第2話 アダムとカナリア

「そんな怖い顔をしないでよ。せっかくのイケメンが台無しじゃないの」


 アダムは風貌は、ルナシティ警察時代とは違っていた。今は、肩まで伸びた黒髪を後ろで一つに縛り、自室以外では、薄いグレーのサングラスをかけるようにしている。

 浅黒い肌は隠しようがなかったが、切れ長の鋭い瞳が直接に誰かに向けられることはなかった。


 カナリアは、アダムに歩み寄り、彼のサングラスをはずすと、「これは吸いすぎ」とアダムの口からIQOSアイコスを引っこ抜く。


「やめろ。カナリア、お前、最近、俺になれなれしすぎるぞ」


 いたずらっぽく笑う少女。その仕草がアダムにジュリエットを思い出させる。

 カナリアの顔も、銀髪も、青い瞳の色も、ジュリエットとは全く違う。ジュリエットの髪は小麦色で、瞳の色は青緑色マカライトグリーンだった。


 それなのに、死んだ恋人がまるで傍にいるようで、アダムは気に食わない反面、それが癒しになってしまっているのを否定することはできなかった。


 だが、カナリアはイカルが自分の中に作り出した別人格であり、ジュリエットではない。

 ただ、不安定なイカルの精神を安定させているのは、このカナリアがイカルの持つ他の人格を統制しているせいなのを、アダムは知っていた。それは、カナリア本人から聞いたことだ。


 アダムの前で自分の名前を初めて名乗った時、カナリアは言った。


*  *


「私の名前はカナリア。あなたの恋人だったジュリエット・カナリアに憧れたイカルが作り出した別人格。イカルの別人格のとりまとめにしているのが、この私ってわけ」


 その言葉にアダムは驚くばかりだった。だが、イカルの内面を知ることができるのはありがたかった。


「ということは、お前がイカルの複数の人格のリーダーだというわけか」


「リーダー? う~ん、ちょっと違うかな。それぞれの人格は私の言うことなんて聞かないもの。でも、私はイカルの心の中にいる他の人格をすべて知ってるわ。彼らがどこで何をしたかってことも。イカルが記憶していないそのすべてを」


「……何人なんだ? イカルの中にいる人格は!?」


「あなたもその中の何人かは知っているはずよ」


「ワーカーか」


「そう。彼女はエバンス家の秘書。イカルが事務部門を任せるために作り出した人格。ワーカーはとても賢くて優秀。ちょっと融通がきかないところが私は苦手だけど。そして、もう一人の人格はとても、危険。イカルの恐怖や怒りをすべて、背負っている。彼はイカルを守るためなら、何だってする。たとえ、それが殺人であっても……」


 アダムは一瞬、口を閉ざす。


「彼? イカルは少女なのに、お前はあえて、彼といったな。そいつも俺は知っているぞ。それは、イカルの父と母に虐待されて、父を殺し、母を自殺に見せかけようとバルコニーに細工をした少年のイカルだな」


 鋭くアダムは窓の外を見る。そのバルコニーは改装工事が行われていて、ホテルに改装されたエバンス邸には今はなかったが。


「あのバルコニーの工事を施工業者に依頼して、取り外させたのはワーカーよ。私たちはイカルを守るために存在するの。あの娘の嫌がることは排除する」


「イカルはお前たちのことをどこまで知ってるんだ? イカルはお前たちと意思を通わすことができるのか」


「イカルが知っているのは、少年のイカルだけよ。私たちは彼のことをハーヴィ(薬草)と呼んでいるわ。知っていてもイカルとハーヴィは意思を通わすことはできない。私はワーカーともハーヴィとも会話することはできるけれど、命令することはできないわ」


「イカルの別人格は、ワーカー、カナリア、そして、ハーヴィ、その三つということか」


 カナリアは微妙な笑みを浮かべて言った。


「いいえ、まだ、いるわ、私はその子を知ってる。小さな小さないつも泣いている女の子。でも、私が呼びかけてもその子は答えない。もしかしたら、人格といっても泣く以外の感情は持ち合わしていないのかもしれない」


 イカルは、感情が高まると、突然、魂が抜けたように口を閉ざすことがある。その時にあいつの表面に現れるのが、その子どもなのかもしれない。


 その小さな子どもの人格が、すべての痛みや悲しみを背負っていてくれるおかげで、イカルの精神が保たれている……というわけか。


アダムが考え込んでいると、カナリアが言った。


「私はその子とはまったく意思を通わすことはできない」


「イカル、ワーカー、カナリア、ハーヴィ、小さな子供。イカルの人格はその5人か。放っておいてはいけないな。だが、どうすればいいんだ」


 カナリアは少し黙り込むと、小さく笑って言った。


「私はイカルは一つにならなければならないと思ってる。私はどの努力をしている。けれども、人格たちの意見はバラバラでちっともまとまらないのよ。イカルはどんどん成長してゆくっていうのにね」



*  *


 カナリアとあの会話を交わしてから三年の月日が経った。


 アダムは時計に目をやると、がたんと席を立って言った。


「今日は行かなきゃならない所がある。カナリア、カーニバルに行きたいなら、イカルのことはお前に任せた。ワーカーに連絡を取って車の手配をしてやってくれ」


「もうっ、無責任なんだから。アダムはイカルの保護者なんだから、ちゃんと付いていってやんないと」


 苦い顔をしたアダム。それを見たカナリアは、


「それに、行かなきゃならない場所って……また、スラム街へ行くの?あの笛をくれたマンホールチルドレンを探しに?」


 アダムはその質問には答えず、出口へ向かう。その背中ごしにカナリアは言った。


「帰って来たら、ちゃんと話を聞いてくれる? イカルの将来のためにアダムに相談に乗って欲しい事があるの」


 アダムはそれを聞いて面倒事かと顔をしかめたが、振り返らず、少し手をあげてそれにこたえる。そして、ドアを開けて外に出て行った。


 カナリアは一人残された部屋で、深くため息をついた。彼女はイカルの中で最も強い意志を持つ人格だが、それでもイカルの心の中で起こる葛藤には手を焼いていた。


*  *


「いっそのこと、私がイカルをのっとってしまおうかしら」


 その方が、アダムだって喜ぶかも。

 

 だって、なんだもの。



 けれども、カナリアは息を吐き、感情の主導権を元のイカルに返すことにした。そして、イカルの心の奥に戻っていった。


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