プロローグ


 光を掴み取ることを夢見ていた。


 けれども、

 光の中には絶望しか見つけられなかった。


 ”俺たちは人生を逆転させるんだ”


 その言葉の意味が、今はもう分からない。


 ジュリエット


 どの道を行けばいい?


 俺は迷い続けている。


 出口が見えないこの場所で。



*  *


 アダム・M・フィールズは、ルナシティ警察の新人刑事だった。それは、彼が強く望み、憧れ、やっとの思いで手にいれた職業だった。


 だが、署内で傷害事件を起こし、恋人のジュリエットも住む場所も失ったアダムは、彼が保護していた子どものイカルを連れて、スラム街にある故郷 ― 焼け焦げたフィールズ児童支援施設 ―の前に再び戻って来た。

 同僚に重症を負わせ、殺人犯のリア・バリモアの脱獄劇に加担した自分が、ルナシティ警察に再び戻れるわけがない。


 だが、この先、貧困と暴力がはびこる危険地帯スラムで、まだ、9歳のイカルと共に生き抜くことが出来るのか?


 それが、本当に俺が望んでいた未来なのか?


 アダムは迷った。


 彼らの前に一台のメタルシルバーの車が止まったのは、その時だった。運転手がいらない最新式のLv.5の自動運転車だった。


「大丈夫です。家も食べ物も十分な用意ができます。その点ならお任せください。どうぞ、その車にお乗りください」


 傍らにいる少女 ― イカル・エバンス ― の口から流れ出た大人びた女性の声。アダムは、ぎょっとそちらに目を向けた。


「お前は誰だ!? イカルではないな」


「私はエバンス家の秘書です。邸宅の管理を任されていました」


 エバンス家の秘書? しかし、当主を失ったエバンス家は政府に没収されて、今はもうないはずだ。


 しかし、イカルは感情のない目でアダムを見つめて、言葉を続けた。


「私はイカルではありません。私の名はWorkerワーカーと申します。イカルは私の中に眠っています」


 ― 多重人格者 ― 


 イカルが時折見せた奇妙な振る舞いに、薄々は感じ取っていた。しかし、アダムがそれが真実だと確信したのは、この時が初めてだった。


 ワーカーは、彼らの手前に止まった車の扉を開くと、


「ここにいては、いずれは、あなたはルナシティ警察の拘置所に逆戻りです。それが、嫌なら、どうぞ、この車にお乗り下さい」


 そう言って、アダムを車の中に誘導した。


「ワーカー……? お前は、イカルの中にいる別の人格なのか」


 アダムが問いかけると、少女は静かに頷いた。


「はい。私はイカルの中にいる人格の一人です。イカルは、私たちの中で最も弱い人格です。彼女は、父親と母親から虐待を受けていたことで、心が壊れてしまいました。その時、私たちが生まれたのです。私たちは、イカルを守るために存在しています」


「イカルを守るために……?」


 アダムは、ワーカーの言葉に疑問を感じた。イカルを守るために存在しているのなら、なぜ、イカルはいつも何かに怯えていたのか。あの子どもは、自分の存在に意味を見出せないでいる。その原因は、自分の中にいる別の人格に苦しめられていたからではないのか。


「お前たちは、イカルを守っているのか。それとも、苦しめているのか」


 すると、ワーカーは、アダムの目を見て言った。


「その問いに答えるとすれば、私たちは、イカルを守っています。イカルは、この世界に適応できない人格です。あの子は、常に恐怖や痛みに怯えています。私たちは、彼女に代わってこの世界に立ち向かい、必要なものを得るために存在しています」


「必要なもの……? 」


 アダムは言葉に詰まった。すると、ワーカーは、アダムの迷いを見透かしたように笑みを浮かべた。


「イカルはあなたが好きなのです。だから、あなたが苦しむのを見るのは、私たちも辛い。イカルの気持ちを私たちは尊重します」


 ワーカーは、そう言って、車のドアを開けた。迷いはあったが、今のアダムには他に選択肢がなかった。



「さあ、行きましょう」


 イカルの別人格の”ワーカー”は、そう言うと、強引にアダムの手を引いて、彼を車の中へ押し込んだ。

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