Reincarnation ――偽りのマスターピース

@winter_island

第1話 旧友の部屋



 扉を開けると、いっそ肌寒く感じるほどの冷気が俺の皮膚とぶつかりあった。


 もう九月だというのに、外の日差しは一向に衰えを見せない。ポロシャツに汗を滲ませながら、ぜいぜいアパートの階段を上ってきた直後の俺にとっては天の恵みのような冷風だったが、十分も経って火照りが収まったら今度は上着が欲しくなりそうだ。ままならぬ恒温動物の宿命に思いを巡らせつつも靴を脱ぐ準備をしていると、奥の部屋から懐かしい声が聞こえてきた。


「よう、来たか、旅人たびと


 相変わらずの起伏が乏しい声に、どこか安心感を覚える。

 それ以上の言葉が無かった。であれば自由に上がっていいということだろう、と判断した俺こと中津川旅人なかつがわたびとは、玄関の隅にスニーカーを揃え、遠慮なく部屋に上がり込むことにした。

 玄関と部屋を仕切る引き戸をゆっくりと引くと、大きなゲーミングチェアに深く腰かける小太りの男がいた。こっちに目を合わせたのは一瞬で、顔は正面のモニターに向いたままだ。

 今度は俺から挨拶をした。


「久しぶりだな、拡務ひろむ。卒業式以来か?」

「直接会うのは、そうだな。汚い部屋ですまんね」

「今さら気にすることかよ。むしろ想像の何倍も片付いてて驚いてたところだ」


 言いながら、部屋の中をぐるりと見回してみる。敷きっぱなしの布団や無造作に置かれたビールの缶が雑然とした印象を与えはするが、ことさら汚い部屋だとは感じない。そもそも物が少ないのだろう。拡務の商売道具であるパソコンとその周辺機器を除けば、趣味にまつわると言えそうなものはほとんど見当たらない。

 もっとも、そのパソコンの迫力は想像以上だった。L字型にチェアを囲むデスクは六畳程度のコンパクトな部屋には不釣り合いなほど大きく、その上に大きなモニターが四つも設置されている。足元の本体と手元のキーボードが共鳴するように妖しく発光し、ディスプレイとともに青白い光を放つ姿はどこか幻想的だ。メインモニターの両脇に鎮座する無骨なスピーカーが、まるで双眸のように俺を見つめている気がした。

 そして、そのメインモニターには目まぐるしく移動するゲーム画面が映し出されている。


「FPSなんかやるんだな。てっきり格ゲー専門かと思ってたよ」

「ん……まあ最近はな」

「格ゲーと同じくらい強いのか?」

「いや、全然。勝ったり負けたりだが、そっちの方が楽しいことに気づいてな。勝ってばかりだと、勝利の味にも飽きてくるもんだ」


 さいでっか。そういえばこいつは、鼻にかけるでもなくこういうことを平気で言う奴だった。中高六年間、こいつの使う投げキャラに千単位で敗北し続けた苦い記憶が蘇ってくる。

 五分も待たなかっただろう。拡務の所属するチームが全滅したことを示す画面が表示される。拡務は座ったままくわっと伸びをしてから、くるりとシリンダーを回転させてこちらに向き直した。


「まあ適当に座ってくれ。座椅子しかないが」


 ゲーミングチェアと座椅子では高低差がすさまじいが、まあ喋る分には支障ないだろう。俺は布のくたびれた座椅子に腰かける。

 すると視線が低くなったおかげか、ちゃぶ台ほどの高さのテーブルに、一枚の写真が飾られていることに気付いた。

 真ん中にバストアップで写るのは、どこか高潔な雰囲気を漂わせる一人の女性。その横には、今目の前でぽりぽりと顎を掻く俺の幼馴染み、藤定拡務ふじさだひろむが見切れていた。


「この子がりんちゃんか」

「ん、ああ……。そういえば出しっぱなしだったか」


 ばつが悪そうに拡務が目を逸らす。わざわざ写真立てで飾っておいて、「出しっぱなしだった」というのは少々弱すぎる誤魔化しだろう。それとも、俺の来訪前に隠しておくつもりだったということだろうか。

 写真に映っている女性の名前は藤定凛ふじさだりん。拡務の妹だ。婚約者や彼女ならいざ知らず、実妹の写真を下宿先に掲示しようと思う人間は多くないだろう。直接言うと不機嫌になるが、こいつは昔からそうなのだ。不愛想に見えて、血を分けた肉親に寄せる愛情は浅からぬものがある。


「しっかし美人だな。肌が綺麗だし、かわいい系なのに大人っぽさもあるというか。目元なんかお前の面影もあるのに、不思議だ」

「どういう意味だよ。……というか旅人たびと、前にも会ったことあるだろう?」

「え、そうだっけか」


 記憶を探ってみる。確かにその昔、俺が藤定家によく遊びに行っていたときは見かけていた気もする。……が。


「いや、それ小学生の頃とかだろ」

「別にそこまで変わらないだろう」

「変わるって! 十年以上経ってたらもう別人だろ、特に女の子なんて」


 思わず声を荒げると、拡務はピンと来ていない様子で「そんなもんか」と呟いた。相変わらず、ところどころ浮世離れした発言が飛び出す男だ。


「それで、今日は何の用があって来たんだ。凛の……妹の話をしに来たわけでもないだろう」

「おお、そうだった」


 俺はポケットからスマホを取り出しながら言った。


「実は強ち間違いでもないんだよ。今日はお前にというより、お前の妹に用があるんだ」

「……妹に?」

「今、話題のだよ。インターネット中を騒がせてる、例のサービス」

「…………ああ」


 そこまで聞くと、察するものがあったのだろう。拡務はいっそう低い声で相槌を打ち、俺から目線を離した。もしかするとあまり話題に出してほしくないのかもしれないが、こちらにも事情がある。遠慮するわけにはいかなかった。


の精度が凄いって、SNSでも大評判じゃないか」


 俺は手元のスマホで、とあるネットニュースの記事を開いていた。『新時代の画像生成AI“UnCarnation”アンカーネーションが話題。イラストレーター廃業の危機?』と、見出しには大きなゴシック体が並んでいる。日付は二〇二二年八月二〇日。今から二週間ほど前だ。

 記事のいわく、まるで人間が描いたようなイラストを生成できる画像生成AI“UnCarnation”を、アメリカのとあるスタートアップが発表した。たとえば「皿に置かれた食べかけのリンゴ」と英語で入力すれば、それをもとにAIが画像を生み出す。その精度はこれまでの同種のサービスとは比べ物にならず、さらにUnCarnationはオープンソース化されているため、規約さえ守れば商用・非商用を問わずモデルの使用・再配布が可能。機械学習による画像生成にブレイクスルーが生じたことは間違いなく、創作をめぐる社会通念そのものにすら大きな変革をもたらすかもしれない―――。そんな内容だ。

 書いてある中身は、はっきり言ってどうでもいい。俺が注目したのは、件の画像生成AIを開発したチームのメンバーだった。記事に貼られていたリンクを辿ってホームページに飛ぶと、UnCarnationの開発チームの中心的な構成員がリストアップされている。外国人の名前がいくつも並ぶ中、ひと際目立つ日本人名があることに、俺は気付いた。

 とぼけるとも認めるともつかない、微妙な表情を浮かべる拡務。

 その横顔に向かって俺は、息を吸って、はっきりとその名前を読み上げた。


「ニックネーム“LYNリン”―――本名・藤定凛。このAIの開発者って、お前の妹なんだろ?」

「…………」


 冷却用のファンが、静かに低い音で唸るのが聞こえる。効きすぎなくらいガンガンなエアコンの冷房はマシンの温度を上げないようにするためのものであることに、俺はそこで初めて思い至った。

 拡務は諦めたように、溜め息をつく。


「だったら、何なんだ。クリエイターの端くれとして、妹に文句でも言いに来たのか?」

「そんなんじゃない。そもそも俺は自分をクリエイターだなんて思ってないよ」

「ふん。芸大にまで行っておいてその言い草は無いだろう」

「手に職をつけたいからメディアデザインを学んでるだけさ。お前みたいに自分でプログラムを書ける奴の方が、よっぽど創作者だと思うよ」


 自然に出てきた言葉だったが、それが相手にどう響いたかは分からない。拡務は不機嫌そうに鼻を鳴らすだけだった。


「凛ちゃんって確か一つ下だから、まだ十八か十九だよな。それが外人の技術者たちに紛れてシステム開発って、どれだけ凄いことなんだ?」

「さあな。……俺も一年飛ばして来年には学部を出る予定だが、あいつはもうとっくに院生と肩を並べて研究に没頭中だそうだ。AI開発はその片手間だよ。俺にだって想像がつかん領域だ」


 呆れたような調子でそう言いながら、拡務はキーボードの横に置いてあるモンスターエナジーに手を伸ばした。

 一方は有名国立大学の理工学部、他方は地元の芸術大学。小中高とつるんできた拡務と俺が初めて進路を分かって以降、SNSではやり取りしていたものの実際に会うのは一年半ぶりだった。元気そうなのは何よりだったが、見る限り酒とエナドリ以外を摂取している形跡が全くないのは少々、いや結構心配になる。


「そんなものばかり飲んでると、また身体を壊すぞ。野菜食ってるか?」

「お袋か何かかよ、お前は」

 拡務はほぼ垂直まで缶を傾けて中身を飲み干してから、

「というか、って何だ。俺はここ最近身体なんか壊してないぞ」

「何言ってんだ、昔は病弱だったじゃないか。小四の時なんか、三か月くらい学校休んでただろ」

「……お前こそ十年以上前の話を引っ張り出してきてるじゃないか」


 今度こそ、拡務は呆れて肩をすくめた。

 積もる話も思い出話も、一度しだすときりがない。せっかくの再会だが、俺は話を前に進めることにした。


「色々と、経緯が複雑でな。どこから話せばいいもんか、まだ整理がついていないんだが……実はひとつ、頼みがあるんだ」

「……頼みって、妹にか?」

「ああ、できれば。それが無理なら、拡務、お前でもいい」


 拡務の顔にはますます疑問の色が浮かんだ。

 仕方ない。説明はあとだ。


 昔から拡務は俺より遥かに頭が良かった。俺が突然何かを言いだしては、それがいかに荒唐無稽な考えであるかを滔々と拡務に教え諭されるのがいつものパターン。それでも俺が諦めないと、最後には必ず折れて、願望と現実との折衷案を出してくれる。俺にとって拡務は、大人よりも頼りになる存在だった。

 拡務の言うとおり、そんな昔の話を今さら引っ張り出しても、もしかしたら迷惑なだけなのかもしれない。ただ俺にとって、他に寄る辺がないのもまた事実なのだ。


 俺はスマホを立ち上げ、画面を拡務に見せつけた。


「……何だこれは?」

「絵、だな」

「……いや、それは分かる。この絵が一体どうしたっていうんだ」


 写真立ての中で、バストアップの藤定凛が不敵に笑う。

 困惑した様子の拡務に、俺は言った。


。人が描いたものなのか―――それとも、UnCarnationで描かれたものなのか」


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