第2話 ここはまさかの異世界!?

 相手も警戒しているのか、すぐには飛び掛かってこない。それとも確実に仕留められるように距離を測っているのか。


「た、食べるなら『まず手を食べて、次に足を食べて』とか、チビチビはやめてね! 痛くないように、ここ、この辺りをガブッとひと噛みで、一気にお願いね!」


 彩良は必死の形相で「ここ! ここ!」と、首筋を指差した。


 その声が合図になったのか、獣は一気に飛び掛かってくる。思わず後ずさった彩良は、木の根に引っかかってドテッと尻もちをついた。


 地面に打ち付けたお尻の痛みを感じる間もなく、奇妙な感覚が全身を震わせた。


「ひゃあ! やめて! くすぐったいー!!」


 その獣が彩良の足元にうずくまってペロペロと足の裏を舐めているのだ。彩良が身をよじってかわそうとしても、執拗に追いかけて舐め続ける。


 とうとう彩良は「ぶひゃひゃひゃ!」と地面に拳を叩きつけながら笑い転げてしまった。


 どれくらい舐められていたのか、それが止まった時には笑い疲れて、ゼーゼーと息が切れていた。


 ようやく呼吸が落ち着いてから身を起こすと、オオカミらしき獣は目の前でお座りをしていた。灰色のきれいな瞳でじいっと彩良を見つめている。


「……食べるつもりじゃなかったの?」


 通じるわけもないが声をかけてみたところ、獣はプルプルと首を横に振った。


(……うん? 通じた?)


 そして、獣はその鼻面で彩良の左足を指す。


 彩良もつられて視線を落とすと、舐められていたのが先ほど小枝で刺した足の裏だったことに気づいた。おかげで血はきれいにぬぐい取られている。


「……ありがとう。きれいにしてくれたんだね」


 とはいえ、野生の獣に傷口を舐められたら、変なバイ菌が入りそうで却って恐ろしい。


(狂犬病とかになったらどうしよう! ていうか、もう遅い!?)


「近くにきれいな水でもあればいいんだけどね……」


 小さくつぶやきながらため息をつくと、獣は鼻面を彩良のお腹に押し付けてクイックイッと押し始めた。それから、尻尾をユラユラと振りながらすぐそばにフセをする。


「……もしかして、乗せていってくれるの?」


「ワフ」と、犬のような鳴き声で返事がある。


(……これ、絶対言葉が通じてるわよね?)


 恐る恐る獣の背にまたがってみたが、イヤがる様子はない。手綱があるわけでもないので、首の辺りの長い毛をそっとつかんでみた。


(引っ張ったら痛いかな?)


 そんなことを聞く間もなく獣がすくっと立ち上がって走り出すので、彩良は「きゃあぁぁぁ!」と、悲鳴を上げてその首筋に抱きついていた。


(あたし、馬にも乗ったことないんですけどー!?)


 動物の背中に乗るのがどういうものなのかは知らないが、森の中を四本足で駆ける獣の背は上下に波打ち、そのたびにまたいだお尻がピョンピョンと跳ね上がる。


 首にしっかりしがみついていないと、あっという間に振り落とされそうだ。


 ものすごい勢いで暗い木々の間を駆け抜けていくと、突然まぶしい光が目に差し込んできた。


 彩良が思わず目を細めた時、獣の歩みは止まっていた。


「や、やっと止まったー……」


 ゆっくりと身体を起こして辺りを見回すと、いつの間にか森を抜け、大岩の転がる川べりまで来ていた。


 川のせせらぎの音に急に喉の渇きを覚える。


 彩良は獣の背から転げるように降りると、岸に這い寄って流れる水を覗き見た。


 水面は光に反射して、影のように自分のおかっぱ頭を映している。その水は川底が見えるくらいに透き通っていて、魚も何匹か泳いでいた。


 上流を見上げてみても森が遥か向こうまで続いているだけで、有害物質が流れ込んでいるようには見えない。


(ていうか、この際、多少の危険物が混じってても、喉を潤す方が先よ!)


 彩良は両手ですくって一口飲んでみた。


 その水の冷たさと甘さに乾いていた喉はさらに渇きを覚え、気づけば何度もすくい上げてガブガブと夢中で飲み干していた。


 ようやく喉の渇きが癒えたところで、顔と足も洗い、ふうっと大きく息をつく。


「生き返ったー!!」


 振り返ると、先ほどの獣はすぐ後ろでお座りをしていた。


(あたしがきれいな水がほしいって言ったから、この子が連れてきてくれたのよね。てことは、言葉が通じるのは間違いないわけで……)


「おいで」と両手を伸ばすと、獣はすっと立ち上がり、ふっさりとした尻尾をフリフリ、彩良のそばまでやってくる。


「ここまで連れてきてくれてありがとう」


 そっと頭を撫でてみたところ、獣は気持ちよさそうに目を細めていた。


(おお、いい子じゃないのー)


 ここまで人懐っこいということは、誰かに飼われている獣なのかもしれない。


「君の飼い主さんは近くにいるのかな?」


 今度はその飼い主のところまで連れて行ってもらえば、助けを呼んでもらえる。


 彩良は期待を込めた目で獣を見つめたが、キラキラした灰色の瞳をパチクリさせるだけで、何のリアクションもなかった。


「ええー、違うのー……? なんて、言われても困るよね」


 彩良は苦笑しながら獣の頭を撫でていると、フサフサの毛が生い茂る額の下で、ふと何か硬いものが手に触れた。


「……うん?」


 長い毛をかき分けると、硬く尖ったものが飛び出しているのが見える。艶々と黒く光るそれは、まるで宝石のようだ。


「……なにこれ? まさか、ツノ?」


 彩良がいじくりまわしたところで獣は特に反応しない。どうやらもともと生えているものらしい。


「ちょーっと、待ってぇ!」


 シカやサイならともかく、犬系の動物にツノなど生えているわけがない。


 そこまできて、彩良ははっと頭に閃くものがあった。


(こ、ここはまさかの異世界!? あたし、異世界転移したの!?)


 そう考えれば、オオカミのような獣にツノが生えていても、意思疎通ができたとしても、なんら不思議はない。


 マンガでもラノベでも、異世界転移や転生モノは特に好きなジャンルだった。不慮の事故で死ぬのは御免だとは思っていたものの、剣や魔法のあるファンタジーの世界に一度は行ってみたいと憧れていた。


 まさか、その主人公に自分が抜擢されたのか――。


「やったぁ!」と、彩良はバンザイしようとして、はたと首を傾げた。

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