2 残暑 / 初夏、みちづれ
「レンが?」
「噓でしょ」
「なんで?いつ?」
「悲しすぎる、信じられない」
口元を覆った。あいつに限ってそんなことはないだろう。
あいつはいつも元気でうざったくて、こっちを見るときはいつも口の片端をあげて笑っていて、それで、
緊張しいで人見知り、親の期待に応えるだけがすべてだった僕は、慣れないことだらけの中学校に辟易していた。毎日が憂鬱だった。小学校の頃の僕は明らかに「失敗」していたので、そのトラウマから「うまくやろう」という気持ちだけが空回って、身も心も削られていた気がする。
クラスメイトやら部活動やらに慣れてきたのは六月の後半だった。とにかく蒸し暑い夏の始まりだったのをよく覚えている。
「図書室暑いから、行きたくない」
「当番だから。行くしかないよ」
「壮馬はサボりの才能ナシだねー。」
「蓮人が不真面目なんだろ。新井さん先に行っちゃったよ」
「新井キレたらちょーダルいもんな…って壮馬が言ってた、って新井に言っとくわ。早く行こうぜ!」
「ちょっ…待って!」
走り出した蓮人を追いかけ、図書室まで久しぶりに全力疾走した。
到着する頃には僕の顔は真っ赤で、息切れまで起こしていた。対極的に蓮人は涼しい顔をしている。これがサッカー部と美術部の違いか、なんて考えながら仕事に取り掛かった。
うちの学校の図書室はかなり利用者が少なく、本のラインナップも正直魅力的とは言えない。小学校の図書室はどうだったかと蓮人に尋ねると、図書室行ったことない、という素っ気ないがしかし納得できる答えが返ってきた。
「鈴木君、錦木君連れてきてくれてほんとありがとう。毎回ごめんね」
「新井さんが謝ることじゃないって。それにほら、司書の先生怒らせたくないし。」
司書の先生も新井さんも、一度説教を始めたらネチネチとしつこいタイプだ。女子は、僕みたいな気の弱そうな男子に厳しい。
「提出は一週間後です。それと、本を一冊選んでもらいますが、漫画や絵本については却下します。君たち生徒の読書を促すための活動でもあるので。」
POPを書くというのは、学校における図書委員会の仕事の定番だと思う。自由に書きたいことを表現できるので僕は案外嫌いではなかったが、集められた図書委員の大半はいかにも憂鬱であるというような表情を浮かべている。蓮人も先程から、司書の先生は話が長いだの、昼休みは本当はサッカーをするつもりだっただの、ぶつぶつと呟いては僕に同意を求めてきていた。
「壮馬、これまじでだるい。代わりに書いて。」
「怒られたくないから、絶対嫌だ。」
「いいじゃん。お前美術部だし。絵上手いし。」
「そういうことじゃないから…」
皆が立ち上がって本を選び始める。
だいたい提出期限が、なんて文句を垂れつつ本を選ぶ蓮人がなんだか可愛く見えたのも束の間、その小さな体がだんだん漫画コーナーに吸い寄せられていることに気づいた。
「あんま絵ばっかりの本とか漫画とか選ぶなよ。」
「なんで?もしかしてお前これちゃんとした本で書く気なの?!」
信じられない、みたいな顔をする蓮人。こいつがまつもに人の話を聞いているわけなかったが、今回は僕も止めなかったので同罪だ。他人を注意できるほど強くないからそいつの分も聞いておいてやる、というのが僕のちょっとした美学みたいな、こだわりみたいなものだった。ふざけたやつに道連れにされてはいけないし、ふざけたやつを道連れにしてもいけない。
「漫画はダメらしいよ。」
「そんなこと言ってた?」
「きみが喋ってる間にね。僕も聞いてないと思ったろ。」
道連れにはされないよ、とふざけて言えば、なにそれ壮馬ちゃんおもしろーい、なんて適当な言葉で返された。
性懲りもなく絵本を物色していた蓮人が、カラフルな本を一冊手に取った。
「あ、これは?絵本みたいになってるけど、ちゃんと夏目漱石とか文豪?載ってるやつ」
純文学の短編とイラストを組み合わせたそのシリーズは、僕が二週間ほど前から目星をつけていたものだった。
「うーん…正直それ書きたかったんだけど、先生が絵本だって判断したらまた『さっきも言ったのに!』って言ってきそうじゃない?」
端的に言えば怒られることにびびっていたのだ。
蓮人は振り返ってこともなげに言った。
「無視してやればいいのに。」
道連れになんかされないんだろ。そう言ってにやりと笑ったその顔が、憎たらしいのに心の底から憎めなくて、眩しかった。
蓮人の住んでいた地域のネットニュースを見れば、死亡事故の記事は無情なほどあっけなく出てきた。
もう九月になるというのに暑くて仕方がない。
錦木蓮人、の名がどこにも見当たらないから、まだ大丈夫だと溶けそうな頭で考える。
仲間数人と並走中、原付に乗った少年は単独で転倒し死亡。ヘルメットは着用していた。
これが蓮人の記事じゃないならさっきのチャットはなんなんだ、と言う存外冷静な僕がいるのに気付いた。
単独で転倒し死亡、という文字がやけに濃くはっきりとして見える。
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