第6話 道中の独白


 ことりちゃんはその日、活動が始まる前に部室を去った。そして、彼女が再びその部屋に来ることはもうなかった。


 生真面目な彼女は、その日のうちに正式な退会の意思を部長に伝えていたようだ。一方の海玖はといえば、何の通告もなくいきなり音信不通になり、俺からのラインにも既読がつかなくなった。……世の中的には「フラれた」ということになるのだろうが、今いち実感が湧かない。そうされるだけの仕打ちを彼女にした自覚はあるので、特別理不尽だとも思わないけれど。

 残された中で事情を知るのは俺だけなので、俺は部長に全ての真相を話した。こんな厄介なことになったのは俺のせいでもあるし、連帯責任で追放されても仕方ないと思いつつ謝罪したら、怒るどころか恋人に蒸発された俺に同情してくれる始末だった。部員たちにも上手いこと棘のない言い方で事の顛末を伝えてくれたし、部長には今回だけで随分な借りを作ってしまったな。俺も俺でその日以降気まずくて部室に来づらくなっていたが、この恩義を果たすためにもしばらくはサークル活動に精を出さなければならないだろう。

 文化祭から実に七日後、繰り上げ優勝となった三回生の先輩の絵が、無事文化祭公式ツイッターで紹介される運びとなった。



 俺はあの日、海玖が自分の罪を認めたことを伝えるため、そしてそれを黙ってくれていたことに感謝するために、ことりちゃんを部室に呼んだ。そう心に決めていたから、というと実態に沿わないかもしれないが、敢えてあの場ではことりちゃんに伝えなかったことが俺にはあった。

 伝えて救いになるかどうかが分からなかった、というのも言い訳だろう。結局、怖かったのだ。を彼女に伝えて、それがどういう結果につながるのか。背負いきれる自信がなかった。だから、こうして一人で思い返すことしかできない。つくづく、俺は凡夫だ。


 結論から言って、海玖は常習的にトレスやパクリ行為を行っていた。それらがタブーであると感じる意識が彼女の中には希薄であった、というのは、ことりちゃんの言うとおりだったと言っていいだろう。しかし、その意識のまま何の工夫もせずに漫然と絵を描いていたわけではなかった。あくまで本人談だが、最近は……特に大学に入ってからは、露骨に他人の絵をそのままパクるような真似はしていなかったという。

 もっともそれは、権利意識や倫理に目覚めたというわけではなく、「このまま模倣を続けていては、いつまでもことりに勝てない」という焦燥から来るものだったそうだ。イラスト界隈の常識はともかく、自分の才能の欠点については、海玖はことりちゃんの思う以上に自覚的であったのだ。


 しかし、ことりちゃんの側から勝負を持ちかけられたことで、話は変わった。そんなことは初めてだった。絶対に勝ちたいけれど、でも今の自分の実力では決して叶わぬ夢だ。それが海玖の偽らざる本音だった。追う者と追われる者。そのどちらも、往々にして距離感を見誤るものだ。浅間ことりにとって石上海玖という絵描きは恐怖をもたらすものだったし、同時に浅間ことりという絵描きも、石上海玖の中でそれほど大きい存在だった。


 それでも、勝ちたい。そのプレッシャーが、封印していたトレパク行為へと彼女を誘い込んだのだ。


(……まあ、やったことの良くなさは何も変わらないんだけどな)


 胸の内だけで、そんな注釈を口ずさむ。

 『悲願』を目にしたとき、海玖がすぐにAIの使用を指摘しなかったのはなぜか。

 トレパクに対する後ろめたさがあったという推理も、きっと間違いではないだろう。けれどそれ以上に、海玖はできることなら、「ことりちゃんがAIで不正を行った」なんていう事実を表沙汰にしたくなかったのだ。だから飲み込んだ。状況が違えば、そのまま墓場まで持っていくことも辞さないくらいの理性は、彼女にだってあったのだろう。

 しかし、彼女の絵が結局投票で一位になったことで事情は変わった。『悲願』がUnCarnationによって出力されたイラストであることは、見る人が見ればすぐに分かってしまうだろう。そんなものを『芸大の展示会の優勝作品』としてツイッターに掲載するなど、火事場にガソリンを浴びて突っ込むようなものだ。ことりちゃんがインターネットの火に炙られるのを未然に防ぐために、海玖はサークル全員の前で不正を暴いた。結局のところ、海玖とことりちゃんは全く同じ動機で、相手が勝つのを阻止しようとしたのだ。


 スマホを覗き、ラインを開く。未読のままの海玖とのチャットルームを眺めながら、俺はもう一度考えた。

 これをことりちゃんに話したら、結果は変わっていただろうか。あの後も仲良く、三人揃ってサークルに居続けることができただろうか。


 ……きっと変わらない、と思う。海玖があれほどの大立ち回りをしてしまった時点で、少なくとも彼女らの関係は決定的に変質してしまっていただろう。けれどそれは、そうであってほしいと思う俺の希望的観測なのかもしれない。まあ、何を考えようとも後の祭りだ。波乱の文化祭は過去の出来事になった。諸々のことは全て、サークル内だけの問題で片付いた。今はとりあえず、それで良しということにしよう。



 身体に重力がかかる。停車の予兆だろう。

 電子表示が「まもなく 品川」の文字を点滅させる。


 考え事をしていると、時間が経つのはとても早い。一週間前、行きの名古屋-品川間はおそろしく長い移動時間のように感じられたが、帰りはあっという間だった。今回は逆になるのかもしれない。そんな風に思いながら、スマホと緑茶のペットボトルを置いていた簡易デスクを前の座席の背中に畳み戻し、降車の準備をする。

 完全に車体が止まるのを待って、俺は新幹線から降りた。


「……行くか」


 誰にも聞こえない声でそう呟く。

 そうでもしないと、目の前にまで迫っている真実がまた逃げてしまいそうな気がしたからだ。



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