第2話 二枚の絵画


 静謐な雰囲気の漂う教会。

 暗澹とした聖堂の中で、夥しい数の信徒が一心に祈りを捧げている。

 唯一ぼんやりとした光の差す祭壇の上には、美しいシスターが濃紺の修道服を着て佇む。両手の指を絡み合わせてはいるが、その表情はどこか虚ろだ。目を閉じるでも天を仰ぐでもなく、その透き通った瞳は淡い翠色を揺蕩えながら、画を鑑賞する我々の方にまっすぐ向いていた。

 よく見ると、聖堂の壁には一面、朽ちた茨が不気味にまとわりついている。茨は頭を垂れる無数の信徒たちをも這い囲み、壇上のシスターのみがその毒牙から逃れているようだった。


「……宗教画か?」


 拡務の第一声がこうだったのも、無理ないことだろう。


「分からない。分かるのは、『悲願』っていうタイトルと、これを描いたのが俺のサークルの後輩だってことだけだ。浅間あさまことりっていう一回生なんだが」

「なんだ、作者が分かっているのか。ならそいつを問いただせばいいじゃないか」

「それがそうもいかないんだ。言っただろ、色々と経緯があるって」


 俺はスマホを操作し、ラインで拡務のアカウントに件のイラストを送った。面倒そうにしながらも、拡務はサブモニターの一つに送った画像を大きく映し出す。


「つい二日前まで、大学で文化祭をやっててな。俺の所属してるサークルではデジタルアートの展示会をやることになって、皆がそれぞれ画を描いて持ち寄ることになったんだ。まあ、一つの作品を皆で制作するようなモチベーションも団結力もないから、展示でお茶を濁すことにしたわけだな」


 学科の中でもちゃんとコミットする気のある生徒たちは、校舎の壁でプロジェクションマッピングを試みたり、自ら広報CMの制作を買って出たりと、思い思いの方法でクリエイティビティを発揮していた。芸大生としてはかくあるべきなのかもしれないが、何にリソースを割きたいかは人それぞれだ。


「やる気のない奴は既に描き終わっているイラストを展示物に登録してきた。新作以外も認めてたからそれはそれで問題なかったが、勿論そういう奴ばかりでもなくてな。頑張って描いてきてくれた人の努力も無下にしたくないから、俺から部長に一つ提案をしたんだ」

「提案?」

「ああ。展示を見に来てくれた人に、感想のアンケートを書いてもらおうって話は元々していた。そのアンケートの中で簡単な人気投票をすることにしたんだ。『どの作品が一番気に入りましたか?』って質問を設ける形だな。そして、そこで一番人気だった新作を、文化祭の公式ツイッターで作者名と一緒に紹介してもらうことにしないか、って」


 全国区の知名度は無いとはいえ、芸大の文化祭というだけである程度の注目は集まる。開催期間中のSNSにはそれなりの宣伝効果もあるはずだ。文実の広報担当にはたまたまツテがあったので、試しに頼んでみたら二つ返事でオーケーが返ってきた。


「ご褒美を用意した、って訳か。効果はあったのか?」

「一部にはな。この話をしてから血相を変えて作品に打ち込み始めたメンバーが、俺の知る限り二人いた」

「二人……。片方が、この奇怪な絵を描いた一回生か」

「そう。ちなみにもう一人も、同じく一回生の石上海玖いしがみ みくって子だ」


 浅間ことり、そして石上海玖。二人は我らが弱小サークルに燦然と輝く期待の新人で、ただでさえ貴重な女子メンバーであると同時に、抜きんでた画力を持つ双璧でもあった。

 拡務は相変わらず教会のイラストをぼうっと眺めている。ちゃんと話を聞いているのか不安になってきたが、まあ、名前なんて覚えてもらわなくても別に構わない。俺は話を続ける。


「初めての文化祭だから、ってのもあったのかもしれないが、それ以上にこの二人はライバル関係でもあってな。出身校も一緒で、美術部で知り合ったらしい。どちらかが本気で臨むのであればもう片方も、というのは必定の成り行きだったそうだ」

「ライバル、か。ということは、もう一方の石上って子も、これと同じくらいのものを描けるんだな」

「ああ、上手いよ。……ただ、比較ってことになると、たいていはことりちゃんの方が勝つかな。ライバルっていうのも、こういうと何だが、海玖が一方的に主張している節がある」

「ほほう。なるほどな」


 拡務はようやくモニターから目を離すと、再び俺の方に椅子ごと向き直った。


「話は大体分かった」

「……え? まだ半分くらいだが」

「要するに」


 困惑顔の俺など意にも介さず、


「投票の結果、この絵を描いた浅間っていう方が勝った。ところが、自分が負けたことに納得できないお前の彼女が、あれはAIを使っている、不正だと騒ぎ始めた。こんなところだろう」


 一瞬、思考が飛んでしまった。

 得意げに笑みを浮かべる拡務を見るのは数年ぶりだ。昔から、一を話せば十も二十も知ってしまうのがこの男なのだ。


「……海玖と付き合ってるだなんて、まだ一言も言ってないぞ」


 恐る恐る指摘する。

 すると拡務は、今度は堪えきれないといった調子で笑い始めた。


「相変わらず素直な奴だなぁ。半分はカマだったんだが」

「それにしたってだろう」

「特別親しくもない女子を下の名前で呼び捨てるほど、俺の知ってるお前は軟派な奴じゃなかったってだけさ。ついでに言えば、特別親しくもない女子から受けた相談のために、わざわざ東京まで俺を訪ねに来るほどの博愛野郎だった覚えもない」

「う……」


 図星だった。しかし、だとしても。


「……いや、俺が海玖から個人的に相談を受けたってことも、まだ言ってないじゃないか。俺が勝手に行動してるだけって可能性も十分ある」

「そうじゃないなら、同じサークルとはいえ学年も性別も違う後輩たちのトラブルを解決するために、お前が汗を流す理由は無いんじゃないか。お前がサークルの責任者なんだったら別かもしれないが、『部長に一つ提案をした』とかって言い方を聞く限り、そうでもないんだろう?」


 思わず押し黙る。ちゃんと話を聞いてるんだろうか、なんて杞憂も杞憂だったようだ。

 冷静に考えれば、拡務の言うとおり、別に隠し立てすることでもない。こちらから事情を打ち明ける手間が省けたと捉えるべきだろう。俺は後ろ髪を撫でながら、リクライニングに深く腰掛ける小太りの男を再び見上げた。


「おおよそ、今お前の言ったとおりだ。文化祭は3日やって、最終日の夜には結果が出た。そもそも新作を描いてきた奴が全部で六人くらいだったんだが、案の定というべきか、票はことりちゃんと海玖の二人にほぼ集中。で、この二人を比べると、だいたい二対一くらいの割合でことりちゃんが勝っていた」

「二対一か。ライバルを名乗るには、少々差が大きいな」


 う。ノータイムで痛いところを突いてくる。


「技術的に遜色ないのは本当なんだよ。しかしどうにも、表現力とかメッセージ性とか、そういう部分が評価を分けるんだろうな。海玖の方が絵を描き始めてから日が浅いんだから、ある程度仕方ないとは思うんだが……」

「ちなみに、彼女さんはいつから絵を?」

「ん? あぁ……本人曰く、本格的に描き始めたのは高一の時。当時SNSで人気だった、なんて名前だったかな……とあるイラストレーターに憧れて、デジタルの道を進むことにしたんだそうだ」


 ほぉん、という生返事が聞こえた。……興味がないなら無駄に掘り下げないでくれよ。


「とにかく、賞レースの結果は比較的大差で決まった。……現状の海玖じゃことりちゃんに敵わないのは、きっと本人も理解してるんだ。最初にあの『悲願』って絵を見た時は、海玖自身もはっとしたような顔をしていたよ。

 ところが、集計結果が出た最終日の夜。一昨日のことだ。打ち上げにも参加せずに家に帰ってた海玖から、突然俺に電話がかかってきた。『ことりのイラストはUnCarnationを使って出力したものに違いない、わたしには一目で分かった』……って。最初は落ち着いた様子だったけど、段々と興奮した声になってきて、宥めるのに必死だったよ。

 その時の俺は画像生成AI自体をあまりよく知らなかったから、あのイラストが機械の描いたものだっていう海玖の言い分も、正直ほとんど信じてなかった。でもその後改めて調べてみたら、確かにやろうと思えばそのくらいのことができそうな代物らしい。どうしたもんかと悩んでるうちに、例のAIの開発者リストに、お前の妹の名前を見つけたってわけさ」


 藤定凛。

 学年一の秀才だった拡務が、それでも『妹には一生敵わない』とたびたび吐露している姿は、俺の印象に強く残っていた。どうせ謙遜なのだろう、と昔の俺は思っていたが、今なら分かる。

 「秀才」の域に留まる人間と「天才」と呼ばれる人間には、大きな隔たりがあることが。


 そのとき。部屋のどこかで、ピロリンという通知音が鳴った。

 見回すと、敷布団の上に雑に置かれた拡務のスマホが緑の通知バッジを表示している。何とはなしに画面を覗き込んで、俺は思わず声を上げそうになった。


「妹からか」


 平然とした様子の声が背後から聞こえる。言うとおり、スマホの画面にはこう表示されていた。


藤定凛 : 明日からの復刻イベって走るべき??


「……今、アメリカの研究室にいるんじゃなかったか」

「アメリカにいたって、ラインは届くしソシャゲもできるだろう」

「いや、そうなんだが。タイミングがあまりに良すぎて」


 戸惑う俺を気にすることもなく、拡務はカタカタとキーボードを鳴らし始めた。PC版のアプリを開いて何らか返信をしているのだろう。家では全てがパソコンで済むからスマホを手元に置いておく必要がないのか、と俺は必要のない知見を得ていた。

 それからものの一分も経たないうちに、再び通知音が鳴る。バッジに表示された名前は、やはり藤定凛のものだった。


「もしかして、普段からこうやって話してるのか?」

「ん? おかしいか?」

「……いや、別に。仲が良いんだな、と思っただけだ」

「まあ、家族だしな。一応」


 照れ隠しなのかどうなのか、拡務はそう言ってはにかんだ。

 こいつがかなりの妹想いであることは知っていたが、現在進行形でやり取りしている間柄なのは期待以上だった。これなら、今回のことを繋いでもらうのも簡単そうだ。


 俺がひそかに安堵していると、今度は拡務の方から、 


「ちなみに、お前と彼女さんが最初にこの絵を見たのは、文化祭の期間中のことか?」


 と聞いてきた。


「ん? ああ、そうだな。実際に作品が掲示されたのは当日の朝で、俺たちも一日目の昼頃に初めて見た」

「それと、この話、浅間って子にはもう伝えたのか?」

「ああ、それなんだが」


 一呼吸おいて、俺は記憶を整理する。


「どうにか穏便に済まそうと助言したんだが、どうしても気が収まらなかったらしくてな。昨日、後片付けのために部室に集まった時に、海玖が直接、ことりちゃんを問い詰めたんだ。だからもうこの件はサークル全体に知れ渡ってる」

「なるほどな。それで、その子の反応は?」

「当然ながら、断固否定だよ。水掛け論というか、話し合いにもなってなかった」


 ことりちゃんは海玖とは違い、普段はあまり強く自己主張をしないタイプだ。ひょっとすると海玖の剣幕に圧されてしまうんじゃないかと心配していたが、自分の作品にあらぬ疑いをかけられたとあっては、遠慮している場合ではないのだろう。海玖の糾弾にはほとんど耳を貸さず、結局ことりちゃんは活動を早退してさっさと部室を後にしてしまった。


 ふと思いついて、俺は自分のスマホをスワイプした。開きっぱなしになっていた拡務とのチャットルームに、一枚の画像を追加で送信する。


「何の参考にもならないと思うが、これが海玖の描いた絵だ。タイトルは『あの雨の日』」


 先ほどと同様、拡務がPCで画像を開き、そして教会の絵の隣のモニターに大きく映す。打って変わって、明るげな雰囲気が漂うイラストだった。

 絵の真ん中に描かれているのは、傘を差した制服姿の少女。ただ、その天地は逆さまになっている。少女の周りにはいくつもの波紋が広がっており、少女の姿そのものも所々が波のように揺らいでいるのが印象的だ。画面の上端に目をやると、少女の履いているローファーとソックスが、ちょうど足裏を合わせるように上方向にも伸びている。そこで初めて、逆さまに描かれた黒髪の少女が、水溜まりに映し出された鏡像であることがわかる。

 波紋は水溜まりにぽつぽつと落ちる雨粒が作ったもので、澄んだ蒼色の空と入道雲が少女の背後に広がる。いくらか首を傾けて空を見上げる少女は、天気雨を不思議がっているのだろうか、どこか落ち着かなさそうに口を半開きにしていた。


「どうだ、そこそこのもんだろう?」

「……どうだと言われても、俺に美術の素養はないから何とも言えんよ」


 どうでもいいとばかりに首を横に振る。まあ、数式の美しさは理解してもアートの美しさには毛ほども興味がないのが藤定拡務という人間だ。それに、急にイラストの感想を求められてすらすらと喋れる奴の方が少数派なのかもしれない。


「…………『悲願』と『あの雨の日』、ねぇ」


 拡務はしばらく、そのまま二つの画を眺めていた。何か話すべきかとも思ったが、思索を巡らせてくれているのなら邪魔するわけにはいかない。無言のまま、ファンとクーラーだけが無機質な音を立てる。

 少し経って、効きすぎの冷房がいい加減肌寒く感じられてきた頃。四つのモニターに囲まれた目の前の男が、眼鏡にブルーライトの反射光を携えながら、くるりとこちらの方を向いた。


「話は理解した。妹に繋いでやってもいいが、その前に俺からいくつか言っていいか」


 願ってもない。俺は前のめりになって、


「是非とも、聞かせてくれ」


 と頼んだ。拡務の表情が、心なしか渋いものになる。


「まず結論から言えば、使。不可能だ」


 思わず口が開いてしまう。

 それが面白かったのかそれとも気を遣ってくれたのか、拡務の口調は若気まじりの気安いものに変わった。


「そうショックを受けるなよ。話はこれからだ」

「……そうだな。しかし、どうして不可能だって言いきれるんだ。よく知らないが、AIってのは既存の作品をもとに新しい絵を創るんだろう? だったら、そうと判断できる証拠が残っているかもしれないじゃないか」

「そういうもんだから、というのが最も不親切な回答だが、そうだな。切り分ければ、理由は大まかに言って二つだ」


 拡務は身体の前に右手を差し出し、トンボを誘き寄せる時のように人差し指をまっすぐ伸ばした。


「一つ目は、AIの仕組みだ。物凄くざっくりといえば、昨今の画像生成AIがやっている作業は『学習』と『生成』の二つに分けられる。大量の画像データをAIに見せて、そこから特徴を見つけ出して数値化していくステップが『学習』。学習した内容をもとに、指示されたお題に沿った画像をつくり出す作業が『生成』だ。本当は、文章と画像とを等しく扱える特徴量にエンコードする作業なんかが間に挟まっていて、そこが画像生成技術のキモだったりするんだが、今この場では関係がないから省かせてもらう」


 ふむふむ、と相槌しながら聞くが、正直言って半分も理解できたかどうか。とはいえ、いちいち問いただして話の腰を折るのも忍びない。俺は聞きに徹することにした。


「この『学習』という工程についての誤解が、旅人、お前の疑問の根底にあると思う」

「……というと?」

「AIが既存の画像から取り出すのは、あくまで『特徴』だ。画像そのものを丸暗記するわけじゃない。赤くて丸い果物の映った画像が、『リンゴの絵』として与えられる。そうするとAIは『リンゴは赤くて丸いんだな』ということを学習する。細かい部分を全部すっ飛ばした説明だが、抽象度としてはこれくらいの処理をしているんだ」


 事例をまじえてくれたことで多少は理解できた……気がするような、しないような。首を縦に振るか横に傾げるか決めあぐねている間にも、拡務の説明は続く。その声色に、若干だが熱が入りつつあるように感じる。


「たまたま扱う情報の形式がデジタルなだけで、やっていること自体は人間がものを覚えるのと何ら変わらない。AIが既存の画像を切り貼りしてコラージュのように画像を作っていると思っているのならば、それは誤解だと言わなければならない」


 訥々と喋って喉が渇いたのか、拡務の視線は再び俺を離れて机上に向かう。置いてあるモンスターエナジーの缶が、しかし空であることを思い出したのか、そのままチェアに体重をかけ直して浅い溜め息をついた。もしかすると、普段はこれほど長く他人と話す機会がないのかもしれない。

 俺は拡務の高説をなんとか脳裏でかみ砕きながら、それとは関係のない疑問を抱いていた。


「しかし、妹さんだけじゃなくて、やっぱりお前もAIについて詳しいんだな」

「……まあ、学部生レベルの知識だがな。それに、今後のことを考えたらAIの勉強はしておいて損ないと思うぞ?」

「今後のこと?」


 首を傾げる。


「俺は別に、イラストで食っていく気は毛頭ないぞ」

「何も画像生成の話だけじゃないさ。文章から音楽をつくるAIもあれば、小説の続きを書いてくれるAIもあるし、人間とそれらしい会話ができるAIなんてのも既に実現している。車の自動運転技術やスマホの音声認識だって広くAIに含まれるし、これからAIはどんどん社会にとって当たり前の存在になっていくだろう。ネットを使いこなせない爺さん婆さんのようになりたくなければ、お前も早いうちに知識をつけておくことだな」


 そう言って拡務は肩をすくめた。拡務のアドバイスが間違っていた経験は、覚えている限り一回もない。よく心に刻んでおこう。実行できるかどうかはさておき。

 今後の人生に関する啓示もありがたいが、今は後輩たちのことだ。俺はモニターに映し出された二枚の絵に目線を向ける。


「言いたいことは、だいたい分かった。学習元が存在するからといって、AIの描いた絵からそれが直接読み取れるようなことは無いってことだな」


 拡務もつられて絵を眺めた。相変わらず、どこか興味なさげな視線だ。


「まあ、そういうことだ」

「でも、『人間っぽい絵』と『AIっぽい絵』なら判別できるんじゃないか。ネット記事の受け売りだが、AIの絵はまだ細かい部分で破綻が生じやすい、って話だったはずだ」


 分かりやすい部分で言えば、AIは人間の手の構造を正しく表現するのが苦手だ、と書いてあった。ありえない方向に指が曲がっていたり、六本指になっていることもよくあるとか。他にも、瞳のハイライトの塗り方が一貫していなかったり、車や携帯のような人工物のパーツが不可解になっていたりもするらしい。

 しかし俺の反論を予測していたのか、拡務は待ち構えていたように右手をピースの形にした。


「そこが二つ目だな。確かにお前の言うとおり、現状のAIは細部まで一貫性のある絵を描くことができない。UnCarnationだって当然そうだ。文章を入れてポンと出力された絵であれば、それが『AIで生成した絵』であることを見抜くことは比較的容易な場合が多い。特に人が描かれたイラストならな」

「じゃあ……」

「だが、それはあくまで『AIから出力された、無加工の絵』である場合の話だ。出てきた絵を見て明らかな破綻があれば、。もしくは破綻の無い部分のみを切り抜いて使う、というのでもいいが」


 あ、と声を出してしまった。


「そうか、出てきた絵を手直し……。絵心がない人間には難しいかもしれないが、ことりちゃんなら―――」

「ああ。もともとデジタルイラストに長けた奴がAIを使うんなら、むしろ全くレタッチしていないと考える方が不自然だ。実際、この教会の絵にしたって、祈りのポーズをしているシスターの両手は破綻なく描けている。もっと絵に明るい人間に見せたらひょっとすると違和感があるのかもしれないが、俺の見る限りじゃ、明らかにAIらしい特徴はこの絵のどこにも見つけられないな」


 思わず項垂れてしまう。

 生成した絵に、そのあとで加筆することができるというのは盲点だった。それであれば確かに、絵だけを見てAIを使ったかどうか判別することなど殆ど不可能と言ってよい。アマゾンのレビューを丸ごとコピペしたあと、文体を自分流に変えたり話の順番を入れ替えたりして自分の読書感想文に仕立て上げる、そんな狡賢い小学生の表情が頭に浮かんだ。……多分に主観の混じった連想な気がするが。


 俺が眉間に指を当てて思い悩んでいると、拡務はさすがに喉の渇きに耐えかねたのか、


「冷蔵庫から麦茶を取ってきてくれないか」


 と俺に訴えてきた。いくら位置関係的に俺の方が近いからと言って、客人である俺を小間使いにするとは。どうやら死んでも心地の良いゲーミングチェアから離れるつもりがないらしい。少しは運動しろよ、と小言を漏らしながら、俺は六畳間を出てキッチンの冷蔵庫に向かった。


 冷蔵庫の中を見て、思わず顔をひきつらせた。左開きのドアを開いた中には、大量のエナジードリンクと発泡酒の缶が所狭しと並んでいる。入荷直後のコンビニでもこの量は陳列しないだろう。正面の空間がそれで埋まっていたので何事かと思ったが、開いたドアの裏側のポケットには紙パックの麦茶や牛乳、申し訳程度の調味料など、いくらか文化的なものも一応入っていた。食物繊維やビタミンが取れそうなものは、残念ながら一切見当たらない。

 もはや避けられそうにない早死にの運命を憂いながらも、食器棚に並んでいた適当なコップに麦茶を注ぐ。部屋に戻ると、拡務がちょうどラインの画面をパソコンで開いているところだった。

 コップを手渡しながらモニターをちらりと覗くと、【藤定 凛】の文字が表示されている。拡務は冷えた麦茶を仰いで喉を潤してから、再び座椅子に腰かける俺の方を見た。


「まあ、そうは言っても、だ。直接の開発元である妹が見たら、何か分かるかもしれない。UnCarnationで生成したイラストをおそらく何千枚も見てきているだろうからな」

「俺としては、それに賭けるしかないな。申し訳ないが、頼むよ」

「ダメ元だってことを分かってもらえればそれでいい。妹も、別に嫌な顔はしないだろう」


 そう言って、拡務はエンターキーを快活に鳴らした。

 拡務とその妹、藤定凛のトーク履歴に、新たな文字が送信される。


藤定拡務: 突然話が変わってすまんが、ちょっと頼まれてくれないか?

藤定拡務: 色々と事情があって、この画像がUnCarnationで生成したものかどうか見分けたいんだが

《画像を送信しました》


 簡潔な文章とともに、物々しい教会の絵がアップロードされる。

 なんとなく固唾を飲んでしまいながら、しばらくそのまま待つ。


「……」

「……」


 二分ほど経ったが、返信は来ない。それどころか既読も付いていなかった。


「まあ、そんなにすぐには返ってこないか」


 瞬きも忘れる勢いで画面に釘付けだった自分が急に恥ずかしくなり、後ろ髪を掻く。拡務はといえば、いつもどおりの仏頂面だった。


「もう寝たのかもしれないな。今は午後一時だから、あっちだとちょうど深夜〇時を回ったところだ」


 もっともだ。というより時差のことをすっかり忘れていた。そんな深夜に急な頼み事をしてしまったことに、遅ればせながら罪悪感が湧いてくる。


「返信が来たらまた連絡するよ。ずっと待たせておくわけにもいかんしな」

「ああ、分かった。……色々と迷惑をかけるな、本当に」

「気にするな。久しぶりにお前の暢気な顔を見れただけでも収穫だよ」


 拡務はラインの画面を閉じ、どこか皮肉めいた笑みを浮かべた。古くからの付き合いだから分かるが、こいつは本気で鬱陶しい時には無言になるタイプで、憎まれ口を叩くのは悪しからず思っている証なのだ。しょっちゅうボヤかれていた高校の頃を思い出して、俺はむしろ嬉しくなった。


「もしよければ、これから食事でもどうだ? 電車で来たから酒でもいいぞ」

「せっかくのお誘いだが、研究室の課題が佳境でね。半日以上を棒に振れるほどの余裕は無いんだ」


 ひらひらと手を振る拡務。残念だが、そう言うのなら仕方ない。課題の話が事実なのか、俺の誘いを体よく断るための方便なのかは、敢えて究明しようとも思わなかった。


「今度は俺が地元に帰るときに、こちらから声をかけるよ」

「ああ、是非そうしてくれ。何年後の話かは知らんがな」



 そのあと何言か交わしてから、俺は拡務のアパートを後にした。

 ドアを開けると、舐め回すような残暑の熱気が肌にまとわりついてくる。クーラーの推奨設定を大きく下回ったあの部屋に慣らされていたからか、外の暑さは行きよりも耐えがたく感じられた。

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