第6話 暴動勃発

「ご主人様、本日の予定はいかが致しましょうか。ご主人様の株や不動産、宝石や美術品など、貴重な資産の保管や運用はすべて私が行っております。どうぞ、どのようなご要望でもお気軽にお申し付けくださいませ」


 スラム街の東にあるアパートの4階。その一室に、事務的な女の声が響いた。


「んー、特に予定はないけど、そうだ、お前が手配してくれたあれ、護身用にしては、ちょっと大きすぎるんじゃないの」

「申し訳ございません。しかし、は抜群で……」

「護身用だって言ったのに。隠すの大変なんだぞ」

「誠に申し訳ございません」

「謝ったらそれでいいと思ってん……」


 その時だった。アパートの玄関の扉をどんどんと叩く音が聞こえてきたのだ。


 イカルは、慌てて、窓から姿が見えないように身を隠した。誰だ? 絶対に外へ出るなと言ったジュリエットの言葉を思い出して、どきりと胸が鳴った。

 アダムがもう戻ってきたんだろうか……いや、そんなに早く、スラムで起こった騒動が収まるはずがない。

 かがんだ姿勢のまま、様子をうかがっていると、外から声がした。


「エバンス家の坊っちゃん、中にいるのは分かってるんですよ。ちょっとだけ、話を聞かせてもらえませんかね」


 ドアを再び叩く音と男の声。イカルは震える心を抑えながら、ドア越しに問うた。


「誰?」

「怪しい者じゃないですよ。私はここいらを取材しているジャーナリストです」

「ジャーナリスト? 家を間違えてない? 僕はここで親戚のお姉ちゃんを待ってるだけなんだけど」


 すると、ドアの向こうの男が言った。


「家には、他には誰もいないんでしょ。なら、正直に話してくれませんかね。一家全員死亡のはずの大富豪の一人息子が、スラムのアパートにいるなんて、どういうこってすか。もしや、あの男女に誘拐されて、脅されてるとか」

「……」

「それとも、他に何か深い訳でもあるんですかい。場合によっちゃ、お役に立てることがあるかも知れない」


悪い狐が舌なめずりをするような不快な響き。

イカルは嫌悪感を覚えながらも、


「お前……どこまで調べてる?」


「坊っちゃんの名前はイカル・エバンスだ。エバンス家の死んだはずの跡取り息子。ここに住む女はジュリエット・カナリア、公立病院の看護士。そして、このアパートの契約者は、アダム・M・フィールズ、ルナシティ警察の刑事。エリート軍団の新人刑事が、過去の殺人事件の関係者を隠してるだなんてねぇ。しかも、のアパートに。このことが世間に知れたら、大スクープだ」

 

 一瞬の沈黙。また、イカルが問うた。


「そのこと、誰か他の人に話した?」

「まだだが、事と次第によっちゃ、そうさせてもらっても構いませんが」


 その直後にドアが開いた。ドアの向こうに現れた子どもの容姿に、自称ジャーナリストは思わず息をのむ。


 吸い込まれそうに深い青の瞳に、陶磁器を思わせる色白の肌。肩にかかってウェーブした銀の髪が、絹のように輝き、その子どもは、まるで地上に降臨した天使のようだった。

 

*  *


 アダムは燃え尽きたフィールズ児童養護施設を苦々しい気分で見つめていた。延焼はどうにか防げたが、結局、消防車は一台も来なかった。


「あわよくば、この機に、スラム街を燃やしちしまえ。その方が新都市計画も手っ取り早く進むってことか。政府のお偉方たちが考えそうなことだ」


 クソ野郎が……。


 その時、突然、近くの交差点に怒号が響いた。人々の叫ぶ声に混じって、遅れてやってきた消防車のサイレン音が聞こえる。アダムは、一瞬、驚いた顔をしたが、


「やっぱりか!」


 すぐさま、声のする方へ駆け出していった。


 スラム街の住民たちが慢性的に抱えている世の中への不満や恨み。それが些細な喧嘩や事故、警察官の粗暴な振る舞いなどを切っ掛けに、大きく膨らみ、暴動が勃発することなど日常茶飯事だ。

 とりわけ、今回のような大きな火事は、抑え込まれていた感情を放出する引き金トリガーになってしまう。

 暴動の渦は小さいうちに、消してしまわねばならない。一足、遅れると、膨れ上がった怒りはスラム街全体に広がってしまう。


「止めなければ! あいつらは、目的もなく暴れるだけなんだ。殺し合って、奪い合ってスラムを荒らす。これ以上、無駄に死人が出るのはご免だ」


 アダムが交差点に着いた時、辺りには、消防車のけたたましいサイレン音が響き渡っていた。集まってきた暴徒たちは手に入るものを武器にして、放水する消防士に攻撃を仕掛けていた。


「おらあっっ、お前らっ、暴れんなっ。これでも食らって頭を冷やせえっ!けど、楽しいなぁ、うん、楽しいよ!」

「ふざけんな、遅れてきやがって! ルナシティの消防署は火事じゃなくって、俺たちを水浸しにするのかよっ」

「アハハハっ、有難いと思えっ、汚いないお前らを綺麗にしてやってんだから」


 ホースを握りしめた一人の消防士が、石や棒やナイフや銃などで武装し、怒号をあげて迫ってくる暴徒に、嬉々として水を浴びせかけている。


「何だ、あいつは?」


 その光景を目の当たりにしたアダムは、男の表情の異様さに眉をひそめた。ところどころが白濁した鉛色の瞳と、歪んだ笑みが不気味だった。


 あの消防士……ヤクってやがる。だが、どこかで見た顔だ。


 その時だった。


「あっ、こいつ、刑事かっ。ルナシティ警察のバッジをつけてやがるっ」


 暴徒の一人が、バールのような鉄の棒を振り下ろしてきたのだ。アダムは咄嗟に身を屈めてそれを避けたが、一斉に向けられた暴徒の視線に恐怖を感じた。


「みんなァっ、ここに敵がいるぞっ! 殺っちまえっ!」


 消防車の中の男が、笑いながらこちらを眺めている。

 アダムはカミソリめいた一瞥をそちらに送ると、襲ってくる暴徒の膝を強く蹴り上げた。


 

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