第4話 裏切りの果実

「ずいぶん慌ててるけど、何かあったのかい」

 ワタルは動揺する私を見て首を傾げてみせる。

「今朝かごを見たら、食料が届かなかったんだ」

「そうかい、俺のところには届いたよ」

 どういうことだ。私の牢獄は配達ルートから漏れてしまったのだろうか。手違いならば良いが、明日も明後日も食料が届かないとしたら。


 餓死への恐怖に全身から血の気が引いていく。ワタルは窓辺に腰掛け、のほほんとバナナを剥き始めた。私は彼の行動に嫌悪感を覚えた。私の状況を知った上で、ひけらかす態度を取るなんて。

「明日は届くだろうか」

「さあね、どうかな」

 ワタルはバナナの皮を海に放り投げた。今の私には皮さえも惜しい気持ちなのに。


「この間、バアさんと隣同志になったって話、したよな」

 ワタルは干し肉を取り出し、味わいながら咀嚼する。

「バアさんもある日から食料が届かなくなったらしいぜ」

「なんだって」

「力尽きて愚痴を言わなくなったよ」

 ワタルは肩をゆらして笑う。私の抱いた嫌悪感は激しい憎悪に変化していく。この男は何を言っているのだろう。


「あんた、結構ため込んでたね。きっと貯金もしっかりするタイプなんだろう」

「どういうことだ」

 私は詰問口調で問うた。ワタルは小ぶりの林檎を取り出し、パジャマの裾で拭ってかじりつく。

「俺さ、大学時代体操部だったんだ。今でも鈍ってないぜ」

 ワタルは屋根を指差す。


 牢獄は円筒形だ。窓を伝えば屋根まで登れないことはない。屋根は平らだ。私のいる牢獄まで端から端まで助走をつければ乗り移ることができるというわけだ。

 ワタルは私の牢獄へ移乗し、縄を引き上げて配給された食料を横取りしたのだ。あろうことか、窓から侵入して中央のテーブルに集めておいた保存の効く食料まで奪った。


 私は湧き上がる怒りと、彼に対する失望でその場に立ち尽くした。この状況で食料を取り上げるなんて、彼のやったことは殺人だ。生意気な横っ面を殴りに行きたいが、私にはそんな身体能力はない。ただ憎しみを込めた目で彼を睨み付けることしかできない。

「お前は人殺しだ」

「何とでも言えよ、働かざるもの食うべからずってな」

 ワタルの哄笑が大海に響き渡る。


「ぐふっ」

 突如、ワタルが苦しみ始めた。喉元を掻きむしり、鮮血を吐いた。顔は異様に膨れ上がり、手足がガクガクと痙攣している。

「あがが……」

 ワタルは私の方へ手を伸ばす。私はゆるゆると首を振る。彼を助けに行くことなどできない。


 ワタルの背中が弓のように大きく反り返った瞬間、バランスを崩しあっけなく落下した。

「なんてことだ……」

 彼の身体は海面に激突し、波飛沫が上がった。彼のいた窓辺には小さな黄金色の林檎が転がっていた。まさか、あの林檎に毒が盛ってあったのだろうか。

 いや、聞いたことがある。世界には死の林檎と呼ばれる木があると。林檎によく似た果実だが、猛毒があり、神経症状、呼吸器疾患を引き起こし最悪の場合死に至るのだと。


 ワタルの恐ろしい死に様と、これから私に訪れる恐怖がないまぜになり、空っぽの胃袋が急激に蠕動した。私は窓から身を乗り出し、嘔吐した。胃液が喉を焼き、涙が滲んだ。明日から食料を奪う者はいないが、必ずしも安全ではないことが証明された。


 海面が隆起して、黒光りする巨体が波間から姿を現わした。巨大魚だ。新鮮な餌に食いついたのだろう。

 私はワタルに対して親しみを感じ始めていたが、彼は私を利用することしか考えていなかった。あのまま林檎を食べて死ななければ、牢獄が近い距離にある限り、彼は私の食料を搾取し続けていただろう。

 さよなら、髭面の白雪姫。お前はピノキオにもなれない。

 

 突如、激しい水音がした。巨大魚がのたうち回っている。嵐の如く波はうねり、塔にも振動が伝わってきた。私は震えながら窓辺にしがみつく。巨大魚はひとしきり暴れた後、大きな口を開けたまま白い腹を見せてぷかりと浮かんだまま動かなくなった。

 毒林檎を食べたワタルに当たったのだろう。



  


 

 

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