3 模範解答

SNSでも情報を探そうと、PCを立ち上げる。

自分の冷静さが不思議で仕方なかった。ネットニュースが淡泊すぎたせいだろうか、と考えながらとにかくスクロールを続けた。

蓮人を知る人と思しき投稿は見つからない。

検索ワードが「錦木蓮人」になっていることにふと気づいて、そりゃ本名で投稿するわけないか、とひとりごちた。

数回ワードを変えて検索してみると、いくつかの投稿にヒットした。

思わず目を見開いた。



「壮馬、小テストの答え持ってない?」

蓮人はよく物をなくす。引き出しの中の汚さだとか、提出物に対するモチベーションの低さだとかを考慮すれば、別に驚くようなことでもないが。

「またかよ。テスト直しの提出今日だろ…」

「とか言って貸してくれんだよねー。さんきゅーっ」

確実に利用されている、と感じて少しだけ寂しくなる。

もし僕が、テストの答えを人に貸さないような、蓮人にとって役に立たない奴だったら、彼は僕に見向きもしないだろう。

友達、なのだろうか。


「そうちゃんどったのー。暗い顔してんね。また錦木に模範解答取られた?」

部活中、優が僕の顔を覗き込んで言った。

「取られたっていうか、貸しちゃう僕も僕っていうか…使い終わったものだから別に迷惑してないんだよ」

青と黄色を混ぜ、もったりとした緑が増えるのを見つめる。優がさりげなくコップを差し出したのを受け取って、筆に水を含ませ絵具を薄めていく。

「それで毎回貸してる、と…。それ、逆にタチ悪いやつじゃん」

優はたぶん、僕の一番の親友だと思う。僕のことによく気が付くし、誰よりも僕のことを大事にしてくれる。

「俺、錦木と接点ないからよく知らないんだよな」

「そっか、」

しばらくシュッシュッ、と二人の筆の滑る音だけが鳴り響いた。

あ、と声を漏らした優のほうを見ると、制服に水色の絵具がついている。ポケットから取り出したティッシュをコップの水で濡らして、丁寧に優のシャツから色を抜いていく。

「そうちゃん、錦木に甘くない?俺もまぁ、そうちゃんに甘やかされてる自覚あるけど。」

「うーん…優のは甘やかしてるっていうより、大事にしたい?みたいな。」

「照れるー。今度ラーメン奢ろうか。」

「ちょろいねぇ…」

「あはは」

再び、心地よい静寂と筆の音が戻ってくる。

優が言った、「錦木に甘い」という言葉を反芻した。

僕は、蓮人の何になりたいんだろうか。

今以上の関係にはなれない、そんな気がする。きっと踏み込もうとすれば、するりと躱されてしまう。

なんとなくわかっていた。

僕は蓮人に嫌われたくなかった。飽きられるのが怖かった。

それだけだ。


バン、と大きな音を立てて僕の机が叩かれた。

「鈴木君、きみ本当に知らなかったの?」

くろい目をした年配の女性教師の横には蓮人が立っていて、色素の薄いマッシュヘアはうつむいているため表情を読むことができない。

蓮人に模範解答を貸した数日後、突然放送室もとい説教部屋に呼び出され、座るや否やこれである。

「錦木君は俺が騙した、なんて言ってるけど、正直先生は君たちふたりのことを疑ってるの」

唾を飛ばす教師が気持ち悪くて、うるさい、と言いたくなる口を押さえた。

時計の針は下校時刻を過ぎようとしている。

「だいたい、他人に物を貸す習慣は良いとは言えないわ」

蓮人は小テストの日に欠席していた。

欠席者は後日再試を受けることになっているが、僕はそれをすっかり忘れていて、蓮人が受ける前の小テストの答えを手渡してしまったのだ。

蓮人がそれを把握していないわけがなかった。

僕はカンニングに利用されたのだ、と気づいて心臓のあたりが冷たくなった。

「いや、ぼくは、蓮…錦木くんがテスト受ける前って知らなくて、それで」

こういう重要な時にしどろもどろになる、肝の小さい自分が心底嫌になる。


結局二人揃って40分間怒られて、校舎から出た時にはもう空は薄ら暗くなっていた。

「ごめん。」

蓮人が先に口を開いた。

いいよとも何とも言えず、ただ落ち込んだ気持ちで蓮人を見つめる。

「壮馬ってY高行きたいんだろ。」

内申傷つけたかも、と消え入りそうな声で呟いた。

しばらく、二人並んで黙って歩いた。

「利用されたの、きつかった」

僕がそう言うと、蓮人は少し目を見開いた。

「蓮人は軽い気持ちでカンニングしたんだろ。いつも通り貸してもらえばいいや、って」

存外素直に頷かれて、心の中で笑ってしまう。また、内心では彼のことを許してしまっているのに気が付いた。

そういうところだよな、と心底思う。

「僕は、蓮人がちゃんと提出物出せるように貸したの。それで悪さして成績落としてどうすんだっ」

わざとらしく頬を膨らませて蓮人の肩を叩く。

怒ってないよ、と伝わるように。

ちらりと蓮人の表情を伺い見ると、ゆっくり視線が合って、

「ふ、ははっ」

しばらく見つめあって、どちらからともなく吹き出した。

「んだよ壮馬、その顔っ…」

「あー、人の顔見て笑うとか最低っ」

「あはは!やめて、その顔」

「もう、ズルなんかすんなよ!」

「わかってるつもり!また明日!」

街灯に照らされた蓮人が大きく手を振った。

また明日、と返して僕も手を振る。

「つもり、ってなんだよ」

実に蓮人らしい答えだ。

どうせ蓮人はこの先もうまく生きていくんだろうな、と直感的に思った。

僕みたいに絆されたやつは僕みたいに利用されて、傷ついて被害を被る。

でも最後には、誰もが彼を許してしまう。

彼を許す自分でなければ愛せない、そんな気がした。

仕方ないなぁ、なんて言う自分に酔っていた。

それでよかった。



『暴走族がいなくなって清々しました。』

『単独でwダサすぎ』

『この時間帯に事故って。親の教育がなってない証拠』

『年齢的に学生だけど会社員らしい、高校中退ってこと?親不孝にもほどがある』

暫く、呆然として画面を眺めた。

輝くモニターの中のおぞましい呪詛たちが、僕の身体を刺していく。

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