第4話 イカルの心
汚れた家が立ち並び、迷路のような路地が入り組むスラム街と、超高層ビルがそびえ立ち、整然と開発された首都ルナシティ。デイブレイク駅を境にして、街の景色は暗と明にくっきりと二分されていた。
スラム街の公立病院で働くジュリエットのためにアダムが見つけたアパートは、デイブレイク駅のすぐ東側にあった。彼女とイカルはその4階に住んでいた。そこの治安は、ゴミ処理場や廃材が散らばり麻薬常習者がうろつく南側の海岸よりは、ずっとましな方だった。
爆発炎上中のフィールズ児童養護施設はデイブレイク駅の西側にある。その地域にも常に騒音や喧嘩や、誰とも知れぬ泣き声が響いていた。街は常に危険と隣り合わせだったのだ。
* *
「ジュリア、見て、 あっちの真っ黒い煙! 怪獣みたいにもくもくしてるよ」
アパートの4階。その外階段からイカルが声をあげた。
「あーっ、今、火柱が見えた」
物見遊山なイカルとは逆に、ジュリエットの心臓の鼓動は激しく波打っていた。
”フィールズ児童養護施設が、爆発炎上”
ジュリエットは退所してからは一度も、そこに足を運んでいなかった。アダムと同様に、古巣には愛着も未練もなかったからだ。
けれども、爆発するほどの火災が起こるなんて、事故なのか、それとも放火か。どちらが原因でも不思議ではなかった。
施設の電気系統はボロボロで、管理も
だが、今も施設の中では、行き場を失った子どもたちが、寝食を共にしているのだ。
「……あの子たちが無事なら、それでいい」
その時、ジュリエットのポケットからも緊急音が鳴った。はっと顔をあげてから、彼女はイカルに言った。
「イカル、私も行かなきゃ。留守番になるけど、大丈夫よね」
「えっ、だって、ジュリアは今日は遅番じゃないの」
「呼び出しを食らっちゃった。多分、あの火事の被害者が病院に運ばれてきてるのよ。私だって、看護士の端くれだからね」
手早く手荷物をまとめて、ジュリエットは部屋を出て行った。通り過ぎざまに、視界に入ってきた銀の髪の
ガラス細工みたいに綺麗な子ども。この子はスラムの中では目立ちすぎるのだ。アダムが心配するのも無理はない。
ジュリエットは階段を下りると、きつい口調でイカルに叫んだ。
「さっさと部屋に入りなさい。鍵はしっかりとかけておくのよ! 外で騒ぎが起こっても、絶対に、絶対に見に行っちゃ駄目なんだからね!」
「はーい、はい。分りました。ジュリアが帰るまで、ぼくは家に
遠くから風が通り抜けるようなサイレン音が響いてくる。
「あっ、消防車だ! 遅っ、今頃、行っても、ちっとも役にたたないのに」
小走りで公立病院の方に駆けて行くジュリエットの後ろ姿。
イカルは、もう少し外の様子を眺めていたくて、外階段に居続けた。
町が焦げる匂いと、魚が腐った匂い。汚くはがれた家の屋根。
アパートの四階から見下ろしたスラム街は、路地にボロボロのテントや段ボールが並び、そこに住む人々が寄り添っていた。
その景色を見つめて、イカルは呟く。
「ここって、僕が前に両親と住んでいたルナシティの海辺の豪邸と比べると、ゴミと人が一緒くたに混ざり合ってて、汚くて、本当に最悪だな」
それが証拠に、前にアダムも言ってたじゃないか。
”同じ海に面していても、”エバンス邸は”天国”で、スラム街は”地獄”だって。
「でも、母や父や義母が死んで、ぼくのことを知った後には、こんな風にも言ってたなぁ」
けれども、中身はそう変わらなかったな……と。
「でもさ、ぼくは豪華なエバンス邸より、ここの方が好きだよ。だって、ジュリエットがいるし、アダムがいる。ぼく、ジュリアみたいに、なりたいな。だって、優しくて可愛くて……スタイルだって抜群だし、本当に大切で大好きな人だから」
”なら、アダムには? 彼のようにはなりたいと思わないの”
不意に心の中から聞こえた声に、イカルははっと目を瞬かせる。……が、すぐに笑顔を見せた。
「嫌だよ。アダムはいつも哀しい顔で、しんどそうに見えるもん。でもね、ぼくのすべてを分かってくれているのは、アダムだけなんだ。……だから、ぼくは……ジュリエットになりたいな」
だって、アダムはジュリエットのことが大好きなんでしょ。
イカルは夢現の表情で遠くを見つめた。
もし、ジュリエットになれたら……
僕は、アダムの幸せそうな顔をずっと見ていられる……のに……ね。
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