第21話 リアの狂気

 殺人犯のリア・バリモアが収監されている部屋は、ルナシティ警察の地下、重犯罪拘置所の一番下にある。しかし、その部屋の窓から見えるのは、ショッピングセンターの地下10階の広場だ。マジックミラーになっているガラス扉の向こう側に、彼女の存在を知る者は誰もいない。


「くそっ、どこに逃げやがった? 探せ、絶対にまだ、この辺にいるはずだ!」


 広場を走り回る男たちの殺気だった声が響き渡る。

 リアの部屋へ逃げ込んだアダムは、カーテンの裏で息を殺して彼らが去るのを待った。 

 騒ぎを知った誰かが通報したのだろう。警察のパトロールカーのサイレンが聞こえ、追っ手たちが階段を駆け上がって行く音がした。


「とりあえずは助かった……か」


 街のごろつき連中の喧嘩だと思ってくれればいいんだが。アダムはふっと息を吐いてから、部屋の中を見渡した。

 時間は午前0時30分。リア・バリモアは、寝室で眠っているのだろうか。それにしては、まだ部屋には灯りがついている……。

 耳を澄ましてみると、シャワールームの方から水音が聞こえてくる。


 シャワー中か。まいったな。まずいタイミングで来ちまったかも。


 2週間前、リアとの面会後に自分に向けられた、彼女の誘うような目を思い出して、アダムは、うんざりだと顔をしかめた。まぁ、いいか。盛りの付いた雌猫じゃあるまいし、あの女にだって物の分別くらいはあるだろ。


 それより、あの女がシャワー室から出てくる前に、やるべきことをやっておかねば。


 アダムは手にした赤いファイルを開いて、その中身にざっと目を通した。それは、警視総監のベラ・バリモアをはじめ、フィールズ児童養護施設とルナシティの上層部が関与してきた人身売買の証拠に他ならなかった。筆頭に自分の名がある。ちっと舌を鳴らしたが、今は隅々まで読み込む時間などない。

 アダムはセルフォンを取り出すと、その名簿をカメラで撮影しはじめた。コピーは撮っておかなきゃな。


 すると、シャワーを浴び終えたリアが浴室が出てきた。濡れた髪にタオルを頭に巻き、バスローブを身に着けている。


「何の騒ぎよ? 外がやけに騒がしかったけど……」


 だがそれと同時に、カーテンの傍に座り込んでいる男の姿を目にして、ぎょっと目を見開き、あっと声をあげた。


「アダム・M・フィールズ! あなたっ、そこで何してんのっ!いったい、どこからここに入ったの!」


 眉根をつりあげて睨みつけてくる女に、アダムは肩を竦めてみせると、ガラス扉に付けてある音声認証のマイクを指さして言った。


「緊急事態でさ、深夜に悪かったけど、あれを使って入らせてもらった」

「何ですって? でも、あれは私の声でないと認識しないはずよ」

「あんなの、ちょっと細工すれば、録音音声でも簡単に突破できるぜ」


 そう言って、アダムは自分のセルフォンを操作し、


 “リア・バリモアよ。扉を開けて”


 その音声をリアに聴かせて、くすりと笑った。


「呆れた。でも、誰かに追われてまで、こんな時間に、ここに来た理由は何よ? 」


 リアはぺろりと舌なめずりをすると、いやに艶めかしく瞳を輝かした。


「もしかして、私に邪険にしたことを後悔して、今夜はその償いに来てくれたのかしら」


 バスローブの帯を解き、わざとらしい笑顔でアダムに近づいてくる。


 案の定だ。気色の悪い展開になってきやがった。アダムはふんとリアを鼻で笑うと、軽蔑交じりの目を彼女に向けた。


「こっちに来るな、雌豚ビッチ!あんたの色事の相手をする気は俺にはないからな」


「あらあら、酷い台詞。でも、何だかゾクゾクする。私ってね、実は、エリート刑事より、スラム街仕様のアダムくんの方が好みなのよ。その汚い言葉もカミソリめいた目も」


 リアの青い瞳が、異様に艶めかしく輝いている。唇を舌で舐めながら近づいて来る姿は、まるで、獲物を狙う蛇のようだ。


 何だ? この女、マゾヒストか? それに、突然、豹変させた今の態度も……その時、アダムははっとリア・バリモアが5人の少女を殺した快楽殺人犯だったことを思い出した。やはり異常なのだ、この女は。姉のベラ・バリモアがスラム街を潰したがっているという話に気を取られていたが、冷静にならないと、俺自身までこいつの狂気の中に巻き込まれてしまう。


 アダムはふうと息を吐くと、これまでと打って変って、落ち着いた態度で、ゆっくりと立ち上がった。白い胸元を露にしたリア・バリモアが彼に手を伸ばしてくる。だが、アダムは上着の内ポケットから赤いファイルを取り出すと、それをリアに付きつけて言った。


「その恰好じゃまともに話もできない。だから、さっさと服を着てこいよ。俺はあんたの相手がしたいんじゃない。ベラをさっさと潰してしまいたいんだ」


 そのとたんに、ぎらついていたリアの表情が変わった。


「それ、ベラの人身売買の証拠のファイルね?! すごいわ、こんなに早く手に入れるなんて 」


 待っていてと、そそくさと着替えを取りに寝室に消えていった女の背中をアダムは苦い表情で見送る。


 あんな女に協力して、俺は本当にスラム街を救うことなんてできるのか?

 それでも、今はベラを潰すことが先決だ。だが、その先は……。


 目に見えない負の圧力がのしかかってくる。アダムはその気持ちを払いのけるように強く首を横に振った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る