第2話 神の目は全てを見抜く
「……?」
そこは、月並みな表現で言えば不思議な空間だった。
なにしろ、地面がない。それでいて、落ちない。
無重力なのだろうが、宇宙とも思えない。
ネオン街のようなビビットな模様が遠まきに浮かんでは消える。
距離の感覚があいまいで、壁が近くにあるような気がするが、手を伸ばしても何も掴めない。
大介が子どもの頃に見た特撮の、四次元空間のイメージに、どこか似ていた。
「ん?」
手を伸ばして気づく。
服を着ていない。
大介は、全裸で浮いている。
「ど、どうなってるんだ……? まさか……あの世……なのか?」
『おい』
そんな困惑する大介の背に、声がかかった。
高く甘く、どこかアニメの声を思わせる蠱惑的な呼びかけに、大介はほとんど反射的に振り向いた。
『え?』
そこにいたのは、小人ないし妖精のように見えた。
30センチほどの小さな女性が浮いている。
人間ではないのは間違いない。
頭の両脇には羊の角――まさかアンモナイトではあるまい――があり、背中からは蝙蝠の羽根のようなものが生え、先端が三角の尻尾まで備えている。
髪はピンク色なのだが、自然な髪色というより、気合の入ったバンギャの髪を思わせる、どこか化学的な色合いだった。頭頂部からはひと房、ピンと跳ねてぴこぴこと揺れていた。
服装は更に奇妙で、純白の水着は、ハートにくりぬかれて谷間の見える胸部分はまだしも、下半分はハイレグという言葉では収まらないほどきわどく、腹のあたりからはほとんど棒になっている。まるで下着を強引に引っ張って胸まで持ち上げたかのようだ。
下腹部はその棒の下から、ハートを魔術的に意匠したような紋章が覗いている。
そんな女性の顔の作りはギリシア彫刻のように整っているが、瞳にはピンク色のハートマークが浮かんでおり、唇は獲物を前にしたけだもののように持ち上げられている。
その唇から漏れ出た言葉は――
『アホ面晒してんな。晒すならアヘ顔にしろ』
しょうもない下ネタだった。
「ひとつ聞きたい」
『何だ? 経験人数か?』
「……これは異世界転生か?」
『お、話が早くて助かるな。アッチが早いのは困りものだけどよ。イヒヒヒ』
「翻訳の魔法的なのバグってないか? 全部下ネタに聞こえるんだが……」
『はぁ? アタシゃ神様だよ? そんなミスするわけないだろ。下ネタはちゃんと言ってる』
「余計問題じゃねえか!」
『お、いいツッコミ。突っ込むのは大事だぜ。会話もアソコもな』
下ネタの連呼に、大介は肩を落とす。
「……ええと、もう一度確認だ。俺はトラックにはねられたところまで覚えている。それでどうもあの世にしてはサイケデリックすぎる。もしかしてだと思ったが、どうやら、アニメなんかでよく見かける異世界転生というやつじゃないだろうか?」
『そうだよ。アタシ様はサキュレ・バスティーシュ』
「サキュバスか」
『神様だって言ってんだろ! この神々しいまでの妖艶さでわかんだろーが!』
頬を膨らませて身をS字にくねらせるサキュレだが、こう小さいと妖艶さというより、アクションフィギュアの可動性の広告のようだった。
思わず大介は手を伸ばす。
『お、おい、何すんだ!』
指で腕を掴まれたサキュレが頬を膨らませる。
「いや、触れるんだな」
『性の神に肉体がないわけないだろ!』
「……まぁ、一理ある。いや、死後の世界ならみんな幽霊みたいなもんだと思ったんだ」
『そう、アッチではアンタは死んだ。だがここは死後の世界じゃない。アタシ様が、お前を救いあげてやったんだ。感謝しろ感謝、あ、顔し――』
「下ネタ言わないと死ぬのかあんた」
『バカ言え。アタシ様は人々の性を司る神なんだぞ。いわば大地母神みたいなものなんだから性に関連してるのは当たり前だろうが。お前らが、意味もなく性をタブー視してるだけだ。繁殖に必須の性を忌避してるほうがおかしいだろ』
「た、たしかにそれも一理ある……」
性のタブー視は、地球の宗教の戒律にすぎない。
人間が動物であることを考えたら、その不自然さは言うまでもなく、他の世界までがタブー視しているというのはおかしな話だろう。
……などと大介が考えていると――
『まぁ、アタシ様の下ネタは趣味なんだけど』
「趣味かよ!」
『そうは言うイセ・ダイスケ。お前だってドスケベだろうが』
「は、はぁ!?」
『アタシ様のドスケベセンサーにビンビン来るヤツを選んで転生させたんだ』
自称女神の頭頂部の毛がビンと伸びて反応する。
「だ、誰がドスケベだ! ひどい言いかがりだぞ!」
『ほう。じゃあ、お前のダウンロード購入履歴を読み上げよう』
「は?」
『『男が俺一人の世界で人口が爆発した件』、『常識がエロいエルフ村 短期留学編』、『人妻ランドセル入学式』、『次々奴隷を救ってたら大奥が出来てた』、『おっさんだけど男の娘に転生した』、『どう見えたとしても18歳以上なんだからしょうがない』、『ビッチと行くまぐろ漁』、『亜人スキー症候群』、『ちっぱいんバディーにホールインワン』……』
「うわああああああああああああああああああああ!!」
大介が赤面して絶叫するが、タイトルの連呼は続いていく。
並みの量ではない。
浪人中のバイト収入の大半をつぎ込んでいるのが明白であった。
『すごいなお前。大体の属性持ってるじゃねえか。猟奇と排泄がないくらいか。まぁ、そりゃ別の神の担当だから、アタシ様にも都合がいい』
「ま、待て! なんでパソコンの購入履歴なんかわかるんだ! そんなファンタジーな見た目のくせに!」
『性の神のみが持つ、性癖オープン能力だ。神の目は全てを見抜く』
「最悪じゃねえか!!」
『素直になれよ。そんなお前の心の叫びをアタシ様がキャッチしたからこそ、こうしてチャンスを与えてヤってるんだから』
そう言ってぺろりと伸ばした舌は、人間のそれより長く、蠱惑的に動いていた。
「チャンスって……」
『童貞卒業』
「ぶふぉっ!?」
思わず吹き出す大介。
そんな彼の姿を、サキュレはにやにやと眺めていた。
『イヒヒヒ……』
「ま、まさか相手がお前とか言うんじゃないだろうな……?」
『バ、バカ言え。このサイズで受け止めたら壊れちゃうだろ! 常識で考えろ!』
「なんでそこだけ常識を問うんだよ!」
『ええい、とにかく、お前は転生するんだ。異世界ノルマースにな』
と、大介とサキュレの間の宙に、青い裂け目が突然生まれた。
「な!?」
『そろそろ時間だな。延長はナシだぜイヒヒヒ』
サキュレは裂け目に手をねじ込み、一気にそれを開いた。
「お、おい! ちょっと急――」
『心配すんな! アタシ様もついていってやる! その方が興奮するだろ!』
「待て、虫歯菌!」
『誰が虫歯菌だぁーーー!!』
空間を貫いて、召喚の呪文が響いていく。
瞬間、ネオンを思わせる猥雑な空間を切り裂いて、青の輝きが辺りを包んだ――
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