第15話 嘘と真実の境目

「俺の支援者パトロンが、ルナシティ警察の警視総監?! しかもあんたの姉だというのか」

 

 アダムは驚きを隠せない。


 ……だが、

 確かに、俺が受けたのは、ルナシティ警察の受験に特化した特別プログラムだった。


”休むことは許しません。スラムの孤児にすぎない、あなたの知能の高さを見込んで、ここまで学習の機会を与えてくれた方がいるのです。その恩義に報うのが、あなたの義務なのだから”


 あの血も涙もない児童養護施設の教官から与えられた学習プログラムや、トレーニングセンターでの特訓。休むどころか睡眠時間でさえも削られたが、俺自身もあのスラム街を出てルナシティのエリート集団に入ることは、千載一遇 のチャンスだと思っていた。


 あの時は、自分の支援者は金持ちの慈善家くらいにしか思っていなかったが……。

 

 俯いたまま黙り込んでしまった若手刑事。彼の戸惑いに愉悦しながら、終身刑囚のリアは食後のデザートを口に運ぶ。 イチゴの果肉が歯にひっかかり、甘酸っぱい汁が舌に広がった。いっそのこと目の前の若者の心臓を、こんな風に噛み潰してしまえば、どんなに気持ちいいだろうか。リアは微笑む。すると、顔をあげたアダムが言った。 


「今思えば、あれは洗脳に近かった。幼かった時の俺は、まともな職についてスラムを出れればそれで良かった。それが、いつの間にか、警官を目指す”夢の道”へのレールに乗せられてしまっていた。でも、仮にそうだとしても、ベラ・バリモアは、何のためにそんなことをしたんだ?!」


 リアはその質問に狐のように目を細めて、アダムに言った。


「内容は違えど、フィールズ児童養護施設で職業訓練を受けていたのは、あなただけじゃないことは、知っているでしょう。ベラ・バリモアはスラム街を憎んでいた。スラム街がルナシティの癌だと考えていた彼女は、スラム街を根絶やしにすることを目論んでいた。

 ベラは教官に金を渡して、スラム街出身の孤児たちを自分の手先に仕立て上げていた。彼女は彼らにルナシティの公的な職場に就かせて、土地感のある彼らにスラム街の情報を探らせたり、暴動を扇動させたりしていた。それは、社会全体にスラムへの嫌悪感と危険感を植え付けるためだった。その結果、スラムを忌み嫌い出した一般人に、『社会浄化』という言葉が広がりだした。自警団と称した彼らが、スラムの人間たちを狩りはじめたのよ。でも、そんなことぐらいで、ベラが満足するとは思えないわ。今もね、あなたも始め、孤児たちは、あの女の大嫌いなスラム街を潰すための兵隊なのよ」


 アダムの脳裏に、イカれたマッドの顔が浮かんできた。あの男もフィールズ児童養護施設の出身だ。火災現場にわざと遅れて来たり、暴徒を煽ったり、彼は、消防士なのに火事には目もくれなかった。そして、暴徒にアダムを襲わせた。


「しかし、俺は違う! 確かに俺もスラム街を憎んでいる。それでも、スラムを潰す手助けなど誰がやるものか!あんな街でも必死で生きて……生き抜いて、いつかは幸せになりたいと、願っている者もいるんだ」


 スラム街のマンホールで出会った名無しの少年の屈託のない笑顔。いつか幸せの国に連れていってくれと、彼はアダムに笛を託した。……だが、あの少年もマッドから電気や水道を引けるマンホールの部屋を提供してもらっていた。

 アダムは混乱した。いや、リアの言葉を鵜呑みにするのは危険だ。この女は平気で人を騙す。


「リア・バリモア!お前の戯言に俺が騙されると思うなよ。俺たちがベラに作られた兵隊だって?! 嘘をつくな! 実際、俺はルナシティ警察の上司から、スラムを潰せなどという命令は、一度だって受けたことはない! 」


 リアは食後酒のアイスワインに口をつけると、憤る若手刑事を上目使いに見て言った。


「そうね、あなたは他の連中より優遇されているのは確か。それは、私を逮捕してくれたあなたに対するご褒美なのかも」


「……」


「ベラ・バリモアにとって、妹のリア・バリモアは邪魔な存在だったってことよ。勘の良いアダム、あなたには、もうその理由は分かっているんじゃなくて?」


「勢力争い……あんた、リア・バリモアはかつてはルナシティ警察でもトップクラスの刑事だった。警視総監の座を脅かしそうな妹は、姉のベラには邪魔な存在だったってことか」


「ご名答。その点においては、ベラはあなたを利用していた。妹の犯罪に気づいた彼女は新進気鋭の若手刑事、アダム・M・フィールズに、その動向を監視させた。彼女はアダムにリアを逮捕させて、邪魔者を排除した。ベラは全てをコントロールしていた。そして、彼女は政治にも強い影響を及ぼすルナシティの支配者になった」


「いや、それはおかしい。俺がリア・バリモアを調べ出したのは、警察の上司からの命令ではなく、俺が勝手に……」


 アダムはそう言ってから、黙り込む。

 そう、俺がリアを尾行しだしたのは、ジュリエットから、スラム街での連続殺人の被害者とルナシティ警察の女刑事には接点があると教えられて……。


 まさか、ジュリエットまでが、ベラの協力者?

 いや、ありえない! けれども、彼女も、フィールズで職業訓練を受けて、公立病院の看護士の職を得ている。


 アダムは激しく動揺した。

 席から立ち上がると、リア・バリモアは笑って、そんな彼の傍に歩み寄ってきた。胸ポケットからIQOSを取り出そうとしたアダムの手を止めて、その首筋にその指を伸ばす。


「お止めなさい。ちょっと吸い過ぎよ。それより、この首の絞め跡。いつ見ても、ゾクゾクする。私を逮捕した時に、幼い時に母親に絞められて消えない跡だと、あなたは教えてくれたわね。あの時、あなたが歌った歌も私はよく覚えているわよ」


 そう言うと、リアはアダムの耳元でその歌を口ずさんだ。



What my finger touches (私の指が触れるのは)

The secret home of her heart. (彼女の心の秘密の棲家)


My song is soft (私の歌がやわらかに)

The singing voice (その歌声を)

Replace it with gentle words (やさしい言葉にすり替えて)


Steal her life (彼女の命を奪ってゆく)

Inviting to a friendly retreat(やさしい隠れ家に誘いながら)



「止めろっ!! 今更、そんな歌を歌って俺のことを笑うのは!」


 首に伸ばした手をアダムに払いのけられたリアは、冷ややかな笑みを浮かべる。


「あら残念。あなたの歌声はなかなかイケてたのに。それより、気分直しに外へ出てみない? あなたにも、地下10階に届く陽の光を見せてあげたいわ」


 そう言うと、この嘘っぱちな重犯罪拘置所へアダムを誘った終身刑囚の女は、ガラス扉についたマイクに語りかけた。


「リア・バリモアよ。扉を開けて」


 声紋認証が行われているのか、その声に反応して、中庭に隣接したガラス戸が大きく左右に開いた。

 外に出て、アダムが上を見上げると、逆三角形に掘りぬかれた巨大地下街のショッピングモール街を行き交う、華やいだ人々の姿が見えた。

 そのはるか上には、 地上88階の摩天楼、ルナステート88が陽光に照らされ、眩しく輝いている。

 

 嘘と真実の境目が、俺には分からなくなってしまった。


 今のアダムにとっては、このルナシティの光も闇も、すべてが嘘くさく思えてならなかった。


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