第20話  疑惑と逃走

 アダムと別れてCity Cabに乗ったジュリエットは、不安な気持ちを払いきれなかった。


 彼女がアダムに手渡したのは、フィールズ児童支援施設の教官が、施設の子どもたちを人手不足の業者に売り飛ばしていた証拠のファイルだ。

 メインストリートを下り、街の華やかさが消えてゆく車窓を見ながら、ジュリエットは思う。


 あのファイルを私に預けたマッドの狙いは分からない。でも、マッドは危険人物だ。あの男は薬に溺れて……いつも、何かを壊すことしか考えていない。

 けれども、それを、アダムに渡してしまうだなんて……


「私、やってはいけないことを、してしまったのかも……」


 こみあげてくる後悔が、ジュリエットの胸を苦しくさせた。


 その時だった。


「お客さん、 今夜はめっちゃ、綺麗じゃないですか。デイブレイク駅でいいんですか? なんなら、あんたのアパートの送ってあげようか」


 運転手が、City Cabのスピードを急に上げたのだ。聞き覚えのあるしゃがれ声。ジュリエットの背筋に戦慄が走った。


「マッド! なんであんたが、ここにいるのよ!」


「アダムくんを監視してたら、お前ととデートしてるのを見ちゃってさあ。ラブラブなシーンを見せられて、気分が悪くなったぜ」


 マッドの白濁した目が苛ついている。


「全く、ひどいことをしやがるなぁ。お前を信じて預けたファイルを、あいつに渡すなんて。それに、ショッピングモールで俺を虚仮こけにしやがった、あの子どもの件もあるしな……そのことも、じっくり、お前のアパートで話し合おうじゃないか」


「駄目よ! 話があるなら、他の場所にして! それに、イカルはもうあそこにはいないわ。アダムがルナシティ警察を通して話を決めた里親にもう引き取られてる!」


「へぇ~、そう?」


 マッドはジュリエットの言葉をふんと鼻で笑う。ジュリエットが、アダムとあの子どもをかばっているのがバレバレだ。

 顔色を青くして後部座席で震えているジュリエットに、彼は言う。


「アダムのことは心配しなくても、今頃、俺の仲間がシメてる。なぁに、あのファイルを取り返したら、ちゃんと解放してやるさ。だたし、腕の一本くらいはへし折られるかもしれねぇがな」


 高速道路を下りたとたんに、煌びやかな街の灯りが薄暗い街頭に色を変えた。デイブレイク駅が近づいて来る。

 マッドはジュリエットのアパートに乗り込むつもりだ。イカルの秘密を彼に知られたら、どんな悪事に利用されるか分かったものではない。それだけは止めさせなければ。


 ジュリエットは、マッドに知られぬように、後ろ手でセルフォンを操作した。勘だけで、イカルに向けてメールアプリの文字をフリックする。


” に げ て ”


 世間を騙してまで、イカルを守ろうとしたアダムのためにも。



*  *


 ルナステート88の遊歩道には、夜の帳が降りていた。アダムは、ジュリエットから受け取った紙袋を抱えて困惑していた。


 ジュリエットからは、アパートに帰ってから見ろと言われたが……あの火事の被害者の持ち物を、なぜ彼女が持っていたんだ?

 偶然に手に入れたと彼女は言っていたが、そんな理由はいかにも嘘くさい。


 ここからアダムのアパートまでは、徒歩で20分ほどだったが、少し頭を冷やしてからでないと、帰る気にもなれない。

 アダムは近くにあったベンチに腰を下ろすと、胸ポケットからIQOS加熱式タバコを取り出して口に銜えた。

 遊歩道の街燈の灯の中に、彼が吐いた加熱式タバコの白い気体が溶け込んで消えてゆく。気持ちが幾分、落ち着いたところで、アダムはジュリエットから渡された紙袋を開いてみた。


 その紙袋の中には、赤いファイルが入っていた。


「赤いファイル? これは……何かの名簿か……?」


 その数ページを爪繰つまくった瞬間に、アダムの脳裏に、二週間前に訪ねた重犯罪拘置所での終身刑囚リアとの会話が浮かび上がってきた。

 

『フィールズ児童養護施設の主任教官は焼け出された時に、ベラとの人身売買の証拠になる生徒たちの名簿を持ち出していたそうよ』


 まさか、これが、そのファイルか!?


 その時だった。


「おい、その赤いファイルを渡せ!!」


 後ろから怒号が飛んできた。振り返ると、手にナイフを持った若い男が、こちらに向かってきている。その後方にも複数の男の影が見えた。


 誰だ? こいつら。 まさか……。


「ファイルを渡せって? お前ら、ベラの手先か! 俺とジュリエットを見張ってやがったのか!」


「ベラ? そんな奴は知らねぇ。ごたごた言ってねぇで、さっさと、それをこっちに渡せっ!」


 襲い掛かってきた男を素早くかわすと、アダムは身を低くして男の鳩尾みぞおちに一撃をくらわせた。

 男が苦しげに呻く隙に、するりと身を翻して、中庭に向けて走り出す。


 誰の差し金かは知らないが、こんな奴らに捕まってたまるか!


 アダムが向かった先には、逆三角形に彫り込まれた地下10階のショッピングセンターがある。


 ルナシティは眠らない都市だ。深夜とはいえ、各地下階に点在するクラブやパブ、24時間営業の簡易ストアの灯りはまだ明るく輝いていた。

 男たちが追いかけてくる。アダムは全速力で走ると、地下10階から地上1階までの吹き抜けを降りてゆくエレベーターに飛び乗った。中に他の客がいないことは幸いだった。

 地下10階まで行けば、終身刑囚のリアが収監されている重犯罪拘置所の部屋につながる扉がある。


「そこまで逃げて、どうにかこの場をしのぐんだ!」


 地下10階に高速で降りてゆくエレベーター。それを指さして、男たちが叫び声をあげた。


「緊急停止ボタンを押して、あれを止めろ!」


 地下6階でがたんと停止したエレベーター。ひやりと背筋が凍りつく。アダムは咄嗟に上を見上げた。

 男たちが階段を使ってこちらに向かって来ている。


 アダムはエレベーターの点検用の屋根をこじ開けると、そこから外へ出た。

 エレベーターの周りの吹き抜けには、鉄骨とワイヤーで作られた巨大なオブジェが蜘蛛の巣のように広がっている。その危険な足場を必死に這いずり、地下6階にある階段の入り口にたどり着く。


 急がなければ、上から降りてくる奴らに追いつかれてしまう!


 アダムは、階段を猛スピードで駆け下りていった。体は汗でぐっしょりだ。 そんな彼の姿を見て、追手の男たちは嘲笑をあげた。


「何をやってるんだ、あの馬鹿は。に逃げ場はないぞ。さあ、追いつめてやれ!」


 巨大な空間に男たちの靴音が響き渡る。

 地下10階に着いた時、アダムは息を切らしながら周囲を見渡した。


 リアの部屋はどこだ? 最下層の壁のすべてがマジックミラーになっていて、見かけだけではすべてが同じようにしか思えない。


 思い出せ。二週間前にリア・バリモアに付いて歩いた道を!


 アダムは神経を尖らせて、自分の記憶を探り始めた。中庭の丸テーブル。その後ろにあったオリーブの木……花壇。


「あっちか!」


 アダムは走り出した。


「あいつ、どこに隠れた?!みんな、分かれて探すんだ!」


 追っ手の男たちの声が、近づいてくる。捕まれば半殺しの憂き目に遭うのは確実だ。


「あった!これだ!」


 アダムは、目的の扉の外にある音声認証のマイクを見つけると、自分のセルフォンを素早くそれにかざした。


“リア・バリモアよ。扉を開けて”


 そこから流れる女の声は、アダムが面会の時に録音したリアの声だった。彼女の声に反応する扉の前に立ち、開くのを待つ。 ただ、録音した音声を聞かせただけでは、リアの部屋への扉は開かない。だが、アダムはそれを突破する方法を知っていた。

 成りすまし対策システムが、録音などの機械音声だけに付与する『マーカー』を除去するプログラム。それを使ったのだ。


 ガラスの扉が開き、アダムが中に飛び込んだ直後に、追っ手の男たちが彼のいた場所になだれ込んできた。


「奴はどこだっ?」


 だが、男たちは、地下10階のどこにも彼の姿を見つけることができなかった。

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