第6話  Heal her heart (癒し)

 女刑事リアの声は穏やかだった。

 アダムにとっては、それが、かえって恐ろしかった。6歳の誕生日に見た母親の悪魔じみた表情が、再び脳裏に蘇ってくる。


「私はルナシティ警察の青少年課で、身も心もボロボロになりながら、夜の街に溺れる少女たちの為に。でも、分かったの。底辺スラムの娘たちは皆、卑しいあばずれよ。人の温かな情なんて、与えてあげるだけ無駄。だから、私は消してしまうことにしたの。それが、彼女たちを救う唯一の方法。だから、邪魔をする者は誰だって、こうしてあげる」


 皮ベルトで強く咽喉を絞められ、息ができない。アダムは消えそうになる意識を気力だけで、持ちこたえさせていた。


 ルナシティ警察の青少年課の陣頭指揮を最年少で任せられた、”リア・バリモア”

 颯爽と署内を歩く女刑事に羨望の眼差しを送っていた自分。


 ― 憧れの存在だったのにな ― 

 

 でも、もう……俺、これで……終わりなのか?


 「ぐっぐううっ……」


 全身から力が抜けてゆく。口元から嫌な泡が吹きあがる。……が、


 その時、夜の波止場に、鋭い金属音が響き渡ったのだ。


「あっ!!」


 隣に倒れ込んだ人影。同時に、咽喉に流れ込んできた大量の酸素。

 瀕死の男アダムは四つん這いのまま、辺りを見渡した。後ろにアスファルトに突っ伏している女刑事がいる。左腿が真っ赤な色に染まっていた。

 はっと、アダムは停めておいたCity Cabの方向に視線を向けた。


「ジュリア……」


 少女の右手に握った拳銃レッタ ナノから、白煙が上がっている。結いあげたミルキーゴールドの髪は乱れ、どぎつい赤のルージュの唇がわなわなと震えていた。


「良かった……アダム、間に合った」


*  * 


 撃たれた左腿から、おびただしい血液が流れていた。リアは呻きながら、黒髪の青年を睨みつける。浅黒い肌の中で侮蔑の表情を浮かべた瞳が女刑事を見下ろしていた。

 

「思い出した……わ。あなた、今年、ルナシティ警察に配属された新米ルーキーね。私に目をつけるなんて、とんでもない奴ね」


「へえ、俺なんかでもエリート刑事の視界に入れてもらえたのか。あんたの目撃情報をくれたのは、ここにいるジュリアだ。亡くなった女の子の複数が、ルナシティ警察の女刑事とCity Cabに乗ってたってね」


「……ってことは、私はに、誘き出されたってわけ? けど、私が犯人だと分かっていたなら、あなたが、6歳の時に母親ママンに首を絞められただなんて嘘は、悪趣味の極みね」


 とたんにアダムの瞳に冷ややかな色が戻って来た。


「うるさいっ、その口を閉じろ!」


 藪睨みの視線で、彼女の傷ついた左腿を踏みつける。


「あうっっ!」


「 あの話は真実だ! ジュリエットと俺は、16歳になって退所するまでは、デイブレイク貧困地域スラムの児童養護施設で育った。けど、あんたみたいな”人間の屑”に、俺たちのことをとやかく言う資格はないぞっ! 俺は、支援者の援助で、希望していたルナシティ警察への入所が叶った。ジュリアは、スラムの病院で看護士として立派に働いてる」 


 畜生っ! 殺せるものなら、いっそ今……アダムは、脇のホルダーから拳銃を取り出した。


 そうさ……今、俺がこの女を撃ったとしても、正当防衛を立証する証拠は十分にある。


 アダムは銃口をリアに向ける。


「ふん、撃ちたきゃ、そうすればいいじゃないの。私だって、裁判で根掘り葉掘り、聞かれるくらいなら、ここで、死ぬ方が、ましよ。ただ、引導を渡されたのが、あんたみたいな”ゴミ”じゃなければ、もっと良かったのに!」


「お前っ、まだ、言うかっ!」


「アダム、止めてっ! 」


 ジュリエットが引き金を引こうとした彼の腕にすがりつく。そして、アダムを脇に押しやると、リアの傷ついた左腿の応急処置をし始めた。だが、薄ら笑いを浮かべたかと思うと、リアはその手をふり払った。


「汚い手で私を触らないでっ! どんなにいい子ぶったって、あなたたちは生まれながらのよ!」


一瞬、ジュリエットは表情を凍りつかせて黙りこくった。そして、リアの足を処置した手を彼女の首元へ伸ばすのだった。両手を咽喉に添えると、リアのどきどきと激しく波打つ脈の動きが、指先に伝わってくる。


「刑事さん、不安なのね。私がこの指であなたの咽喉を締め上げるんじゃないかって。でもね、そんなことは絶対に


「ど、どういうことよっ」


「City Cabの中で刑事さんの首に触れた時に、そう決めたの。あの時……人が死ぬ話をしている時の刑事さんの脈拍は嘘みたいに平常だった。まるで誰が死んでも構わないみたいに。それなのに、自分の命が危ない今は、普段の何倍を早く波打ってる。私には分かる。あんたは、自分だけが大切なのよ! この指先が教えてくれる。その心の奥底には、きっと悪魔が棲みついてる!」


 ぽろぽろと泣き出したジュリエット。すると、通りの向こうから、風が抜けるようなサイレン音が響いてきた。それは、アダムがテレコールで呼び出したパトカーのサイレン音だった。

 アダムはジュリエットの肩にそっと手を置くと、波止場に座ったままの女刑事を睨めつけて言った。


「ルナシティの法律には、”死刑”という刑罰はないからな。お前は、殺す側の気持ちは分かっても、分からないだろう? ならば、一生、刑務所の中で暮らすがいいさ! 意味のないプライドと、偏見だらけの思考のままで。俺は思うよ。そんな歪んだ考えを捨てきれないお前こそが、ここでのなんだって」



*  *


 ルナシティの貧民街スラムを震え上がらせた”連続絞殺犯”を逮捕したパトカーのサイレン音が、通りの向こうに消えてゆくまで、ジュリエットはアダムの腕を離さなかった。


「ごめんよ、ジュリア、怖い思いをさせてしまって。でも、俺もこれから警察署の方へ戻らなきゃ」


 それでも、手を離そうとしない少女。


「分かっている。でも、少しだけでいいから、私を捕まえていて。そうでないと、心が壊れて、闇の中に飲み込まれてしまいそうだから。やっと、見つけた出口を見失ってしまいそうだから」


 ジュリエットの華奢な体が震えている。スラム街の汚れた波止場には、生臭い夜の風が吹いていた。まだ、心から離れない、あの悔しく哀しく悲痛な……記憶。


 アダムは、ジュリエット手を引き寄せると小さな体を強く抱きしめた。


「どんな辛い過去を背負っていても、俺たちは、何も諦めていない。逆転リバースできる。俺たちの人生は」



 そして、彼は歌うのだった。少女に向けた歌を。



  My song is soft

 (私の歌が柔らかに)


  Continue to sing her life

 (彼女の人生を歌い続ける)


  inviting to a friendly house

 (優しい住家に誘いながら)


  Heal her heart

 (彼女の心を癒してゆく)


  

 

           【第一章 Rversal】  ― 完 ―



 

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