第48話:惡緣【弐】

 あまねの胸から、真っ赤な液体があふれ出す。


 見覚えのある色。

 けいが元の世界で見た、自分の血と同じ色だった。


 啓はその色に染まった手を、ぐっと握った。


「俺は、いや――私は、たった今お前・・を見返した! これ以上縛られない!」


 啓の叫びが、部屋中にこだまする。

 あまねは目を見開きながら、数歩後ずさった。


 彼は受け身も取らぬまま、床へとくずおれる。

 声の残響に交じるように、どさりと音がした。


 無機質な床に、真っ赤な有機物が流れていく。

 赤と白。

 そのコントラストが、啓の目を焼いた。


 あまねは数度体を震わせた後、動かなくなる。

 同時にあまねのコピーたちも、一斉に動きを止めた。




 すべての残響が消え、静寂に包まれる。




「終わった、のか……」


 啓は大きく息を吐き出した。

 どうやらずっと息を詰めていたらしい。

 続いて息を吸うと、濃い鉄の匂いが鼻についた。


 改めて、倒れ込んだ兄を見る。

 血だまりに沈むその顔は、白く浮き上がっていた。


 その造りにわずかに自分の面影がある。啓は吐き気を覚えた。


「……っ、見てる場合じゃない。ここにいたら脳波をいじられる。早く出て、來良さんを助けに行かなきゃ――」


 自分を奮い立たせるようにつぶやくと、啓はドアの方へと体を向けた。


 その瞬間。

 あまねのコピーたちが、じろりと啓を捉えた。


「な、に……?」


 百の瞳に捉えられた啓は、思わず体が固まる。

 あまねのコピーたちは、それぞれのつがい・・・らしき啓のコピーをゆっくりと抱き寄せた。


 部屋中の口が、一斉に開いた。


「啓じゃない」

「――こんなの、僕の知ってる啓じゃない」

「啓じゃない」

「啓じゃない」

「違う」

「啓じゃない」

「エラーだ」

「啓じゃない」

「啓じゃ、ない!!!」


 目を見開いたあまねのコピーたちが、啓を取り囲む。

 無数の手が、啓に伸びてくる。


 ホラー映画さながらの光景。


 啓は冷静に、一番近づいていた腕に銃弾を撃ち込んだ。

 しかし彼らは、怯むことなく啓に近づく。


 数発撃ったところで、弾が切れる。


 ――このままじゃ、まずい。


 体が固まる。


 ――逃げろ、逃げろ!


 一瞬で最適解を見つけた啓は、わずかに開いたままのドアに向かって飛び上がる。

 しかし無数の手に足を掴まれ、床に叩きつけられた。


「っぐ!?」


 あまりの衝撃に、息が詰まる。


「お前は、啓じゃない」

「啓をどこにやった」

「お前は、誰だ」


 無数のあまね手は、床に倒れ込んだ啓の四肢を掴む。

 その手はやがて、首を捉えた。


 ぎちり、と指が食い込む音が鳴る。

 的確に気道を塞がれる。


 締め方がそっくりだ。

 本当に、兄のコピーなんだ。

 脳が再び、恐怖に支配される。


「っ……う゛……!」


 強い力で、床に押さえつけられる。

 身じろぎすらもできず、啓は苦しさで顔を歪めた。

 ぼんやりとする頭。遠くなる意識。




 ――もう、ダメだ。




 思考が、止まる。


 ここでも判断を間違えた。

 やっぱり自分は、一人じゃ弱い。


 一人じゃ、ダメだ。

 ――來良さんが、いてくれなきゃ――。


 暗くなる、視界。

 遠くなる、音。

 それを繋ぎとめるように響いたのは、聞きなじんだ低音だった。

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