第5話 サヨナラのキスとかあり!?
「泣かないで」
いつの間にか目の前に立っていたフィリスが、彩良の頬に流れる涙を指先でぬぐっていた。
こんなに近くに彼がいるのは、彩良がここに運び込まれてきた時以来だった。フィリスのひんやりした指先がかすかに震えている。
今にも喰らいつきそうになるのを我慢しながら、それでも慰めようとしてくれているのだろうか。
彩良はぼんやりとそんなことを考えながら、フィリスの髭で覆われた顔を初めて間近に見つめていた。
きれいな赤い瞳が泣きそうに揺らいで見えるのは、自分の目が涙で濡れているせいなのか。
「僕は最初からここで死ぬ予定だった。でも君は違う。僕のせいで死なせるわけにはいかない」
「あたしだけ生き残っても――」
「一人ではないだろう? 森には君を大事に思う仲間たちがいる。君に死んでほしくないから、わざわざここまで来てくれたのではないのか?」
「そうかもしれないけど、それはフィリスを置いて逃げていい理由にはならない」
フィリスは困ったように小さくため息をついた。
「本当は僕も君を連れて地の果てまで逃げることを考えたよ」
「だったら――!!」
彩良は目を上げたが、フィリスに遮られた。
「でも、この姿ではどこにも行けない。すぐに目撃されて、追手がかかってしまう」
フィリスはそう言いながら、いつもかぶっているシーツを取り除き、その頭を露わにした。
額に五センチほどの尖ったツノが炎の光で黒々と光っている。
森の魔物たちを見た時には、そこまでの違和感はなかった。しかし、こうして人間の額にあるのを見ると、はっきりと『人間ではない』と認識してしまう。
フードでツノは隠せたとしても赤い瞳までは隠せない。
「あたしは別に怖くないのに……。宝石みたいにきれいなのよ」
彩良はベッドを下りてフィリスの頭に手を伸ばした。
そっとそのツノに触れてみると、森の仲間たちにあったものと同じ、硬く冷たい感触だった。
突如、フィリスにその手を掴まれたかと思うと、髭面が近づいてくるのが見えた。頬にモフモフが触れたと同時に、唇に温かい感触が伝わってくる。
何が起こったのかわからず彩良が目をパチクリしている間に、フィリスの顔はすでに離れていた。
(今、何が起こったー!?)
まさか、と思うと顔が真っ赤になってくる。
(こ、このオタク女子に限って、こういう展開はないって話じゃなかった!?)
うっかり現実逃避していると、フィリスに腰をさらうように抱き寄せられて、再び唇をふさがれていた。
唇の間に差し込まれるフィリスの舌が、逃げる彩良の舌を追うように口の中をかき乱してくる。
(ど、どうしよう……)
こういう場合は『やめて!』と突き飛ばすのがよくあるパターンなのに、そんな力が出てこない。それどころか変な快感が背筋を伝わって、腰砕けになりそうだ。
フィリスに支えてもらっていなかったら、へなへなとその場に座り込んでしまってもおかしくない。
ようやくフィリスの唇が離れた時、彩良は自分がそれまで息を止めていたことに気づいた。
「……サイラ、このまま襲われたくなかったら、早く行った方がいい」
フィリスの囁くような声が聞こえ、彩良は恥ずかしさのあまり発狂するところだった。
(ひゃあぁぁぁ! あたし、ものすごい勘違いしてたー!! これ、キスじゃなくて、普通に喰われるところだっただけじゃないの!)
さすがオタク女子に用意された設定だと、彩良は思わず感心してしまった。
(けど、あたしのファーストキスだったのよ……?)
なんだか理不尽な設定だとも思ってしまう。
「言っておくが――」と、フィリスが真顔で彩良の顔を覗き込んでくるので、ニカッと笑ってみせた。
「わ、わかってるわよ。皆まで言わなくても」
「性的な方の意味だよ?」
「はい!?」と、彩良の声は裏返ってしまった。
「全然気づいていなかったみたいだが、僕は君が好きだった。何度もこうしたいと思っていた」
「え、ウソ……」
フィリスはかすかに笑いながら、唖然としたままの彩良の頭にシーツをかぶせた。
「夜だから大丈夫だと思うが、君の髪は目立つから隠しておいた方がいい。ほら、僕がこのまま手放せなくなる前に行って」
フィリスはそう言って、開きっぱなしのドアに向かって無理やり彩良の背中を押してきた。
「ま、待って……!!」
振り返る彩良の前で、ドアは音を立てて閉まってしまった。
それからすぐに、フィリスの声がドア越しに聞こえてくる。
「サイラ、君と過ごす時間はとても楽しかったよ。こんな日が一日でも長く続けばいいと願っていた。でも、これでサヨナラだ。聖女の召喚まで君が無事でいられることを祈っているよ」
(サヨナラって……)
彩良は胸を締め付けられるような淋しさに一瞬呆然としたが、ぎゅっと涙を拭いてドアをゴンゴンと拳で叩いた。
(こんな終わり方があって、いいわけないでしょーが! 愛の告白されて、曲がりなりにもキスしたら、ハッピーエンドまで行かないと、読者は納得しないのよ!)
「フィリス、よーく聞いて! とりあえず今はこの場から逃げるけど、絶対に助けに戻るからね! それまでちゃんと正気を保っていてよ! わかった!?」
本気かどうかは確かめようがないが、「わかった」というフィリスの返事は聞こえた。
(そうよ。確かにあたしがここにいたら、ただ殺されるのを待つだけにしかならないわ。それよりは外に出てフィリスを助ける方法を考える方が建設的よ)
フィリスの言う通り、クエスト攻略のためには『この場から逃げる』という選択肢が正しい気がしてきた。
(これを今生の別れなんかにしたりしないわ!)
彩良はギュッとシーツを身体に巻き付けると、ランプが薄暗く灯る廊下を速足で歩き始めた。
北の『塔』というからには高い建物に違いない。外に出るには降りる階段があるはずだ。
人の気配に耳を澄ませながら歩いていたはずなのに、廊下の角を曲がったところで誰かにぶつかってしまった。
「お、見つけた!」と、男の声がする。
(しまった! 他にも仲間がいたの!?)
彩良が慌てて後ろに飛びのくと、目の前にはマントに包まった男が立っていた。
「サイラ、見ろ。すごいだろ?」
男はそう言いながら羽織っていたマントをばっと開いた。
マントの下は素っ裸だった――。
「きゃあぁぁぁ!」
彩良の大絶叫が石造りの壁にわんわんと鳴り響く。
「何を見せるのよ!? この露出狂! チカン! 変態!」
(この異世界、どうして変なのばっか出てくるの!?)
小学校低学年以来、男性の下半身は父親のものすら見たことがなかった。そんな二次元専門女子には刺激が強すぎる。
彩良は興奮のあまり鼻血を出して意識を飛ばしていた。
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