第6話 急ぎ北の塔へ(前)
アリーシアがノーラからの書簡を受け取ったのは、王国の北西にある商業都市イルドの宿屋に到着した時だった。
予定より早く着いたおかげでその内容をすぐに読むことができたのは幸いといえる。
ジェニールがジュードの森で見つけてきた娘――。
ノーラの手紙によると、その娘は『魔物と仲良くなれる才能』を持っているという。
ノーラは今後の魔物討伐に役立つと、いち早く教えようとしたのだろう。
しかし、アリーシアからすると、この二か月、遠征と称して全国をめぐりながら探していた人物の最重要情報だった。
一か月前、王都に帰還した時にノーラからその娘の話は聞いていた。ジェニールが森で人間のような珍獣を拾ってきたと。
その時すでに会う機会があったはずなのに、ジェニールの悪趣味などどうでもいいと、遠征に再出発する方を優先してしまった。
(あの時、気づいていたら――)
アリーシアはすぐさま王都への帰還を決め、それから五日、部下を連れてほとんど不眠不休で馬を飛ばしてきた。
この遅れのせいで間に合わなかったらと思うと、馬の歩みを止めることができなかった。
アリーシアは王宮に到着すると、その足で自分の部屋に向かった。クレア妃が報告を待っているが、そんなことは後回しだ。
「アリーシア様、お帰りなさいませ。お早いご帰還で――」
「挨拶はいい」と、長々と話し込みそうなノーラを遮った。
「書簡の娘はどこだ? ティアにつないで、すぐに会えるよう手配してくれ」
「もしかして、私の二通目の書簡は受け取っていらっしゃいませんか? あの後すぐに送ったのですが」
アリーシアはノーラの顔色が悪いことに初めて気づいた。
「二通目? イルドで受け取ったきりだが」
「ああ、入れ違いになってしまったんだわ。それでもアリーシア様がすぐにお帰りになってくださってよかった……」
そう言って、ノーラはほっとしたように息を吐いた。
「何があった?」
「例の娘、ジェニール様によって王宮から北の塔に移されてしまったんです」
「北の塔……。まさかジェニールの奴、兄上の部屋にその娘を?」
「私では内部まで入れませんので確認はできませんでしたが、おそらくは――」
「ああ、確認するまでもないだろうな」
普通なら食事をしている収容者に別の呪いの発症者を与えることはない。しかし、ジェニールがフィリスの死を望んでいるというのなら話は別だ。
要らなくなった娘をフィリスの部屋に入れることくらい平気でする。
だいたいジェニールが自由民の娘のために北の塔に部屋を用意するはずがない。配下に命じて殺す方が先だろう。
「このことは母上に報告しなかったのか?」
「少なくとも一日三回、二人分の食事が運ばれていますので、まだその時ではないかと」
「つまり、二人とも無事ということだな」
アリーシアは間に合ったという思いに安堵の息を深く漏らしていた。
「それで、ノーラ、その娘が北の塔に入ったのはいつだ?」
「ちょうど半月が経ちます」
「かなり時間が経っているな」
「はい。最初の一日二日は、いつフィリス様があの娘を襲ってしまうかとヒヤヒヤしておりましたが」
「今日まで何事もなかったと」
「ええ。魔物と仲良くなれるという娘ですから、魔物化した人間にも危害を加えられないということではないでしょうか」
アリーシアが最後に面会に行った時、フィリスは扉越しに声を聞くだけで理性を保つのが苦しいと言っていた。そのまま面会拒否となって三か月近くが経っている。
何もせずに症状が良くなるはずはないので、普通に考えてその娘を目の前にして襲わない方がおかしい。
「私もその可能性が高いと思う」と、アリーシアは頷いた。
「ジェニール様は娘の才能をご存じありませんが、ここまで長くなってくると、異常に気づいてしまうかもしれません。そうなると――」
「わかっている。私はこのまま北の塔に向かって娘を保護してくる。母上には疲れているので明日にでも伺うと伝えてくれ」
アリーシアはノーラに言い残すと、そのまま部屋を後にした。
アリーシアは再び馬を走らせ、王都の北はずれにある塔へ向かった。
すでにほとんどの家明かりが落ちるこの時間、街中とはいえ、かなり暗い。そんな中、北の塔はこの時間でも篝火が焚かれ、その姿を赤く浮かび上がらせていた。
アリーシアが門の前までたどり着くと、錬鉄柵の向こうに衛兵が一人、入口に座り込んでいるのが見えた。
牢獄ほどではないが、北の塔も普段から警備が敷かれ、人の出入りを制限されている。塔の扉が開きっぱなしになっているところを見れば、何かしらの異変が起こったことは一目瞭然だった。
すぐに兵舎に行って応援を呼んでくるべきなのはわかっている。それでも、アリーシアは真っ先にフィリスと娘の無事を確認したかった。
アリーシアは馬を柵に括り付けると、座り込んでいる衛兵に声をかけた。
「おい、ここを開けろ。近衛騎士団のアリーシアだ」
錬鉄柵を激しく叩いても衛兵は何の反応もしない。
アリーシアは柵をよじ登り、その向こうの敷地に飛び降りた。すぐに衛兵に駆け寄って首の脈を確認する。
息はある。見たところ大きな外傷もないので、気を失っているだけらしい。
アリーシアが衛兵の頬を軽く叩くとかすかに目を開いたが、身体が痛むのか苦しそうなうめき声を上げた。
「何があった?」
「あ、アリーシア殿下……。何者かが塔の中に侵入したようです」
「見たのか?」
「いえ……背後からいきなり襲われたので」
「人数は?」
「わかりません……」
このタイミングで賊の侵入――。
狙われているのはフィリスか、それとも娘の方か。いずれにせよ、今この北の塔に収容されているのはその二人しかいない。
「ここの衛兵はお前一人か?」
「いえ、もう一人。夜の見回りに入っていったのですが。戻ってきていませんか……?」
「いや」
(中で賊と鉢合わせているのか。それとも――)
やはり応援をのんびり待っている場合ではなさそうだ。
「お前は動けるようになったらでいい。兵舎に行って手勢を集めて戻ってこい」
「殿下は……?」
「兄が心配だ。先に行く」
「危険です! 応援が来るまでどうかお待ちを……!!」
その時だった。開かれた扉の向こうから、女の甲高い悲鳴が響いてきたのは――。
「そうも言っていられないらしい」
アリーシアはさっと立ち上がり、剣に手をかけながら扉をくぐった。
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