリアが彼に話すわけがないことにも気づいていた。


「イカルがエバンス家の資産をどう使おうと、俺は口は出さないが、俺の行動にまで、干渉されるのはごめんだ」


 最新式の自動運転車は、どうしても好きになれない。アダムはここに来てから手に入れた中古のバイクに乗ると、エンジンをスタートさせた。バイクのピードが上がった瞬間、加速とともに胸のつかえが吹き飛んでいった。


 ホテルのある山からスラム街まで、バイクなら30分とかからない。夏の風を受けて山道を走っている時は、心が弾んだ。

 しばらく走ると急カーブのある岸壁に差し掛かる。アダムはいつもここにバイクを止めて小休止をする。


 時刻は正午。真夏のぎらつく太陽の熱さも、眼下の海の風が冷ましてくれる。

 西の方向にはアダムが生まれたスラム街の港、ナイトフォールが小さく見えていた。反対の東側には首都ルナシティの摩天楼のビルが見える。


 ここはまるで天国と地獄の境目のようだ。そして、あの山の中のホテルは、そのどちらにも属さない空白の場所なのか。


 アダムは目を細める。崖の斜面に生い茂るイチイの木の緑が瑞々みずみずしかった。

 だが、ここはイカルの継母が車でダイブして死んだ場所でもあった。イカルはこの場所を車で通りすぎる時、いつも目を閉じている。けれども、アダムはここから見る景色を気に入っていた。


 そういえば、バイクに乗る時、メイドから小さな紙袋を強引に渡された。


 それを思い出して、アダムは袋を開けてみた。中にはメイドが作ってくれたサンドイッチが入っていた。


『マネージャーって、こうでもしないと、ろくな食事をしないから。ちゃんと食べないとだめですよ』


 アダムは、マネージャーと呼ばれることにはもう慣れたが、カナリアがホテルで雇った連中にあれやこれやと入れ知恵をしているらしく、やけに彼らが世話をやいてくるのには閉口していた。

 雇い人たちの前ではイカルはいつも奥にいて、アダムと一緒の時以外は、カナリアが対応しているように思えた。ちなみにワーカーは常にリモートで指示を出していた。


 アダムは、サンドイッチを一口食べる。


「美味いな」


 ルナシティのお洒落なカフェのものとは、見かけもボリュームも雲泥の差だが、なぜだか懐かしい味がした。


*  *


 デイブレイク駅の駐車場にバイクを停め、頑丈にバイクロックをかけたアダムは、街の中心へ歩を進めた。ロックがあっても盗まれる時は盗まれる。ここから先は、違法がはびこるスラム街だからだ。それでも、何もしないよりはましだった。


 駅の横を過ぎると、四階建てのアパートが見えてきた。それは、三年前にアダムが恋人のジュリエットと一緒にイカルを保護していたアパートだ。

 ジュリエットが死んでからしばらくは、アダムはこのアパートに近づけなかった。だが、今、このアパートの前を通り過ぎると、ジュリエットがまだいて、彼女の明るい声がアダムを呼ぶような気がしてしまう。彼らが住んでいた四階を見上げて、アダムは苦い笑いを浮かべる。


「馬鹿みたいだ。俺は何をやってんだろうな」


 小さく息を吐くと、アダムは薄汚れた路地を歩いてゆく。山をバイクで走り抜けた時の爽やかな夏風はここには吹かず、ぎらついた夏の日差しと、腐ったゴミの臭いが空気を淀ませている。

 ひび割れた建物の階段にたむろする、薬に酔った浮浪者たちを横目にアダムは、スラム街の中心にある広場まで歩いていった。

 すると、彼を見つけた数人の子どもたちが、アダムの元へ駆けよって来た。



「あっ、記者のデビッドだ!また取材に来たの?」


 彼らはこの辺りのマンホールで生活する”マンホールチルドレン”と呼ばれる子どもたちだった。


「でも、あんたが探している“名無しの子”は、ここにはいないよ」と、一人の子どもが言った。


 アダムは偽名の”デビッド・ラカム”を使い、スラム街の取材を行うジャーナリストを装っていた。スラム街を取材する記者なら、あちこちを訪ねても怪しまれないだろうと。彼は過去に自分を助けてくれたマンホールチルドレンを探していたのだ。


『その名無しの子を見つけて、いったい、どうするつもりなの? まさか、その子の面倒まで見るつもりじゃないよね?』


 カナリアは渋い顔をしたが、アダム自身も自分の気持ちがよく分からなかった。


 ただ、あの子にもう一度会えば、自分の将来の展望が……今は見えなくなってしまった本当の夢が、見つかるような気がして。


 その時、マンホールチルドレンの一人がアダムの袖を引っ張って甘えた声を出した。


「ねえ、ねえ、デビッドっ、今日は僕の誕生日なんだ。ケーキが食べたいな。あんたが探している”名無しの子”を見つける手伝いをしたんだ。だから、そのお礼に。ねっ」


 期待に満ちた目で、その子は汚れた顔に一生懸命の笑顔を浮かべてアダムに言った。

 外から来た人間なら、この無邪気な笑顔にコロリと騙されてしまうだろう。しかし、アダムはスラム街出身だ。この手の笑顔には裏があることを知っている。

 アダムは苦い顔をした。すると、その子の隣にいた別の子どもが言った。


「おい、お前、先週も同じこと言って、あの政治家にケーキを買ってもらったじゃないか。デビッド、騙されちゃダメだよっ」


 アダムは黙ってうなずいたが、

「政治家?」

 と、その子どもの言葉に眉をひそめた。


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