第3話 渓流を下るような作戦
翌日の放課後になり、
「ねえ、芽衣。ちょっといい?」
「何?」
ボブカットを揺らして顔を上げた館池芽衣の返事は、
館池芽衣は帰り支度をする手を止めようとしなかったが、夏瀬環の後方に控える三つ編みオサゲの存在に気づくと、さすがに不愛想だと思ったようで動かす手を止めた。
「芽衣って花に詳しいでしょう? 実は早怜さんが花に興味があって、何か育てたいらしいの。でもあたしは詳しくないから、芽衣ならアドバイスできるかと思って」
早怜真実がペコリと軽く頭を下げると、館池芽衣もペコリと返した。
話したことはほとんどないが、クラスメイトなので名乗ったりはしない。
「館池さんが花に詳しいって夏瀬さんに聞きました。ご迷惑でなければ、いろいろと教えてもらえると嬉しいです」
「あ、うん。ウチでよければ」
館池芽衣は夏瀬環に対してはぶっきらぼうな態度だったが、早怜真実に対しては控えめで丁寧だった。
礼儀正しいという以上に人見知りの感がある。
「じゃあ、あたしは帰るね」
三人で軽い挨拶をかわし、夏瀬環はひと足先に教室を出ていった。
早怜真実にも人見知りなところがあり、残された二人の空気にはぎこちなさがあった。
その一方で、花という共通の関心事が互いに安心感を与えてもいた。
「早怜さん、花、好きなの?」
「はい。最近のことですが、本屋でかわいい花の写真集を見つけて、それからすっかり花にハマってしまいました。写真集を眺めているうちに自分でも育ててみたいという気持ちになって、夏瀬さんに相談した次第です」
「早怜さんって環と仲良かったんだね」
「そうですね。それも最近のことですが、プリンの話がキッカケで」
早怜真実は館池芽衣から種々の質問をされることを想定し、事前にできるかぎりの回答を用意しておいた。
答えに
たとえ夏瀬環からの依頼を悟られなかったとしても、不信感を抱かれては作戦が失敗におわる可能性が高まってしまう。
「へぇ、そうなんだ。それで、早怜さんはどんな花を育てたいの?」
「具体的に決めているわけではありませんが、やっぱりかわいい花がいいです。夏瀬さんから、館池さんもかわいい花が大好きで育てたりもしているから、何を育てるのがいいか相談してみるといいと言われました」
「なるほど。ちょっと待ってね」
館池芽衣は通学カバンのポケットからスマートフォンを取り出し、画面の上で指を走らせた。
そうして彼女が早怜真実の眼前に差し出した画面には、かわいらしい花の写真が3列にズラリと並んでいた。
「あ、すごい! かわいい花がたくさんありますね!」
「でしょう? ここに載っている花はどれもウチが一度は育てようと思って調べたやつだから、ある程度はアドバイスできると思う。この中に育てたい花がないか見てみて」
写真の一つをタップしてみると、写真が画面いっぱいに拡大された。下のコメント欄には花の名前と簡単な説明が書かれている。
「ありがとうございます。ちょっとメモを取らせてもらっていいですか?」
「うん、もちろんだよ」
早怜真実は館池芽衣からスマートフォンを受け取るとそれを机上に置き、横に自分の端末を並べてメモ帳アプリを起動した。そこに花の名前や特徴を入力していく。
「あぁ、これ、かわいいですね! あっ、こっちもかわいい!」
「だよね、だよね! さっきのはプルメリアで、これはペンタス。ほかにもこういうのもあるよ。これはベルフラワー」
「すごい! これ、かわいいです!」
二人は声を高くして盛り上がった。
そこへパタパタと誰かが廊下を走ってくる音がしたかと思うと、聞き慣れた声が飛んできた。
「芽衣、先生が呼んでる! すぐ来て!」
「えっ?」
長髪ウェーブを揺らす夏瀬環の慌てた様子に館池芽衣は戸惑いを見せた。
呼ばれているのだから行くしかない。スマートフォンを回収しようと彼女が視線を戻すと、早怜真実が真剣な眼差しで写真の情報をメモしている。
「早く、早く! 先生、急いでるって!」
「わかった。早怜さん、それ預けるね。メモしてて」
「はい。ありがとうございます」
館池芽衣はスマートフォンを机に置いたまま、夏瀬環に連れられていった。
これは作戦どおりだった。
先生が館池芽衣を呼んでいたというのは嘘で、本当は誰にも呼ばれていない。
もし先生というのは誰かと訊かれたら、「馴染みの薄い先生だから名前は忘れた」と答えることになっているし、どこにいるのかと訊かれたら、「すごく急いでいたからもう行ってしまったのかもしれない」と答える手はずになっている。
できれば、近くにいるかもしれないからと一緒に先生を探して時間稼ぎをしてもらう。
その間に早怜真実が館池芽衣のスマートフォンの通信履歴をチェックするという算段である。
目的はもちろん、
早怜真実はすぐさま通話履歴に目を通した。
ここ数日で誰かと通話をした痕跡はない。
わざわざ履歴を消したという可能性もゼロではないが、ひとまず通話の線は消す。
次にメール。端末標準メールと、ほかにメインで使っていそうなメールを確認する。
メールでも最近誰かと連絡を取り合った形跡はなかった。
そしてメッセージアプリ。これが大本命。
早怜真実は画面上で素早く指を走らせ、アプリを起動し、メッセージ履歴を確認する。
やり取りが最近のものから順にアカウント名が並んでおり、上から3番目に石葉功の名前があった。
それを開き、メッセージの日時と内容を確認する。
石葉功からのメッセージは5日前の20時頃に届いていた。
既読が付いているし、通知マークもなかったので、館池芽衣はこのメッセージを確実に見ているはず。
そして、肝心の内容は以下のとおり。
《二人だけで話したいことがあるので、明日の放課後、体育館裏の倉庫の近くに来てください。もし用事があって都合が悪い場合は連絡をください。》
早怜真実は自分のスマートフォンをカメラモードに切り替え、そのメッセージ画面を撮影した。
さらに、そのメッセージ以降に届いたすべてのメッセージを手早く撮影していった。
石葉功の後には、アプリスタンプ公式から広告メッセージが翌朝7時に届いていた。
その後は夏瀬環が探りを入れようとしているらしいメッセージを何度か送っていた。
ミッションを終えた早怜真実は、机上の状態を元に戻した。
館池芽衣のスマートフォンはメッセージアプリを閉じて元の花写真画面に戻し、自分の端末はメモ帳アプリに戻した。
それから、何事もなかったかのように花の情報を引き続きメモしていく。
館池芽衣はじきに戻ってきた。
夏瀬環は先に帰ったようで、姿を現したのは館池芽衣だけだった。
少し不機嫌そうな顔をしていたが、早怜真実が顔を上げて視線を向けると、ぎこちないながらに笑顔を作ってみせてきた。
「館池さん、先生の用件は何だったのですか?」
「それがウチが行ったときにはもういなくなっていて……」
「そうですか……。あ、写真ありがとうございました。気になる花は全部メモを取れました。この中から育てたい花を絞ってみようと思います」
早怜真実は館池芽衣にスマートフォンを返却した。
早怜真実が満足そうな笑みを見せると、館池芽衣の表情も明るくなった。
「うん。育てる花を決めたら教えてね。何かわからないことがあったら、またいつでも訊いて」
「はい。ありがとうございます」
仲良くなったばかりの二人は一緒に下校し、帰宅路が分かれるまで花の話に花を咲かせた。
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