第40話 ママ……ママ……

 一方、ホルシュは、戦場となった大通りの脇で、ポロリュテーを治療していた。


 ポロリュテーは全身裂傷だらけ、おまけに右足と左手は曲がってはいけない方向を向いており、外から見ても骨折は数か所に及ぶことがわかるほどのあり様で、完全に意識を失っている。


 胸は上下しておらず、おそらくは呼吸も止まっているものと思われた。


 そんなアマゾオンの女王を寝かせ、左手で魔導書を開きつつ、たくましい腹筋の上に右手を当てて、癒しの魔法を行使するホルシュ。


「重ねて祈ります……大いなる女神ノルマリス……この者の肉体を癒したまえ……!」


 第七粒子が青く輝き、傷病を癒す力へと変わってポロリュテーに染み込んでいく。

 青い光が波のように広がり、末端から少しずつ傷を塞いでいく。


 それは、どこか植物が種から芽吹くようでもあった。


「神が七日目に与えられた恵みにより……この世の理の……はぁん!」


 唐突にホルシュが嬌声を上げた。

 だが、彼女を責めるのは酷というものだろう。


「や、やめてくださぁい……!」


 ホルシュの豊かな胸が、後ろからわしづかみにされていたからである。

 しかし、ホルシュもそれを邪険にできない。


 なぜなら――


「ママ……」


 それをしているのがアーク・メーヴェその人だからである。


「女王さま、正気になってくださいぃ」


「ママ……ママ……」


 ショックが強すぎたからであろうか。

 女王は、完全に幼児退行していた。


 おまけに、ホルシュを母親だと思っているようである。


「私、ママなんかじゃありませぇん。まだ結婚もしてないのに……」


 ホルシュが半泣きとなるが、幼児の心には届かない。


「おっぱい」


 ホルシュの胸元にまで手を差し入れ、乳房を引っ張り出そうとする。


「ダメですよぉ! やめてくださぁい!」


「……っ!」


 思わずホルシュが大声を出してしまう。

 すると、女王はびくりと体を震わせた。


 そして、その瞳に大粒の涙がにじんでいく。


「びえええええええええ!!」


 おいおい泣き出すアーク・メーヴェ。


 子育ての経験などないホルシュは、おろおろするばかり。


「わ、わかりました、わかりましたから……」


「びぇ……?」


「好きに触ってくださぁい……」


 ホルシュは、胸を放り出した。


「わぁい!」


 喜色満面、その胸に吸い付く女王。

 ちゅうちゅうと満足そうである。


「うっ……くっ……、でも……集中しなきゃ……人の命がかかっているんだもの……ダイスケさんたちも、戦っているんだもの……!」


 ホルシュは眉根を引き結び、再び呪文の詠唱を始めた。


「大いなるっ……女神っ……ノルマリス……よっ、くっ……その恵みで……我ら地の子だちを……はぁんっ……癒したまえ……!」


 女王の吸い付きに耐えながら、癒しの魔法を続けるホルシュ。

 傍から見れば、異様な光景だろう。


 しかし、彼女の表情は真剣そのもの。


「私に……出来るのは……これだからっ……!」


 ホルシュの祈りを込めた魔法が、ポロリュテーの肉体を癒していく。

 彼女の魔法とて万能ではない。


 癒しの術で出来る回復にも限度があるし死者を蘇生させる術など存在しない。

 また、魔法を行使するための第七粒子は己の体内で生成されたものしか使えない。


 これほどの大怪我を癒そうとすれば、彼女が使えるギリギリの量の第七粒子を使い切ることになるだろう。


 つまり、根こそぎ体力が魔法に奪われていくことを意味する。

 それでも、助けられるかはわからないのだ。


 ポロリュテーの折れていた手足が、修復された筋肉の力でもとの方向へ戻っていく。


 元より強靭なアマゾネスの肉体は、魔法を受けて驚くべき再生力を見せていた。

 しかし、命が失われてしまえば、肉体だけ修復されても意味はない。


「起きてください……ポロリュテーさん……くぅっ……私は、貴方のことを何も知らないけれど……ダイスケさんが助けたいと……はぁんっ……思う人です……だから、話してみたいです……どんな人なのか、知りたいです……起きて、くださぁい……!」


 ホルシュは限界まで振り絞った第七粒子に願いを込めて、ポロリュテーに送り込んだ。


 体力を使い切った神官の額から、玉の雫がぽたぽたと落ちる。

 あとは、彼女の魂が肉体を去っているかどうか……。


 しかし、ポロリュテーの体に動きはない。

 外から見て大きな外傷はほとんど消えていたが、それでもぴくりともしない。


「そん……な……」


 気力の限界で汗だくになったホルシュは、思わず目を伏せた。

 が、そんな彼女のほっぺたを、ぺちぺち叩く音がした。


「ママ、ママ」


「え?」


「このひと、ないてる」


 アーク・メーヴェが指し示すポロリュテーの顔、閉じられた目から、涙がこぼれ落ちていた――

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