第3話 これぞ、異世界ファンタジー!

「大変失礼いたしました。突然お邪魔したのは、あたしの方でした。大騒ぎしてしまって、すみません」


 彩良はベッドの上に正座して、ペコリと頭を下げた。


 特に返事もないので顔を上げると、老人はいつの間にか隠れるようにシーツを頭からかぶって、一番遠い壁際にしゃがんでいた。


(……あ、もしかして、あっちもあたしがヤバい人だって思ったのかしら)


 昨夜のことを思い出しながら、かなりの時間一人の世界に入ってしまっていたらしい。


「君は自分の意思でここに来たのか?」と、ややあって老人が聞いてきた。


「自分の意思というか、こっちの方がマシだから喜んで行くって言っちゃったという感じで」


 テヘヘと彩良は笑ったが、老人の前髪に覆われた目が怪訝そうに向けられた。


「君、ここがどういうところか、わかっていて言っているのか?」


「北の塔っていうところですよね? 見た目、牢獄みたいですけど……まさか、あなた、犯罪者?」


 彩良はその結論に至って、ジリジリとベッドの隅まで身を引いた。軽犯罪者ならともかく殺人犯だったら、そんな人と閉じ込められて、安全とは言い切れない。


(……うん? でも、チカンとかって軽犯罪になるのよね。それくらいなら、やむにやまれず誰かを殺しちゃった人の方が安全だったりしない?)


「ここは牢獄のようなものだが、僕は犯罪者ではないよ」


 老人は静かな口調で言った。


「え、じゃあ、なんでこんなところに閉じ込められているんですか?」


「この北の塔は魔物の呪いにかかった者が収容される施設なんだ。それで僕はここにいる」


「魔物の呪いって何ですか?」


 彩良はまだ聞いたことのない話にキョトンとしたが、老人は驚いたようにしばらく黙ってしまった。


「知らない人間がいるとは思ってもみなかったが――」と、前置きをしてから老人は話し始めた。


「魔物の唾液や血液には毒が含まれていて、傷口などから体内に入ると、半年から一年で脳を侵される」


 彩良はゴクリと生唾を飲みこんだ。


 今、目の前の人が恐ろしいことを言った気がする。


 彩良がただの動物だと思って触れ合っていたのは、実は魔物だった。ウルはともかくモン太やクマ子になど何回舐められたことか。


 それに毒が入っていたとしたら、彩良もすでに呪いにかかっている。


「脳を侵されると、どうなるんですか……?」


「徐々に理性を失い、生肉や血を欲するようになって、見境なく生き物を襲うようになる。額にツノが生え、瞳は赤く染まり、喰らう生き物がいなくなれば、自分の身体を自分で喰いちぎって最後は死に至る。つまり、人間が魔物化する呪いなんだ」


「半年から一年で……」と、彩良は呆然としながらつぶやいた。


 みんな魔物をどうしてここまで怖がっていたのか、ようやく彩良にも理解ができた。


 単に襲われることだけでなく、後遺症のような死に至る『呪い』が恐れさせているのだ。


「もしかして心当たりがあるのか?」


 老人に問われて、彩良は小さく頷いた。


「いつ頃の話?」


「ここ一、二か月のことで……。そのせいか呪いの兆候みたいなのは全然ないんですけど。あなたはどれくらいになるんですか?」


「僕はもうそろそろ八か月になる。半年過ぎた辺りから理性を保つのが難しくなっていたところだったんだが……」


 彩良が改めて老人の瞳を見ると、薄暗がりの中でも赤く染まっているのがわかった。森の仲間たちと同じ瞳の色だ。


 そのまま老人の額に視線を移したが、かぶっているシーツに隠れてツノは見えなかった。


「やっぱりそこにはツノが生えているんですか?」


 老人は小さく頷いて、シーツをさらに目深に引き下ろした。


「あまり見ないでくれ。こんな醜い姿を人にさらしたくない」


「あ、ごめんなさい」


 彩良は不躾な視線を送っていたことに気づいて、慌てて目をそらした。


「つまり、君も呪いにかかっているから、ここに収容されたということになるのか?」


 老人が確認するように聞いてきた。


「自分では知らなかったんですから、そうではないと思いますけど――」


(あれ? でも、みんなが近づきたがらなかったのは、それが原因だったのかしら? あたしに触ると呪われるって)


 そう考えると、周りの人たちの今までの反応が納得いくものに思えてくる。


「誰に捕まった? 軍の関係者か?」


「ええと、ジェニール王子に気に入られたのか、王宮で飼われていたんですけど。そのままあたしを王宮に置いておくと面倒なことになるって、昨夜、こっちに移されたんです」


「あいつの仕業か……」


 老人はつぶやいて、参ったというように額を押さえた。


「知ってます? めちゃくちゃイヤな奴なんですよ」


「ああ、もちろん。ジェニールは僕の腹違いの弟だからね」


「腹違いの弟ってことは……あなたもこの国の王子なんですか!?」


 頷く老人を見て、彩良は軽く恐慌状態に陥った。


(この人を『王子様』に設定するのは無理があるでしょー!!)


 ジェニールは中身はともかく、一目見ただけで『王子様』と納得できる姿だった。しかし、顔も判別できないボサボサ頭の髭面老人では、イメージ的に受け付けない。


(いやいやいや、王子って国王の息子っていうだけだから、オッサンでもおじいちゃんでも『王子様』には違いないのよ。ただ、あたしの王子様像と一致しないだけで、現実はこんなものなのかも……)


 彩良はガックリと頭を落としたが、老人に声をかけられて顔を上げた。


「それで、どうして君を王宮に置いておくと面倒なことになるんだ?」


「あたしが魔物を呼び寄せるとか思い込んでるみたいで。ジェニールは次の国王になりたいらしくて、あたしに問題を起こされると困るんでしょう」


「そうか。それは災難だったな、と言っていいのか悪いのか……」


「でも、あたしが呪いにかかってるってわかれば、遅かれ早かれここに来ることになってたわけですよね? なら、あの極悪王子様から一日も早く離れられて、ラッキーでした」


 彩良の楽観的な言葉を聞いて、老人は疲れたようなため息をついた。


「さっきも言ったが、僕はいつ理性を失って、君を襲うかわからないんだよ。意味わかるよね?」


「ええと、エッチな意味じゃなくて、パクパク食べられちゃうってことですかね?」


「……つまり、そういうこと」と、老人は少しあきれたように頷いた。


「でも、呪いを消す方法ってあるんじゃないですか? 聖水とか教会でお祈りしてもらうとか、わりと定番だと思うんですけど」


(ゲームでは、の話だけど)


 そもそもあちらの世界に呪いなどというものは存在しない。


 しかし、老人の話を聞いている限り、呪いというよりは唾液や血液で感染する病気に近い気がする。ワクチンや特効薬があってもおかしくない。


「もちろんある」と、彩良の予想通りの返事だった。


「じゃあ、呪いから回復するまで、ここにいるだけのことじゃないですか」


「ただ、あと半年以上待たなければならない。来年の年明けに聖女の召喚の儀が行われる。その召喚された聖女が呪いを消す魔力を持っているんだ」


(うおぉー!! 『魔力』とか『召喚の儀』とか、一気に異世界ファンタジーらしい用語が出てきましたよー!!)


 彩良は興奮して思わず身を乗り出してしまった。


「半年後ってことは、あたしはその聖女が現れるのを待っていれば、ギリギリ間に合うってことですか?」


「普通ならば。でも、このままここにいれば、聖女が召喚される前に僕が君を喰い殺してしまう」


「あれ……?」と、彩良は目をパチクリした。


「僕が完全に理性を失う前に、君が僕を殺すという方法もあるが、君はそのまま処刑されるか、うまく逃れても殺人犯として追われる身になる。この国で殺人は極刑。それは呪いにかかった者にも適用される。いずれにせよ、君がここに来た時点でいい未来は待っていないということだよ」


 彩良はようやく今自分が置かれている状況を理解した。


「あんの、極悪王子め……!! ちょっと北の塔でのんびりするだけとか言いながら、最初からあたしを他の人に殺させて、厄介払いするつもりだったんじゃないの!」


 彩良は拳を握りしめて、ここにはいないジェニールを睨みつけた。


「――と、僕は思ったんだが。ようやく理解してくれてうれしいよ」


「すみません。丁寧に説明していただかないと、あたしの理解の範疇を越える状況でした」


 彩良はペコリと丁寧に頭を下げたが、妙な気分だった。


 老人は呪いの影響でいつ理性を失ってもおかしくないと言っているわりに、彩良の質問にきちんと答えてくれる。コミュ力もそれなりに持っているし、受け答えからしても知的でかなり冷静沈着な人のようだ。


(年の功もあるのかしら?)


「あ、そういえば、自己紹介がまだでしたね。あたしはサイラです。お年寄りを名前で呼ぶ習慣がないので、あなたのことは『おじいさん』でいいですか?」


 彩良の質問に老人はポカンと口を開けて、束の間黙ってしまった。


「……僕、十八になったところで、『おじいさん』の歳ではないと思うんだが。フィリスと呼んでくれ」


「それは失礼しましたー!!」と、彩良は慌てて頭を下げた。


(白髪だから、てっきりお年寄りかと思っちゃったのよ!)


「……ちなみに、あなたはあたしのこと、十二歳くらいの子供だと思ってません?」


「違うのか?」と、当たり前のように答えられた。


「やっぱりー!! 証明しようがないですけど、あたし、こう見えて十五歳ですからね! あとふた月もすれば十六歳。ピチピチのオトナ女子なんですからね!」


「あ、うん、わかった……」


 フィリスと名乗った王子は、かすかに引きつった笑みを浮かべていた。

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