クエスト7: 異世界転移の経緯と目的を明らかにしてください

第1話 ウル!?

 鳥のさえずりというには甲高い鳴き声と共に、バッサバッサと激しい羽音が聞こえてくる。それに応えるようにサルの鳴き声まで聞こえる。


 どうやらケンカをしているようだ。


「もう、何の騒ぎ……?」


 彩良は寝ぼけ眼をこすりながら、ゆっくりと身体を起こした。


「お、サイラ。目が覚めたか?」


 聞き慣れない男の声に彩良が顔を上げると、若い男の笑顔が目の前に迫っていた。


 小麦色の肌をした精悍な顔立ちに澄んだ灰色の瞳、黒髪にふっさりとした白い髪がところどころに生えている。彩良の世界ではあまり見ることのない珍しい風貌の美青年だった。


 しかし――


「昨日のチカン! 変態! 寝てる間に何したのよ!?」


 彩良は叫んでその男から飛びのいた。


 『露出狂』と言わなかったのは、現在その青年がパジャマのような白い上下だが、きちんと服を着ているからだ。


 彩良は真っ先に自分の身体を探って、昨日の服がきちんと着たままになっていることを確認する。


「サイラ、オレだ。ウルだよ」


 青年が手を伸ばしてくるので、彩良は反射的にベッドから飛び降り、その手をかわした。


「あたしの知ってる『ウル』はオオカミで、人間の『ウルさん』は知りません!」


「だから、そのオオカミのウルだって。サイラのおかげで人間に変身できるようになったんだ。サイラと話ができるようになって、オレはうれしい」


 そう言って、青年はニコニコと邪気のない笑顔を向けてくる。


「はぁ……?」


 彩良の思考は一瞬停止したが、すぐに自分が異世界にいることを思い出した。


 魔物がいたり、呪いや魔法があるこの世界なら、動物が人間に変身するのも普通のことなのかもしれない。


「……ほんとにウルなの?」


 彩良が確認すると、青年はコクンと頷いた。


「さあ、サイラ。いつもみたいにギュッとしてくれ。オレは早くペロしたい」


 人間ウルは改めて両手を伸ばしてくるが、彩良はすかさず身を引いた。


「無理! ぜーったい無理! あ、あたし、自慢じゃないけど、男の人に抱きつくとか、そういう普通の女子的なことには全然向いてないの! そういうのは全部二次元の話なの!」


「ええー……」と、ウルはショックを受けたように頭を落とした。


「ペロもダメなのか?」


 ウルはしょんぼりしたように上目遣いで彩良を見つめてくる。


「……『ペロ』って何?」


「これだ」


 ウルが彩良の両腕をつかんで引き寄せると、その顔を近づけてくる。きれいな顔が眼前に迫って、彩良の頬は真っ赤になっていた。


「な、何する気!?」


 必死に逃げようとしても、ウルの方が頭一つ分背は高いし、力も強い。逃れられないまま、口の横をペロリと舐められた。


(……あ、ほっぺにチュウ? これくらいならまだ許容範囲?)


 ちょっと騒ぎ過ぎたと彩良は反省した。が、そのまま広い胸の中に抱きしめられて、再びパニックになった。


「な、ななな、なに……!?」


「ふむ。人間の時はオレがギュッとする方が簡単だな。……あ、イテ! こら、やめろ!」


 突然ウルが叫んで彩良の身体を離した。


 目の前でウルは身をよじって暴れている。ピッピが羽ばたきながらウルの頭をつつき、肩に乗ったモン太が頬をつまんで引っ張っているところだった。


「ピッピとモン太も来てたの? ていうか、モン太、ツノ取れちゃったの!?」


 彩良は真っ先にモン太の額に十円玉ハゲがあるのを見つけてしまった。いつものようにモン太は肩に乗ってきたが、ジロジロ見るにはかわいそうな姿だ。


「……あー、でも、よかったね。これで魔物には見えなくなったよ」


 うん、とモン太はうれしそうに頷いた。どうやらハゲは気にならないらしい。


「それで、二匹ともいったい何を怒ってたの?」


「ああ、それはオレばっかりペロするなって、怒ってるんだ」と、ウルが答える。


「そういえば、さっきもケンカしてたみたいだったけど……ウル、まさかあたしが寝てる間にペロしてたの!?」


 オオカミのウルなら騒ぐこともないが、この人間ウルに顔中を舐め回されていたかと思うと、妙に居心地悪い気分になる。


(だって、ペロってほとんどキスとおんなじだしー)


 もっとも彩良の心配をよそに、「オレはそんなことしない」とウルが真面目な顔で否定するので、取り越し苦労に終わったが。


「じゃあ、ケンカの理由は何?」


「単にピッピが怒ってただけだ。昨夜、サイラを救出しに行った時、モン太がサイラの血を舐めたからズルいって。自分は寝床に帰って寝てたんだから、仕方ないってのに。要は逆ギレっていうやつだ」


 彩良は突っ込みどころ満載の話に聞きたいことが山ほどあったのだが、ピッピが怒ったように「キィーッ」と鳴きながら飛んできてウルの頭にケリを入れるので、出端をくじかれてしまった。


「だって、事実だろうが!」と、ウルは頭をかばって怒鳴り返している。


 騒ぎがまだまだ続きそうなので、彩良はパンパンと手を叩いた。


「はい、そこまで! ウル、あたしの質問に答えてよ。そこに座る」


 彩良はベッドに腰かけ、ウルにはその隣のベッドを指差した。ウルが言われた通りに座ると、ピッピは出窓に飛び去って、ツーンとそっぽを向いてそこに止まった。


「ウル、説明して。まずここはどこ?」


 昨夜までは北の塔の牢獄にいた。そして、そこから逃げ出して人間ウルに遭遇したが、その後のことがさっぱり覚えていない。


「ここは宿屋っていうところらしい。フカフカの寝床があって、頼むとエサももらえる。日当たりもいいし、なかなか快適だ」


「宿屋なら普通かもしれないけど……ちょっと待って。宿屋ってタダで泊まれるところじゃないのよ! こんなところに泊まっちゃって、お金どうするの!? 言っとくけど、あたし、無一文よ! 無銭宿泊で捕まっちゃうじゃないのー!!」


 再びパニックに陥る彩良に対して、オオカミではこの状況が理解できないのか、ウルは飄々とした顔をしていた。


「オレが連れてきたわけじゃないぞ。サイラが血を流してたから休ませた方がいいって、人間のメスがここに連れてきたんだ」


「そういえば鼻血を出したような……て、人間のメス? 誰のこと?」


「知らん。でも、親切なメスだった。サイラの血を止めてくれた。オレの服も用意してくれた。明日の朝に――もう今日になるが、また来るって言ってた。それまでこの部屋から出ないって約束してある」


 連れてきたのがジェニールでないのなら、あまり心配しなくてもいいだろう。こんな居心地のいい宿の部屋を用意してくれる女性なのだ。ひどい扱いをしようとしているとは思えなかった。


「じゃあ、その人が来たら話はできるというわけで……。それで、あたしを助けに来てくれたってことはわかったけど、その変身は? 見たところウルだけみたいだけど、森の魔物たちは実はみんな変身できたりするの?」


 やはり彩良にとって一番気になるのはこの点だ。


(だって、いかにも『ファンタジー世界に来ました!』って設定じゃないのー!!)

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