第3話 天才の示唆


 私鉄とJRを乗り継いで品川に着く。東京の駅はどこも迷路のようだが、新幹線の乗り口はわりあい親切に表示板で案内されていて助かった。予め買っておいた名古屋行きの切符を改札にくぐらせ、俺はのぞみの1号車に乗り込んだ。


 せっかく遠出したのだし、少しくらい観光していってもよかったのではないかとは何度か思った。しかし、海玖とのデートを断ってまで拡務と会いに来ていた手前、一人で東京旅行を楽しむのも何となく気が引ける。交通費は手痛いが、スカイツリーに上るのはいつか海玖と一緒に来たときにしよう。

 そんなことを考えていると、スマホが通知を鳴らした。噂をすれば、地元に置いてきた彼女からのメッセージだ。


石上海玖: 用事終わった?

石上海玖: 夜ご飯もムリなの?


 俺は時計を見た。午後二時前。思ったより早く話が済んだから、今から戻っても夕飯の時間には十分間に合う。そろそろ終わりそうだから行けそうだ、と返すと、知らないキャラクターのスタンプが送られてきた。満面の笑みであることは分かるので、嬉しいというニュアンスで受け取っておけばおよそ問題ないだろう。

 その後、いつ集合だとか、あの店がいいとかいった話をする。海玖のアクティブな性格は、ともすると身勝手だとか直情的だとか揶揄されがちだが、俺のように優柔不断で気の利かない男にとっては助かる面が大きい。「地雷」だなんだと人の彼女を平気で茶化す人間に聞く耳を持つ気はないが、元より俺は海玖のそういう部分も気に入って交際を申し入れたのだ。見た目が良いからというだけでは、決してない。


 ……とはいえ、だ。今回の件に関しては、海玖を擁護したい気持ちばかりでもない。確実な証拠がないのであれば水掛け論になるのは目に見えていたし、そうでなくても、まずは当事者や関係者のみに打ち明けてどうするか話し合うのが冷静な対応だろう。にもかかわらず、海玖はサークル全体の前で、確かな裏付けもないままことりちゃんを断罪するような真似をしたのだ。「もういい歳なんだから、我慢することを覚えなよ」と誰かが囁いているのを聞いた。交際相手としては殴りかかりたいところだが、的を射た意見なのも確かだ。

 それに、告発のタイミングも悪かったと思う。投票結果が出る前に言ったのならよかったが、海玖が皆の前で疑惑を口にしたのは文化祭の全行程が終わった後のことだ。おかげで優勝賞品であった公式ツイッターへの投稿も完全に時機を逸してしまっている。これでは確かに、負け惜しみだと捉えられても仕方ない。俺でさえ最初に聞いたときはそう思ってしまった。


 車内アナウンスが三か国ほどの言語で流れ、身体にGがかかる。新幹線が動き始めたようだ。

 電子表示板に『新大阪行 次は新横浜』の文字が流れるのを見届ける。大丈夫、行き先は西だ。安心していると、脇机に置いたスマホが再び通知バッジを光らせた。


 その名前を見て声を出しそうになったのは、今日で二回目だ。


藤定凛: こんにちは


「………!?」


 なぜ? いや、そもそも、どうやって……?

 隣が空席でよかった。動揺する俺が間近で見られていたら、さぞや不審な人物だと思われたことだろう。

 いったん息を吸ってから、俺は慎重にスマホのパスコードロックを開いた。

 アプリを開いても、当然ながら表示は変わらない。友だち登録もしていない藤定凛のアカウントが、海玖を差し置いて一番上に表示されていた。

 既読をつけるかどうかも決断できないでいると、さらに追加でメッセージが届く。


藤定凛: 拡務からお話聞きました。

     直接言った方が早いと思って、アカウント聞いちゃった。ダメでしたか?


 徐々に鼓動が落ち着いてきた。確かに、拡務は俺とも妹ともラインでやり取りをしていたから、連絡先を教えられるのは当たり前だ。あいつが伝書鳩役を面倒くさがったのも、言われてみれば当然のことかもしれない。

 気を取り直して、俺はトーク画面を開いた。不思議と喉が渇いてきたが、車内販売に気を移せるような状況ではない。

 

中津川旅人: いや、大丈夫。

       変なことに巻き込んでしまって、申し訳ない


藤定凛  : ぜんぜんです。  

       むしろ面白い話が聞けてうれしいくらい

藤定凛  : あ、面白いっていうのは不謹慎でしたね。ごめんなさい


中津川旅人: まあ、奇妙な話なのは事実だから。

中津川旅人: それで、何か分かることとかある?


 同じ一つ下の女性だというのに、海玖と話す時の何十倍も緊張しながら文字をフリックしていく。

 そんな俺の様子など露知らぬように、藤定凛からの返事はどれも十秒も待たずに返ってきた。


藤定凛  : うーん。

       私から言えることは、もう大体拡務から聞いていると思います


中津川旅人: それはつまり、判別はできないってこと?


藤定凛  : 一般的には、そうですね


 溜め息が漏れそうになる。

 しかし、すぐさま希望を絶たれた気持ちにはならなかった。もし拡務から聞いたことが全てなら、そもそも彼女が俺に直接メッセージを送る必要もなかったはずだ。付け加えて何か言いたいことがある。だからこそ、「一般的には」なのだ。


中津川旅人: 今回の件は何か、一般的じゃないことがあるの?


藤定凛  : さすが拡務のお友達。鋭いですね


中津川旅人: それはどうも


藤定凛  : といっても、特別なことが起こってるわけじゃありません。

藤定凛  : その逆。

       普遍の大原則を、見落としているだけなんです


中津川旅人: …どういうこと?


 拡務の部屋で見かけた藤定凛の写真を、俺は思い出していた。

 ずば抜けて整っているわけではないが、誰が見ても「かわいい」に分類するであろう顔立ち。あれは何歳の頃の姿だったのだろう。数年前だろうか。あの麗人が今、俺とチャットを交わしている。そしてきっと、あの写真のように、全てを見透かしたような薄い笑みを浮かべているのだ。被害妄想かもしれないが、俺にはそう思えてならなかった。


 初めて、返信に間隔が空く。

 しかしそれは、二分もかからないくらいの間だった。 



藤定凛  : 

藤定凛  : 



 そこに映し出されたのは、短く区切られた二行のメッセージ。

 直前のやり取りを読み返す。「普遍の大原則」、藤定凛はそう言った。

 何のことだ、と返そうとした。でもそれは嘘になる気がした。悩んだ末に、俺はこう入力した。


中津川旅人: ことりちゃんが、噓をついているってこと?


藤定凛  : 機械はね


 送ると同時に返ってくる。無視された……というより、まだ話の途中だったのか。


藤定凛  : 間違えることもある。導き出した計算結果が事実に反していることもある。

       でも、彼らには目的が無いの。

       目的が無い限り、間違いは嘘にはならない。

       目的を持っているのは、人間でしかありえない


藤定凛  : AIがもたらす問題というのはね。

藤定凛  : どこまで行っても、どうしようもなく、人間たちの問題なんです


「…………」


 人間の問題。

 浅間ことり。石上海玖。俺は後輩たちの顔を思い出していた。


 そんなことは分かってる、と言いたい自分もいた。ことりちゃんが嘘をついている、そう言い張る海玖が問題の発端なのだから、最初からこれは人間の問題だ。けれど……UnCarnationというAIの正体を教えてもらえば解決できる問題だと、俺は高を括っていなかったか。

 彼女の肩書きや雰囲気に流されているだけかもしれないが、俺にはその言葉がひどく深遠な啓示のように思えた。ただ、それは答えではない。

 できることなら、俺は答えが知りたい。そう思って返信を考えようとした矢先、


藤定凛  : 私に言えるのは、ここまでです


 なんとなく、海の向こうの藤定凛が真顔に戻った気がした。

 もう、この話には興味がない。これ以上ちょっかいを出しても、面白い目には遭えそうにない。そんな心の声が聞こえるようにすら思えた。

 新着通知が来ている。今度は海玖からのチャットだった。悪いけれど、今は少しだけ返信を後回しにさせてもらう。


中津川旅人: もう少しだけ。

       あと一個だけ、ヒントをくれませんか


 天才を前に凡人ができることなど、頭を垂れること以外にない。

 考えの放棄と言われてもいい。俺の矮小なプライドなんかより、明日からの海玖たちの笑顔の方がずっと大切だ。

 藤定凛の返信は、そこまで遅くなかった。


藤定凛  : うーん


藤定凛  : これで、最後ですよ


 もったいつけたような間のあとで、俺のスマホにはこう表示された。


藤定凛  : TOUMEI111001


「…………?」


 俺は思わず首をかしげてしまった。

 これがヒントと言われても、今度こそ全く心当たりがない。文章ですらないメッセージに、疑問は深まるばかりだ。


 たまらず『?』と返しても、もうチャットには既読すらつかない。

 どうやら、ボーナスタイムは終了したようだった。



 謎の文字列はいったん置いておこう。俺は凡夫なりの戦略として、凡夫にも一応理解可能なその前の一連の文章について考えることにした。

 AIは嘘をつかない。これはきっと、文字通りの意味だろう。プログラムに従って動くUnCarnationは、人を騙すために結果を捻じ曲げるようなことはしない。SFに出てくる高度な自律AIでもないのだから、改めて言われるまでもないことだ。

 噓をつくのは、いつも人間。……表向きの意味は、これもまた言葉通りだ。敢えて真実と異なる言動をとれる存在は、今のところ人間以外にいない。問題は―――今回の場合、その「嘘」をついたのが一体誰なのか。


 浅間ことりがそうなのであれば、話は簡単だ。でも、藤定凛が意図していたのはそんなことだったのか。考えに考えたが、俺の足りない頭では何の閃きにもたどり着けない。

 窓の外を眺める。どこまでもビルと住宅が立ち並ぶ光景はさすが東京だ。いや、もう神奈川なのだろうか。そう思った端から、『まもなく新横浜』のアナウンスが車内に流れ始めた。

 新幹線が減速を始め、逆方向のGが体にかかる。


「…………」


 ―――目的を持つのは、人間でしかありえない。

 きっかけがあった訳ではない。ただ、ふとした思い付きがあった。


 ラインを見ると、海玖からのチャットが未読のまま放置されている。慌てて確認するが、その前の俺のメッセージに対してスタンプが送られてきただけだったようだ。胸を撫でおろす。―――これなら、別の話を始めても不自然ではないだろう。

 なるべく雑談を装うよう努めながら、俺はこう送信した。


中津川旅人: そういえば、海玖は何とかっていう絵師に憧れて、イラストの道を進んだんだよね

中津川旅人: 


 すぐに既読が付く。

 回答にも、時間は大してかからなかった。


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