第16話 リアの策略
「何が真実で何が嘘なのか。俺には分からなくなってきた……」
アダムは無言で、ショッピングモールを行き交う人々を見つめていた。そんな彼に、リアが背後から声をかけた。
「すごいでしょ。ルナステート88の中庭をくりぬいて、地下10階まで光を届けるなんて。ルナシティはどんどん栄えていくわ。姉のベラは、あっという間にその頂点に立った。それに比べて私は……」
アダムは振り向きざまに、冷ややかな笑みを浮かべた。
「5人も殺した殺人犯が何をほざく。しかも、こんなVIPルームを持ってるというのに。ショッピングだのランチだの、好き勝手にやってろよ。一生、ここで贅沢三昧でさ」
「とんでもないわよ。私はこんな檻の中に、いつまでもいるつもりはないわ」
ふんと軽蔑の色を顔に浮かべて、アダムは言う。
「お前が、金にモノを言わせて行けるようにした”あのショッピングモール”から、勝手に出てゆけよと、言いたいところだか、そうもゆかない理由があるんだろ。おそらく、あんたが自由に動き回れるのは、この重犯罪拘置所のVIPルームと、ショッピングモールの地下1階から地下10階までなんだ」
ルナシティのすべての罪人の足首には、監視用のマイクロチップが埋め込まれている。彼らが許されたエリアから出たとたんに、都市全体に警報音が鳴り、同時に銃殺許可が下る。さすがに、リア・バリモアの金の力も、ルナシティ警察のセキュリティシステムまでは蹂躙できないらしい。
リアはきつい視線をアダムに向ける。
「その通りよ。それに、ベラはここを出てゆく以外は、私には関ってこないけれど、私の行く場所は常に彼女にも見れるモニター画面で監視されているのよ」
「へえ、なら、俺との豪華ランチも、こうやって話している姿も、あっちには筒抜けってわけ?」
だが、リアは、首を横に振った。その頬には歪んだ笑みが零れている。
「まさか、あなたがここに来ていることは、一部の管理者しか知らないわ」
「一部の管理者? あんたが買収した連中って言い直せよ。なるほど、俺がいる間は、ベラのモニターには、大方、リア・バリモアが一人で室内をウロウロする偽の映像が流されてるんだな」
まるで、狐と狸の騙し合いみたいだと、アダムはちっと息を吐く。ってことは、俺と、この女との面会を指示した上司も、エレベーターの中で俺に話しかけてきた管理課の女も、リアの息がかかっていた……ってことなのか。
すると、リアがアダムに声をかけてきた。
「中庭の奥にあるガーデンテーブルまで歩きましょうか。モニターの映像は偽造できても、私の足に埋め込まれたチップの位置情報までは、変えれないの。こんな戸口でいつまでも動かずにいるのは不自然だわ」
アダムに手招きすると、リアは中庭に向かって歩き出した。
背後で閉まった巨大なガラス扉。若手刑事はちらりとそちらに目を向ける。扉の外側にも、内側と同じような音声認識のマイクが備え付けられていた。
リアの部屋には、中庭から中に入る時にも音声認識のチェックがあるらしい。ミラーガラスを使っているのか、中庭からはリアの部屋はまったく見えない。
当たり前かとアダムは思う。買い物客に、ショッピングモールの底と重犯罪拘置所が隣接しているなんて、知れたら大変なことになる。
地下10階に届く陽光の中で、庭に植えられた夏の花々が鮮やかに色づいている。オリーブの木、白いインパチェンスの小花や、赤のサルビア、黄色のヒマワリ。
ガーデンテーブル用の椅子に座ると、リアはアダムにも椅子をすすめ、前より声を低めて話し出した。
「こんな見せかけの美しさで満足しろだなんて、冗談じゃないわ。私はこの逆三角形の檻からは一生出ることができない。飼い殺しみたいなもんよ。おまけにベラは、市議会や司法まで味方につけて死刑制度を復活させようとしている。そうなれば、私は間違いなく死刑になる。今やあの女は警察だけでなく、ルナシティの政治にだって多大な影響力を持っている。でも、好きなんてさせてたまるもんですか。私はあいつを今の高みから引きずり落としてやる」
「……で、俺をここに呼んだのは、あんたの計画に俺を加担させようって魂胆か?あきれた話だな。誰がそんな話に乗るもんか」
アダムはIQOSを胸元から取り出すと、顔をしかめたリアを無視して、加熱スティックを口に
「賢い賢いアダムくんにしては、意外なことを言うじゃないの。何の見返りもなく、私があなたをここに呼んだとでも思っているの」
「金なら俺は受け取る気はないぞ。どうせ、汚い金に決まってる」
「あら、あなたにとっては、これはお金どころの話じゃないはずよ。さっき、私が話したことをもう忘れてしまったの? ベラが中心になって進めている"スラム街浄化政策"。あなたはそれを止めたいとは思わないの? 時は迫っている。ベラを今、失脚させなければ、スラム街は人もろとも、ルナシティから抹殺の憂き目をみるわよ」
リアは上目使いで彼女を睨みつけてくるアダムの視線に、一瞬、身を縮こませる。だが、アダムは黙り込んだままだ。
ベラ・バリモアにとっては、スラム街は、ルナシティにできた癌のようなモノだっと、この女は言った。
くそっ、それでも、俺たちは……ジュリエットも、あのマンホールの子どもだって、もがいてもがいて……死に物狂いで、あの場所で生きてきたんだ。
怒りが沸き上がり、抑えきれない。加熱式タバコから白い水蒸気が立ち上る。それを吐き出すと、胸の痛みが少し和らぐ。アダムはリアを見つめ、やっと冷静な声で言った。
「だが、ベラを失脚させたとしても、殺人犯のリア・バリモアがルナシティ警察のトップに返り咲くことなど絶対にありえない。まかり間違って、そんなことが起きたとしても、スラム嫌いはあんたも同じだろ。俺には絶対に信用ができない」
リアは薄く笑って、アダムに言う。
「ルナシティ警察のトップ? そんなものはもうどうでもいいわ。私が望むのは、この牢獄から抜け出して自由になること。そして、あのベラが地獄に落ちるのを見届けることよ。ついでに教えておいてあげるけど、今の政治家の二番手は革新派でね、スラム擁護派が多くいるわ。ベラと結託している政治家を失脚させて、二番手に政権が渡れば、スラムはとりあえずは強制的に排除されることはない。スラム街には、あなたの恋人も住んでいるんでしょ? 二人で結託して私を騙したあの娘のことよ。あなたは絶対にスラムを見捨てたりしない。その心の奥底には、まだスラムへの愛着が残っている。私にはそれが分かっているのよ」
リアの言うことをすべて信じるわけにはゆかない。けれども、火災に暴動、街を跋扈するスラム狩り。マンホールに逃げ込む子どもたち。刻々と進行しているスラム浄化の動きをアダムも身をもって感じていたのだ。
多少の博打を打ったとしても、この動きを止めることができれば……。
「……で、あんたは俺に何をさせようっていうんだ?」
ようやく、話に乗ってきたアダムに、リアは瞳を光らせる。
「数日前に焼け落ちたフィールズ児童養護施設。そこの主任教官は焼け出された時にベラと契約していた生徒たちのデータを記載したファイルを持ち出していたそうよ。けれども、亡くなった主任教官の遺品の中にそのファイルはなかった。人身売買の証拠みたいなものだもの、ベラの立場は相当悪くなる」
「ファイルって、生徒を主任教官に教育させて、スラム街を潰すためのベラの兵隊に仕立ててあげてるって話の?」
「そうよ。あなたもフィールズ児童養護施設出身者。他の者よりずっとファイルの行方を追うのは容易いはず。だから、そのファイルを探して、私の元へ持ってきて」
フィールズの主任教官が持っていたはずのファイル?
心に何かが引っ掛かる。けれども、アダムはそれには触れず、座っていた椅子から立ち上がった。
「今日のところは、俺は帰らせてもらう。そのファイルの件も色々と調べてみたいし」
* *
重犯罪拘置所のリアの部屋に戻り、アダムが殺風景な面会室に戻ろうとした時だった。リアが突然、彼の腕をとって、その耳元に囁きかけてきた。
「ねぇ、あなたって、まだあのスラム女と付き合い続けるの? いっそのこと、このまま私と組んで、もっと上を目指さない? まだ、時間はあるんでしょ。ここでもう少し休んでゆきなさいよ。奥の部屋だってあることだし」
艶っぽい目をして、リアはアダムの肩に手を回す。彼に顔を近づけると、彼女は甘い吐息をもらして言った。
「あなたのそのカミソリみたいな目。ゾクゾクするわ。それに近くで見ると、とってもハンサムね。あんな底辺の娘にはもったいないくらいに」
リアの真っ赤な唇が、アダムに近づいてくる。
”お前こそが底辺だ”
この女を逮捕した時に俺が言った言葉。こいつはその意味を未だに理解できていないんだな。
アダムは無表情のまま、リアの体を力任せに後ろにつきとばして言った。
「お前はさっさと檻の中に戻れ。そして、そのムカつく顔を二度と俺に向けるな!」
そして、重犯罪拘置所の面会室を抜けて、元来た本署へと戻っていった。
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