第22話 リアとの攻防

 しばらくすると、寝間着にナイトガウンを羽織ったリアが寝室から戻って来た。つい先ほどまで、アダムに向けていた淫らな態度は影を潜め、彼が持ち込んだファイルに目を凝らしている。それは、一角とはいえ、ルナシティの闇を暴くものだ。


 アダムはダイニングの椅子に座ってその様子を眺めていたが、不意に立ち上がるとリアに言った。


「そのファイルで間違いないんだろ。なら、俺は帰るから」

「帰る…… って言ってもどこから? また、ショッピングセンターの地下10階に戻る気?」

 

 リアは不信感を隠さなかった。いやにあっさりと帰ると言い出した彼もだが、ショッピングセンターは、アダムが追われていた場所だ。警察に追い払われた追手たちが戻ってきているに違いない。今、ここから出れば、捕まるのは時間の問題だ。

 だが、


「こにはもう一つ、出口があるだろ?」


 アダムは淡々と言う。


「そう、ルナシティ警察本部に繋がるエレベーターだ。俺があんたに面会した時に使ったやつだ。深夜でも、警察本部には勤務している奴らがいる。俺が本部にいたって、誰も怪しまない。あの追手たちも、俺が警察本部から出てくるとは思わないだろう?」


「でも、あのエレベーターは登録済の者でないと乗れないわ。だから、せめて、朝までここにいたら?」


 リアは甘い声でアダムを誘う。彼女は、まだアダムを手放したくなかった。それに、彼が何の見返りもなしに、このファイルを置いてゆくわけがない。スラム出身にも関わらず、ルナシティ警察のエリートたちを軽く凌駕りょうがするこの男の内側を知るまでは、帰すわけにはゆかない。そんなリアを見てアダムはくすりと笑った。


「そのファイルと交換条件で、俺は、あんたにスラムの排除を阻止するように頼んだ。あんたは、それを約束しただろ」

「そうだったかしらね」

「とぼけるのは止せよ。そうそう、言い忘れてたけど、そのファイルの内容は俺のパソコンにコピー済みだ。あんたが、今の警視総監である、ベラ・バリモアを失脚させようとしている計画の暴露文と一緒にな。俺が今から24時間以内にそのパソコンを操作しなければ、暴露文は自動的に警視総監あてに送信される。それにはこのVIPルームのことだって書いてある。……だからさ、俺をここに引き留めようだなんて、馬鹿な考えは持たない方がいいんじゃないか」


 アダムは平気で嘘をついた。実は、パソコンに暴露文など入れてはいなかった。……が、もう一押しだとばかりに、彼はわざと声を落として言った。


「正直に言ってしまうと、俺は敏腕刑事としてルナシティ警察の回廊を颯爽と歩く、リア・バリモアの姿にずっと憧れていたんだ。俺はその能力の高さを信じてる。たとえ、その女が今は殺人犯で、虫唾むしずが走る雌豚ビッチになりさがっていたとしても」


 誰がこんな変態女を信じるもんか。けれども、こいつの歪んだ精神は刺激を求めている。だから、褒めて、なじって、こいつの満足感を満たしてから上手く操ってやる。


「確か、監視課には、あんたが買収済みのメンバーがいたよな」


 鋭い眼差しを向けてくるアダム。リアは唇を歪めて笑った。


「何て抜け目ない人。わかったわ。今日のところは帰りなさいよ。管理課に連絡してあげる」


 リアはそう言って、セルフォンを取り出すと管理課に連絡を入れた。そして、アダムを通すように指示する。


「本署のエレベーターホールまで行けるわよ」


 アダムはリアの言葉に無言で頷く。


 リアの部屋を出てゆく若手刑事の襟首に見える赤く細長い痣。それは幼い頃に彼が母親から絞められた扼頸やっけいの痕だ。ごくりと喉を鳴らすと、リアは彼の背中に向かって言った。


「また、会いましょう。アダム・M・フィールズ」


*  *


 アダムはリアの部屋を出ると、胸糞の悪さで床に唾を吐き出した。そこにエレベーターが上の階から下りてきた。音声認証のマイクに名前を告げると扉が開き、すぐに女の声が聞こえてきた。


「こんばんは。アダム・M・フィールズ。こんな夜更けまで、お仕事お疲れさま。でも、またリア・バリモアとの面会だなんて、あんなに可愛い彼女がいるのに、あなたって本当に罪な人ね」


 非難めいた声が、エレベーターの中に響き渡る。


 また、あの時の監視課の女か。ルナシティの高級レストランでジュリエットを揶揄した若い女を思い出して、アダムは顔をしかめたが、その声には無視を決め込んだ。


今は、リアがどう動くかを見極める時だ。

ベラ・バリモアを失脚させて、スラム街の排除を阻止する。それが、ルナシティで目的を失いかけていたアダムが、自分に新しく課した使命だったのだから。


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