第7話 ルナシティ・クライシス
「ルナシティ警察は敵だ、 やっちまええっ!」
火事よりも手強いのは、燃え上がった暴徒たちの怒りだ。彼らは普段から溜まっていた不満や恨みや憎しみを外に放出するために暴動を起こしている。何を求めているのか、彼ら自身もその答えは分からないのかもしれない。だが、当面の敵はルナシティの政府と警察なのだ。
くそっ、本部から呼びされていなければ、警察の
後悔しても、もう遅い。
「厄介なことになっちまった」
アダムは石や棒やナイフで武装した人々の襲撃を次々にかわしながら、
「ぐふっ!」
「ぎゃあっ、足がぁっ」
息が詰まったり、脚力を失ったりした男たちが、路上に倒れ込む。
児童養護施設にいた頃から、アダムのまわりは敵だらけだった。
これまでの経験からどこを狙えば、効果的に、しかも、敵に血を見せることなく最小限のダメージで仕留められるかは身についている。
消防車の上で嘲笑する
「アハハハ、やるなぁ、アダムくん! けどさぁ、暴徒は次々にやってくるぞ。多勢に無勢で、次はどうする」
やがて、防戦一方になったアダムは、逃げ込める路地の方向を見極めながら、じわじわと後退しはじめた。
あと少しで路地だ。だが、その一歩手前で、新人刑事が脇に装着した銃のホルスターを見た暴徒の一人が、大声をあげた。
「こいつ、銃を持ってやがる!あれで、俺たちを撃つつもりなんだ!」
後続の男たちが色めき立った。つい最近もスラム街では、警官が抵抗してきた浮浪者を射殺する騒動が起こったばかりだ。ルナシティ警察にとって、自分たちはゴミと同じだ。あいつもそう思っているに違いない!
怯え、怒り、狂気をはらんだ幾つもの視線がこちらに向けられている。
アダムは短く息を吐き、素早くホルスターから銃を取り出すと、彼らに銃口を向けた。
後ずさりした暴徒たちに、アダムは声を荒らげる。
「心配すんな。俺は撃たない!」
「ふざけんな! それが、こっちに銃を向けてる男の言う台詞か!」
新人刑事はくすりと口角を上げて笑った。自分の喉元の
「俺は撃たない。なぜって、撃てば確実に殺してしまうから。この痣に誓ったんだ。俺は人は殺さないと」
だが、拳銃を手にした時の妙な高揚感を抑えるのにはいつも苦労をする。低い声で彼は独り言のように呟いた。
「警察学校では、上手く外す練習はしてこなかったし。……っていうか、頭や喉元や心臓? たとえ急所を避けて手や足を狙うとしても、気持ちを抑えておかないと、俺もかなりヤバいな。一度、タガが外れると……使い物にならねぇくらいに何度も……何度も同じ場所を撃っちまいそうだ」
カミソリめいた彼の眼差しに、背筋がぞくりと寒くなる。こいつもイカてんじゃねぇのか……暴徒たちは一瞬、怒りを忘れて、目の前の新人刑事を見やった。
暴徒たちが、さらに後ずさる。その時、彼らの上に大量の水飛沫が飛んできた。
「あつ、あの野郎っ、またっ!」
見物を決め込んでいたマッドが、再び、放水を始めたのだ。
この若い刑事にしても、あの消防士にしても、ルナシティ政府に雇われてる奴らは、いったい何を考えてやがるんだ!?
戸惑う暴徒たち。この機会を逃すわけにはゆかない。アダムは、彼らがマッドが気をとられている隙に、路地の中へ駆けこんでいった。
「あっ、待てっ、みんな、あいつを逃がすな!」
男たちがアダムを追ってゆく。その様子を放水にも飽きた消防士が、にやにや顔で眺めていた。
「水もなくなっちまったし、そろそろ帰るか。……っていうか、俺、ここに何しに来たんだっけ」
ああ、そうそう、上からは火事現場には遅れて行けって命令されてたんだ。あの忌々しい児童支援施設は燃え尽きたし、消防隊はもう用済みだよな。
暴動は……どうにでもなれだ。第一、それを止めるのは、消防じゃなくて、警察だ。 アダムくんの役目だろ。
マッドは、消防車の上に飛び乗ると、右往左往する暴徒たちに声を荒らげた。
「お前らっ、警察は敵なんだろ。あの若い刑事は路地に逃げたぞ。あいつは敵だ! すぐに、追いかけろ!ここに引きずり出せっ。それでもって……」
殺しちまえっ!
仁王立つマッドの愉悦したような形相。消防車の赤いボディが、その異様さを一層引き立てていた。それは、暴徒たちの心の火を消すどころか、余計に燃え上がらせるのだった。
* *
「あの刑事を逃がすな! 路地の出口に先回りして、大通りに引きずり出せっ!!」
アダムは追い詰められていた。
狭い路地の出口という出口に怒号が響いている。
「くそっ、あの消防士っ、放水して助けてくれたのかと思いきや、次の瞬間には、街の奴らをたきつけやがって!」
誰が敵で味方なのか? スラム街だけじゃなく、このルナシティ全体が俺には分からなくなってきた。
けれども、今は、そんなことを考えてる場合じゃない。捕まれば、なぶり殺されるだけだ。とにかく逃げろ!
アダムを探す声が真近に迫ってくる。
「まずい。しかし、出口を塞がれては、もう逃げる道がない。もとの道に戻るか? いや、あっちにだって、まだ奴らの仲間がいる」
アダムは途方にくれてしまった。汗が額から止めどなく流れ出てくる。
その時だった。
「アダムっ、こっち!」
声がすると同時に、アダムの足元が、突然開いたのだ。そこから出てきた小さな汚れた手が、ズボンの裾をぐいと引っ張った。
「さっさとここに降りてきてっ。急がないと、あいつら、すぐにここまで来てしまうよっ」
迷っている暇などなかった。アダムはその声に誘われるまま、開いた場所へ飛び込んでいった。
スラム街の地下都市 ― 暗いマンホールの中へ ―。
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