第4話 こんなの最善策じゃない!

 火を落とした真っ暗闇の中、彩良はベッドにもぐり込んで、息をひそめながら目を閉じていた。


 フィリスの話では、この独房のドアを開く時は収容者に襲われないように、食事に必ず眠り薬が混ぜられるという。


 半月前に彩良が運び込まれた時も、フィリスは眠らされていたらしい。


 ミルクの中に薬が入っていたとしたら、今夜このドアを開いて誰かがやってくる。


 本当にその人物が彩良を殺しに来たのか、まずは確かめなければならない。


 そんなわけで、フィリスと二人、薬で眠っているフリをしているところだ。


(……で? 誰かが入ってきたとして、武器とか持ってたらどうなるの? こっちは武器どころかカミソリやハサミすらないのよ? どうやって戦うの?)


 今までどこででも平気で寝ていた彩良だったが、この命がかかっている今、ベッドに横になっていても目はギンギンに冴えていた。


 それどころか、心臓が口から飛び出しそうなほどバクバク音を立てていて、眠っていないことがすぐにバレてしまいそうだ。


 フィリスには何があっても動くなと言われているが――


(ドキドキ緊張しすぎて、動いていないと逆に落ち着かないよ!)


 侵入者はそれからじきに静かな足音と共にやってきた。カチャカチャとカギを開ける音、続いて重いドアがギィッと開かれる音が聞こえる。


 そして、閉じたまぶたの裏でも部屋の中に再び火が灯されるのがわかった。


 直後、何かがぶつかり合う鈍い音が響き、「ぐぇっ」といううめき声が聞こえてきた。


 やがて、ドサリと重い物が床に落ちる音がした後、フィリスに声をかけられた。


「サイラ、もう大丈夫」


 彩良が恐る恐る身を起こして部屋の中を見ると、フィリスの足元に兵士らしき服装の男が仰向けに倒れていた。


「ま、まさか、この人、殺しちゃったの……?」


 ピクリとも動かない男を見て、彩良はゴクンと息を飲んだ。


 自慢ではないが家族は全員健在、生まれてこの方死体を見たことがない――どころか、お葬式にも出席したことがない。


「いや、気絶しているだけだ」と、フィリスは平然と答える。


「そ、そう。フィリス、実は強かったのね……て、あれ? この人、あたしをここに移す時、ジェニールと一緒にいた人だ」


 寝転がっている兵士の顔は見間違えようもなかった。


「つまり、裏にいるのはジェニールで確定と。装備からしてここの衛兵だな」


「けど、気絶させちゃったら、詳しい話を聞けなくない?」


「君に剣を振り上げていた。殺すつもりで来たことはわかったから、もういいだろう」


 フィリスは床に転がっていた剣を爪先で軽く蹴った。


「あたし……もう少しでぶっ刺されちゃうところだったんじゃないのー!!」


 彩良がわめくと、フィリスはしぃっと人差し指を口に当てた。


「サイラ、今のうちに逃げるんだ」


「え? 逃げる?」と、彩良は耳を疑った。


「今夜殺されずに済んでも、失敗したとわかれば、ジェニールは何度でも君を狙ってくる」


「それは確かに……」


「君がここからいなくなれば、僕を処刑する理由はなくなる。だから、こいつが気を失っているうちに早く行くんだ」


 フィリスの言葉の意味を理解するのに時間がかかった。


「ちょ、ちょっと待って……!! あたしだけ逃げるの!? フィリスは!?」


「僕はここに残るよ。いつ発狂して人間を襲ってもおかしくない。余計な被害者は出したくないし――」


「でも、あたしが一緒なら大丈夫だって言ったじゃない。逃げるなら一緒よ。それで、聖女が召喚されるまで待とうよ。約束したでしょ?」


「そうはいかない。今ここで逃げたら、たとえ聖女が現れて呪いから解放されても、逃亡した罪が問われる。国から追放程度で済めばいいが、民を危険にさらしたとして、悪ければ極刑に当たる」


「そんなの事情が事情なんだから、後で何とでも説明できるんじゃ――」


 フィリスは遮るように静かにかぶりを振った。


「相手はジェニールだよ。僕を始末するためなら、でっち上げてでも罪を負わせる」


「そういう奴だって知ってるけど……!!」


「それに僕が逃げたとなったら、それこそ死体でも見つかるまで捜索される。でも、君は市民権を持たない自由民だ。呪いが発症して人間でも襲わない限り、国が兵を出して探し出すことはない。ジェニールさえもわざわざ君を探してまで、僕を処刑することはないだろう」


「そんな……!! フィリスを一人にしたら、聖女召喚まではどうなるの? 一人でもちゃんと正気を保っていられるの?」


「正気を失わないように、努力はしてみるよ」


 こんな時まで冷静に淡々と話をするフィリスを見て、彩良は全身から血の気が引くような気がした。


(フィリスはもう全部あきらめてしまったんじゃないの? 死ぬ覚悟をしてしまったんじゃないの?)


「今夜、あたしが殺されるって知って、最初からこうするつもりだったの……?」


「これが最善策だろう」


「どこが最善策よ!? あたしはイヤだからね! 自分が助かるために、フィリスを見殺しにするのと同じじゃない……!!」


 腹が立っているのか悔しいのか、それとも悲しいのか。ただ言葉の代わりに彩良の目からは涙がポタポタと流れ落ちた。


 フィリスの決意は固く、彩良が何を言ってもその心まで届かないような気がした。


 もしかしたら、彩良がここに来た時からいつかこんな日が来ることを知っていて、心の準備をとっくに済ませていたのかもしれない。


(こんな結末になるなら、あたしがフィリスに出会った意味がないじゃないの! 二人で聖女が現れるのを待って、無事にここから脱出するのがクエストでしょ!?

 フィリスが死ぬのをわかっていて、あたしだけが逃げるなんてルートを選んだら、攻略失敗に決まってるわ!)


 そう思っても、パニックになっている頭では正しい選択肢などすぐには思い付けなかった。

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