第2話 遠征帰りの王宮にて

 濃紺のジャケットに白の乗馬ズボン、アルテア王国近衛騎士団の紋章を左胸に飾る少女が王宮の廊下を歩いていた。


 革ブーツの踵を鳴らしながら大股で進む姿は淑女とは言い難いが、今さら誰も驚く人はいない。


「お帰りなさいませ、アリーシア様」


 すれ違う使用人や王宮職員たちが足を止めて軽く会釈をする。


 アリーシアはほんのりと笑みを浮かべてそんな彼らに応えていたが、内心はイライラしていた。


 一か月に及ぶ遠征から王都に帰還した直後、母親から呼び出されるのはわかっていたが、せめて明日にしてほしかったと思う。


 ここまで馬で駆けてきたせいで、後ろで束ねた長めの金髪はボサボサ、全身ホコリまみれなのだ。


 アリーシアは母親の部屋の前で立ち止まると扉を叩いた。


「アリーシアです」


「入りなさい」と声がかかってから、アリーシアは扉を開く。


「ただいま戻りました、母上」


 豪奢なソファにゆったりと座る母親――クレア妃に向かって軽く頭を下げた。


 身体に巻き付けるように垂らした長い銀髪、憂いを含んだ濡れたような緑の瞳は、娘であるアリーシアでもぞくりとする色気を感じる。


 父である国王が他の誰にも心を奪われることなく、ただ一人愛してきた女性。アリーシアが物心ついた頃からその美しさは変わっていない。


「それで、戻ってきたということは、何か手掛かりが見つかったということかしら?」


 クレアの機嫌が悪くなるのを見越して、アリーシアは報告すべき内容を一気に話した。


「申し訳ありません。東方の大きな街から小さな村まですべて周りましたが、情報は未だ得られておりません。兵も馬も疲弊しておりますので、いったん王都に戻らざるを得ませんでした。隊を立て直し、三日後には改めて西に向けて出立する予定になっております」


「そんな悠長なことを……!! アリーシア、もう時間がないのよ!」


 目を吊り上げて激昂するクレアに対し、アリーシアもついカッと頭に血を上らせてしまった。


「そんなことはわかっています! 私もまだあきらめてなどいません!」


 アリーシアは自分を落ち着けるようにふうっと大きく息を吐いてから言葉を続けた。


「遠征の準備がありますので、これで失礼いたします。出立の挨拶には改めて参りますので」


 クレアの返事を待つことなく、アリーシアは頭を下げてから部屋を後にした。




 アリーシアはこの母親が小さい頃から苦手だった。


 下級貴族の出でありながら、その美貌と色香を武器に国王の側室まで上り詰めた女。それで国王の寵愛を独り占めするだけならいい。しかし、その魔性ともいえる色香は他の男たちをも狂わせる。


 クレア妃の周りはどこか血なまぐさい。その美しさに惑わされて何人もの男が命を落としたという話を聞く。王の側室となってからは、そんな話も彼女の美しさを代弁する武勇伝にしかなっていないが。


 ひと月半前、自ら命を絶った男もその内の一人だったのではないかと、アリーシアは疑っている。


(愚かな男だ)


 命をかけて愛したとしても、クレア妃が愛しているのはたった一人だけだというのに――。


 アリーシアはそんな母親に反発して、十五で成人すると近衛騎士団に入った。女という武器を使って生きていくことより、本物の武器で国と民を守る方を選んだのだ。


 幸い体格にも恵まれ、剣術は大の男にも引けを取らない。きれいに着飾って政略結婚の道具にされ、子供を産み育てるだけの人生よりよほど刺激的で生きがいがある。


 もっとも、アリーシアが母親から受け継いだのは緑の瞳だけで、その顔立ちも淡い金髪も父親のもの。女性らしい魅力が欠けている時点で、開き直ってしまった部分は否めない。


 近衛騎士団に入って一年、側室腹とはいえ現国王の第二王女という身分のおかげで、すでに小隊を任される立場になっている。主な任務は王宮警備だが、その他にも王都近隣での魔物討伐も入っている。


 たいていは日帰りで済ませられるものなので、今回のように一か月も王都を離れる遠征に向かったのは初めてのことだった。


 おかげで兵たちの体力や兵糧などに不手際が生じて、こうしていったん帰還せざるを得なくなってしまった。


(もう時間はないというのに……!!)


 そんな焦燥にかられながら歩いていたせいか、アリーシアは声をかけられたことに気づけなかった。


「ああ、失礼。兄上、ごきげんよう」


 すれ違いざまに呼んできたのは腹違いの兄、ジェニールだった。


 この兄もまた苦手な相手の一人だ。一刻も早く休みたい時に限って、会いたくない相手に出くわしてしまうものらしい。


「最近、王宮で見かけなかったが、ずいぶん長い遠征だったようだな」


 ジェニールのどこか探るような視線を受け流しながら、アリーシアはニコリと笑顔を向けた。


「全国の魔物による被害の徹底調査ということで、今回はどんな小さな村も調査対象になっているものですから」


「ほう。各地を巡って地方票集めにいそしんでいるというわけか。ご苦労なことで」


 ジェニールの皮肉たっぷりな言い方に、アリーシアは一瞬遠い目をしてしまった。


 この国に今、次の国王たる王太子はいない。普通ならば王妃マリエラの息子である第二王子――このジェニールがその位に就くはずだった。しかし、その資質に問題ありと王国議会からの承認がなかなか得られず今日に至っている。


 それはクレア妃を筆頭にジェニールの立太子反対派が勢力を広げているのが原因だ。そして、その反対派から王太子候補として挙げられているのがアリーシアだった。


 王位継承権は通例的に直系男子に与えられるものだが、例外的に女性も認められる。しかし、王妃の息子であるジェニールを押しのけるほどの例外として認めるには、渋る議員も多い。


 そんな中、アリーシアが地方を周る遠征に出かけたとなれば、その目的は彼女の立太子賛成票を得るための地方巡業だと思われても仕方がない。


 たとえ地方議会票は軽んじられるとしても、王都以外の国民の支持を受けているとなれば、王国議会も例外を認めざるを得なくなる。


 実際のところ、アリーシア自身は王位には全く興味がない――が、この遠征の真の目的を隠しておくには、敵陣営がそんな噂をしている方が好都合だった。ここでジェニール相手にいちいち否定する必要はない。


「そういえば、私が留守のため、今日は兄上がジュードの森に魔物討伐に行かれていたとか。私の代わりにありがとう存じます」


「別にお前に礼を言われる筋合いはない。俺は王族としての義務を果たしたまでだ」


 ジェニールは威張り腐った態度で当然と言わんばかりの顔をする。アリーシアは白けた視線を送るのをぐっとこらえて、笑顔を保ち続けた。


 女の尻を追いかけるのに忙しくて、公務など全部人任せにしているくせに、と返したいところだったのだが。


「しかし、兄上が魔物討伐とは驚きました。マリエラ様は大切な王子に危険な任務はさせられないと、今までは王都の外に出すのを断固拒否しておられましたのに。

 私が地方票集めに乗り出したと、マリエラ様もいよいよ危機感を覚えられたのでしょうか。人気取りのためにはかわいい王子を送り出すのもやむを得ないと」


 フンとジェニールは鼻で笑った。


「それは下衆の勘ぐりというやつではないか? あと七か月余りで聖女が召喚される。通例により聖女は国王か王太子が娶るもの。俺が娶ればこの争いも決着。女のお前に出る幕などない」


「そういえばそうでした」と、アリーシアはわざとらしくもニッコリと笑ってやった。


 それが却ってバカにしたような笑みに見えたのか、ジェニールは気分を害したように睨んできた。


「召喚される聖女が兄上好みの麗しい女性だとよいですね。では、急ぎますので失礼」


 アリーシアは踵を返したと同時に、貼り付けていた笑顔をかなぐり捨て、駆けるように自分の部屋に向かった。


「長い遠征、ご無事のお帰り何より――」


 部屋に入るとメイドのノーラが笑顔で出迎えた――が、アリーシアの顔を見た途端、その端正な顔を強張らせた。


「何か悪い知らせでも……?」


「いや。ここに着く前、余計な挨拶をさせられただけだ」


「ああ」と、ノーラは誰のことかすぐに察したらしい。


「それはお疲れ様でございました」


 ノーラはかすかに笑いながらアリーシアの着替えを手伝い始めた。


「こんな時はゆっくり風呂に入るに限る。準備はできているのか?」


「もちろんでございます」


「ならば風呂に浸かりながら、私のいなかった間の話を聞かせてもらおうか」


 今年二十五になるノーラは年相応の落ち着いた見かけなのだが、反して中身はかなりのおしゃべり好きだ。その分、他人の懐に入り込むのがうまい。それを生かして王宮内の情報を集めてきてくれるので、アリーシアは重宝している。


 特に今の時期、王妃マリエラとジェニールに関する情報はどんな小さなことでも漏らしたくなかった。

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