第49話:惡緣【参】

「アマネ。お前は、向き合わなかっただけだ」


 声はやや遠い。わずかに開いたドアの向こうからのようだ。

 間髪入れずに、ドアがひしゃげる音が続く。


「自分にとって都合の悪いものに、目をつむった。都合が良くなるように、暴力で従わせただけだ」


 クリアになった声。

 啓は目線だけでなんとか声のした方を見る。

 そこには、見覚えのあるシルエットが逆光に縁どられていた。


「――最初から、変わんねぇ」


 逆光に照らされた人影は、啓を掴んでいた無数の手を束ねる。


 どれほどの力が込められたのだろう。

 骨が砕かれる音が響き渡る。


 一気に解放された気道に、啓はヒュッと喉を鳴らす。

 数度せき込んだ後、がばりと上体を起こした。


 視線の先には、啓を見下ろす影。

 あの出会いの時は違う。

 啓はその名前を、声を、温かな瞳を知っていた。


 影は、不敵な笑みを浮かべながら口を開く。


「この良い女・・・が――谷縣たにがたけいだよ!」


 來良きらが啓の腰に手を回し、立ち上がらせる。

 啓がかすれた声で名前を呼ぶと、ふっと笑った。


「向き合わなければ、瓦解する。そう言ったろ」

「……來良さんは、予言者みたいですね」

「ま、お前よりも長く生きてるからな」


 來良はポケットから、流れるような動作でタバコを取りだした。

 いつの間に火をつけたのだろう、濃い煙の匂いが部屋に充満する。


「さぁ、かかってこい――とでも言いたいところだがな。お前らの相手はこいつらだ」


 あまねを真似するように、來良が指を鳴らす。

 それを合図に、多くの人影が部屋になだれ込んできた。


 啓は來良に引っ張られるように、部屋を出る。


「あれは――俺の友人のコピー。あまねは情が移るだろうと思ったんだろうが、所詮はコピーだ。そんなにお優しい・・・・人間じゃねぇもんでな。脳波をいじってオーバーヒートを起こさせて、殺戮人形に作り変えたのさ。途中で俺も襲われて散々だったがな」


 あまねは「友人のコピーが倒せないから、機械をいじった」と推理していた。


 しかし、実際は違ったらしい。

 來良は初めから、「友人のコピーを利用して、あまねを倒すつもりだった」のだ。


 あまりの冷淡さに、啓は笑いがこみあげてきた。


「なんと言うか……さすが、來良さんですね」

「馬鹿にされてる気がすんなぁ」

「アハハ、気のせいですよ」


 啓の笑い声が響く。

 つられるように來良も眉を下げて笑うと、手を差しだした。


「例の機械は、突き当たりの部屋だ。行こうか」


 啓はその手を取った。

 二人で頷き合うと、後ろで響く悲鳴をBGMに駆け出した。



 ◇   ◇   ◇



 啓と來良がやって来た部屋。

 そこはさっきあまねと対峙していた部屋と瓜二つだった。


 部屋の中央に置かれた機械が、筒状なのを除いて。


「これが……?」

「あぁ。俺たちが探していた『元の世界に帰る』ための機械だ」


 ずっと探していた機械は、何度も改造されたのだろう、色の違う機械が複数組み合わさってできていた。

 機械に付いている扉は開いていて、中は人ひとりが立ってギリギリ入れるような広さだった。


 來良は部屋の隅へ移動すると、紙束を持ってきた。


「これが前のバージョンの設計図だ。前のバージョンだとやっぱり、この世界のIF、つまり特異点イレギュラーを潰さねぇと帰れなかったらしい。ほんの数日前に、無理やりアップデートされたみてぇだ」

「もしかして、火傷を負ったシロと兄さんが入れ替わるために……」

「だろうな。――でも、ほとんどの特異点イレギュラーを潰したおかげで、移動量が減って、オイル消費が抑えられたみてぇだぜ」


 來良は設計図を見ながら、扉と反対側に回り込んで屈んだ。

 啓も追いかけると、そこには小さなタンクのようなものが付いていた。


「帰還にはかなりのオイルを使うらしい。残量的に一回は起動できるが、もう一回起動するには……給料一か月はかかりそうだ」


 來良は立ち上がると、啓を機械に押し込んだ。

 まるで自分は残る、というように。


「きっ、來良さん! 二人くらい、くっつけば入れそうですよ。それで一緒に――」


 何とか言いくるめようと、啓は早口でまくし立てた。

 しかし來良は、小さく笑うだけだった。


「随分と大胆なこと言うじゃねぇか。……でもダメだ。お前らしくないな、冷静になってみろ。脳波が混ざる危険性があるだろう。だから啓が先に帰れ」

「私は、來良さんと一緒に帰るって約束しました! 一人で逃げ帰るなんて――」

「お前と俺の帰る場所は一緒・・さ。逃げ帰るんじゃない。ただ少し、時間がずれるだけだ」


 來良は言葉を切ると、啓を強く抱きしめた。


「だから……帰りたくない、なんて言わないでくれ」


 その声は懇願するように震えていた。


「……すみません、でも私は――」

「啓、改めて約束しようか」


 笑いながら、來良はボタンを操作する。

 いつの間にか、口にはタバコがくわえられていた。


「お前が帰ってから一か月後。俺も必ず帰る。そん時は出迎えてくれよ」


 來良はふぅ、と煙を吐く。

 機械の中に慣れ親しんだ煙の匂いが充満する。


 胸が熱くなり、啓の視界がゆがんだ。


 どう言ったって、この男は考えを捻じ曲げないのだろう。

 啓は目元を拭うと、震える口を開いた。


「盛大に歓迎します、から……っ! 絶対にっ……帰ってきて、くださいよ……!」

「あぁ、必ず」


 來良は笑って、機械の扉を閉めた。

 機械の駆動音が大きくなる。


 少し経つと、啓の意識が体から離れていく。

 徐々に視界も暗く閉ざされていった。


 最後に瞼の裏に浮かんだのは――來良の笑顔だった。

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