4 許されるのなら
数人の投稿者によって綴られたそれらは、僕をただただ絶望させた。
住む場所も年齢もばらばらの日本人が、死亡事故のニュースをエンタメとして享受している。
どうして、人の死をここまで踏みつけることができるんだろう。
どんな生き方をしてきたら、知りもしない少年の死を笑えるんだろう。
蓮人が亡くなった実感が湧かないうちに、僕は怒りに支配されてしまった。激しい痛みと絶望と吐き気に襲われた。
人の命とは何なのだろう。
亡くなってなお罵られる命があっていいのか。
僕が今まで信じて疑わなかった人情やら道徳やらが、僕の腹の中で死んでいく。
落ちるように階段を下りてトイレに駆け込んで、死んだそいつらを出すみたいにして吐いた。生理的な涙と跳ね返った吐瀉物で顔が濡れた。
蓮人の死を理解できる日なんて、一生来ないような気がした。
3日が過ぎたが、自分が泣いていないことに気づいた。
吐いて泣いた、汚い涙は数えたくない。
綺麗で純粋な、蓮人に見せられるような涙で、この気持ちを終わらせたい。
自分の感情までどこかへ吐いて捨ててしまったのだろうか、と思った。
友人が亡くなって、こんなに乾いた気持ちでいていいわけがない。
僕ほど徳のない人間はいないだろう。
「錦木って、いじめっ子らしいよ」
二人きりのトイレ掃除中、いかにも声変わり真っ只中のかすれ声でそんなことを言った男子は、下卑た笑みを浮かべている。僕の反応を待っているのは明白で、この川島という男の評判のすこぶる悪いことを思い出した。
「そう」
できるだけ素っ気なく興味無さげに、それでいてキツ過ぎないラインを心がけて、たった二文字を吐き出す。
ニィ、と気味の悪い笑みの深くなったのを見て、すぐに後悔した。
「そんで今錦木にいじめられてるの、誰か知ってる?」
鈴木って錦木と仲いいじゃん、なんて言いながら近づいてくる。
蓮人が誰かをいじめているなどという話は全く知らないが、彼の性格上ありえない話ではない。行き過ぎたイジリをしてしまうところがあるし、他人を舐めているとしか言えない行動は度々見受けられる。
絶対に嘘、とは言えない。
「知らない。委員会一緒なだけだし、どうでもいい」
純粋な本心ではなかった。
付き合うべき人間は自分で選ぶ。それに必要な判断材料。
だけど川島は信頼に値する人間ではない。
聞きたい、聞きたくない。相反する感情は僕が動くことを許さない。
「あ、そう?案外鈴木って薄情なのな。」
「…どういうこと?」
嫌な予感がして川島の瞳を見据えた。
脳が警鐘を鳴らしている。
これは確実に面倒事だ。
薄ら笑いの男の口が開いた。
「佐久間…優?とかいう。部活一緒だろ?」
息が止まった。
そこからの記憶は朧げで、手にじっとりと残る汗の感覚だけが鮮明に残っている。
「…ちゃん、そうちゃーん。おーい。すずきそうまー。」
「っ、?!」
「おぉ気付いた。それは流石にビビりすぎじゃん?」
は、と辺りを見回し、自分が美術室にいることに気付いた。
「優、僕どうやってここに来てた?」
「お、意識なかった系?その二本の足で歩いて部室入ってきたよ?」
掃除が終わってから何してたんだっけ、と考えて、連鎖的に川島の言葉を思い出した。
「あ」
「どした?」
蓮人にいじめられてるの、なんて訊けない。
「んや、なんでも、ない」
そかー、と言う優の視線が、痛い。
「壮馬、川島になんか言われたろ。」
完全に想定外である。
本棚に辿り着けなかった数冊の本が手から滑って、蓮人と僕の間にばさばさと落ちた。
「えぇ?なんで知って…あ、いや、なんで」
「いや、『えぇ?』て。間抜けか。大事なとこ言っちゃってるし、落としてるし。」
完全に無防備な状態で刺されてしまった僕は状況が掴めず、本来用意していたはずの「なんでもない」のカードを失ってしまった。
「いやいや、ほんとに、なにも」
「サボりの才能もなければ嘘の才能もないのかよ。下手くそだなー」
一冊の本を拾って僕を見上げた蓮人はすべてを見透かすような眼をしていて、そのセピア色が途方もなく綺麗で苦しくなった。
失礼だな、とか蓮人はサラッと嘘つきすぎ、とか、言いたいことが全部腹の中で渦巻いて言葉にできない。
もだもだする僕を見かねたように、本を差し込んだ蓮人がまっすぐな瞳で告げた。
「言っとくけど、俺は佐久間と関わりないから。」
もう、これでいいやと思った。
僕が信じたい蓮人を信じればいいじゃないか。
なぜ僕と川島との接触を知っているのか、とか何が本当なのか、とかは最早どうでもよくなってしまった。ただ何かがこみあげてきて泣きそうだった。
「…ちがう」
「壮馬?」
「本の場所!ちがう」
「はぁ?」
「梶井基次郎はどう考えたって『ら』じゃないだろ!」
蓮人の前で涙を流すのはなんとなく癪で、大きな声で誤魔化した。
目じりの方が濡れて、制服の肩で拭う。
「えーだって壮馬が書いてたPOP、『檸檬』じゃなかった?」
「『檸檬』だけど。『梶井基次郎』が優先なの!てか蓮人、期限過ぎてるのにまだPOP提出してないだろ!司書の先生に会うたび、僕が催促されてるんだからな!」
「えー。まだ、いいかなー」
「まだいいかな、ってなんだよ、よくないよ!」
「あはは」
柔らかい光が差し込む図書室で二人きり、ひとしきり騒いだあと蓮人がぽつりと呟いた。
「小学校の頃、ちょっとやりすぎたことがあったのは、事実」
驚きは無かった。
「僕は小学校の頃、ちょっといじめられてた」
「…壮馬」
「そんな顔しなくていいよ。僕ら、どっちも過去の話してるんだよ?」
「そう、だな。」
やさしく微笑んだ蓮人の頬が薄っすらと赤いのが可愛くて、つられて僕もはにかんだ。
学校帰り、後部座席で握るスマホが光った。
「レンのお葬式の日決まった。今週土曜日」
わざとなんじゃないか、と本気で思った。その日は模試を受けることになっていた。
葬式に行けば、顔を一度でも見られれば、誰かとこの気持ちを共有出来たら実感が湧くんじゃないか、なんていう僕の考えを見透かしたかのようだ。
ぐるぐると思考がまとまらないまま顔をあげて、ミラーに映る、運転席の母親をとらえて口を開いた。
「母さん、蓮人の葬式と模試が被ってて、あの」
別に、どっちか決めてほしいだなんて思っていたわけではない。
期待なんかしてない。
「あっそ。葬式優先したい、なんてバカなこと言わないでよ」
「…わかってるよ」
わかっている、つもりだった。料金だってもう払ってもらっている。
でも、思考もしないで一蹴する母親に腹が立って仕方がなかった。本気で嫌いだと思った。
スマホが鳴る。
「おしゅーぎもってこうね泣」
バカばっかりだ。
祝儀と香典を間違える頭の悪い高校生も、他人の死に群がる腐った大人も、母親にビビって模試を優先する薄情な僕も。
こんな世界を正気のまま生きるなんて到底できない。
どこかで狂ってしまったほうが楽なんだ。
辞めたい。
終わりにしたい。
こんなに近くに死があるなら、今すぐにでもこの手で触れるんじゃないか。
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