第3話 緊急の電話

「リア・バリモアから呼び出されてるって! あの女は、終身刑になって一生、刑務所から出れないんじゃなかったの」


 ジュリエットが顔色を変えて、アダムに迫る。イカルまでが、もっと話を聞こうと身を乗り出してくる。


「リア・バリモアを捕まえたのはアダムだったの? 知ってるよ! そいつって少女を5人も殺した凶悪犯だ。やっぱり、アダムはすごいや」


 殺人犯の元女刑事に興味津々のイカルとは真逆に、ジュリエットの心には不安が広がっていった。

 ルナシティには死刑制度はなく、リア・バリモアは今は重罪刑務所に服役中だ。彼女は間違いなくアダムを恨んでいる。なぜ今頃、面会を申し出てきたのかと。


「また、意地悪な上司が嫌がらせをしてるんじゃないの」

「まさか、新人の俺にそこまではしねぇだろ」


 その時、アダムのセルフォンが鳴った。緊急音だった。

 突然の電話は、いつも厄介ごとが起こった時の知らせだ。アダムは面倒臭げに電話に出た。


「アダムですが……えっ」


 すぐさま身を翻し、


「リアとの面会はキャンセルになった。俺はもう行くから」


 アパートの出口から出てゆこうとする彼の後を、ジュリエットが慌てて追いかける。


「行くって、どこへ? 今のって、ルナシティ警察からの連絡?」

「フィールズ児童養護施設が、爆発炎上してる!」 

 

 そう言うなり、アダムはアパートの階段を駆け下りていった。時をおかず、バイクのけたたましいエンジン音が轟いてきた。

 

 階段の足場から身を乗り出して、その様子を見ていたイカルが笑った。


「いーけないんだ。アダムったら、アパートの前に止めてあった誰かのバイクを勝手に乗ってっちゃたよ」

「平気……この地域でバイクの一つや二つ、盗ん……借りたところで、ルナシティ警察の刑事を責めるものなんて誰もいないわよ」


 そんなことよりも、ジュリエットをうろたえさせたのは、


 『が、爆発炎上』


 アダムのその言葉だった。

 なぜなら、フィールズ児童養護施設は、スラム街に生まれたアダムとジュリエットにとって、唯一、雨露をしのぐことができた場所。彼らの長年の住処だったのだから。


*  *

 

 真夏の蒸れた空に、灼熱の炎が燃え盛っていた。退廃した街の一角にある古びた建物が、炎の海に飲み込まれるかのように、赤く激しく揺らめいていた。

 その建物は、アダムが6歳の頃に保護されてからずっと住んでいた児童養護施設だった。


 信じられないと思いながら、アダムは、火柱を上げて燃え上がる建物を見上げる。

 その場所は自分にとっての住処であり、学び舎であり、生命を生きながらえせてくれた場所だった。

 けれども、アダムはその場所を疎んじていた。

 狭い場所に何人もの孤児が詰め込まれ、清潔にはほど遠い空間。食事も残飯に近いようなものしか食べたせてもらえなかった。年上の子どもたちは、憂さ晴らしのために年下の子どもに常に暴力をふるった。

 その中で、彼は選別され、優秀と認められ、鍛えられ、まともな職にありつくことができた一握りの存在だった。

 選別から零れ落ちることは、見捨てられるということだ。選ばれた子どもは、あぶれた子どもたちに憎まれ、だしぬけに私刑を受けることもあった。

 だから、アダムは、ジュリエット以外は、誰にも気を許すことができなかった。


 今、その建物が一瞬にして灰になろうとしていた。

 児童養護施設の中から人が叫ぶ声が聞こえる。


 ― まさか、まだ誰かが中にいるのか ―


 火の勢いはますます強くなるばかりだ。燃え尽きた屋根からは、どす黒い煙がもうもうと吹き上がっている。


「こりゃ、だめだ。火のまわりが速すぎて、これ以上はもう助けることなんてできない!」


 救援に駆けつけた者たちが叫び、火傷を負った怪我人が次々に運び出されてゆく。にもかかわらず、消防車の姿が一台もないばかりが、サイレン音さえも響いてこない。


「スラム街など、わざわざ、消防車を出すまでもない。見捨ててしまえってことか」


 憤ったアダムは、続々と集まってくる野次馬たちに向かって、声を荒らげた。


「お前ら、喜んで火事場見物を楽しんでる場合じゃないぞ! 待ってたって、消防車は来ない。そこら辺の消火栓をぶっ壊して水を噴き上げさせろ。怪我人は皆で手分けして公立病院へ運べ! そうしないと、ここら一帯の建物はすべて燃えちまうぞ!」


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