第50話:共犯

 けいが目を覚ましたのは、知らない部屋のベッドの上。


 天井の模様や照明の形、あとは漂う花のような香り。

 ここは病院ではなく、私室のようだ。


 慌てて上体を起こすと、寝すぎた時のような気だるさが襲った。

 部屋をぐるりと見渡す。

 殺風景な部屋。

 ベッド脇に置かれたローテーブルで、スマートフォンが淡く光っていた。


 啓はよろよろと立ち上がり、スマートフォンを手に取る。

 検索画面を開き、震える指で「今日の元号」と打ち込んだ。


 検索画面には、『令和』と表示されていた。


「帰って、来ちゃった――」


 啓はスマートフォンを抱きしめた。


 ◇   ◇   ◇


 まずは情報収集からだ。

 落ち着いた啓は、近くのコンビニで買った甘いあんパンを食べながら、スマートフォンを叩き続けた。


 しばらくして。

 ふとした誤タップで、メモアプリが開いた。


 見覚えのないアプリ――のはずだが、一件だけ「新規メモ」というものがつくられていた。

 啓は首を傾げながら、中身を確認する。

 そこには、びっしりと文字が打ち込まれていた。


 ――それは、啓と入れ替わった「ひのえの少女」の日記だった。


 啓と入れ替わった数日後から、ひらがなでたどたどしく打ち込まれていた。


 入院しながら、入学手続きをしたこと。


 退院したあと、部屋にあった日記を読んでしまったこと。


 日記を読み終わったあと、衝動のまま両親を説得し、部屋を借りたこと。

 ――つまり啓が目覚めたこの部屋は、啓の新居らしい。


 兄のあまねは、事故に遭ったらしく昏倒しているということ。


 他を埋め尽くすのは、たわいもない日常。

 引っ越し業者のお兄さんが恰好良かったこと。

 初めて食べた菓子パンへの感動。

 テレビに驚きすぎて頭をぶつけた話――などなど。

 朗らかな文面からは、令和の生活を謳歌している様子が伝わってきた。


 そんな日記は、『あしたは、にゅうがくしき』の一文で結ばれていた。


 啓はゆっくりと立ち上がる。

 クローゼットを開くと、真新しいパンツスーツが掛かっていた。


 取り出そうとすると、クローゼット裏に付いていた鏡に自分の姿が映った。


 ――入院していたからだろうか。

 体は随分と細くなり、髪はわずかに伸びていた。


「あの時代の私と、そっくりだ……」


 啓は、ハンガーからスーツを取り、おずおずと袖を通す。

 着終わると、姿見に再び自分の姿を映した。


「これ……來良きらさんが用意してくれた……服みたい……」


 鏡に映るのは、いかにも初めてスーツを着た学生・・

 あの時の「ハハ、完全に着られてるな」という笑い声が、脳裏に浮かぶ。


「早く、一ヶ月後にならないかなぁ……」


 小さな呟きは、誰にも聞かれずに消えて行った。


 ◇   ◇   ◇


「新入生代表、谷縣たにがたけい

「はい」


 名前を呼ばれた啓は、しっかりとした足取りで壇上に登った。

 式辞を終え、再び席に戻る。

 それからの式やオリエンテーションは退屈で、啓の頭は來良で埋め尽くされていた。


 あと、一ヶ月。


 來良が帰ってくるまでに何をしよう。

 盛大に祝えるように、料理を勉強しようか。


 でも、來良の「体」がどこにあるのか分からない。

 実は留学中で、日本にいないという可能性だってなくはない。

 あの時代と見た目が似ていると言っていたから、少し探してみようか。


 見つけたら、一緒に料理をして、色んな話もしたい。家に呼んでもいいけれど――。


 思考の海を泳いでいると、すべての行事が終わり、いつの間にか両親と帰路についていた。

 両親は病院の前で、歩を止めた。


「啓。私たちはあまねの見舞いをして帰るわ」

「……分かりました」


 啓は会釈をすると、一人歩き始めた。

 突っ切って近道をしよう。そう思って駐車場を歩き、病院の裏口に回った時だった。


 嗅ぎなれた香りが、啓の鼻をくすぐった。


「え……?」


 啓は慌てて振り返る。

 そして匂いがキツくなる裏口に走り寄った。

 裏口の脇に、喫煙所があった。


 パーテーションに囲まれ、薄暗くなった場所。

 啓は恐る恐る、そこを覗いた。


 白く煙っている空間に、人影があった。

 検査着のような着流しを着ているが、筋骨隆々としたのが伝わるシルエット。

 やや伸びた髪は寝ぐせだろうか、全体的に左に流れている。

 そして武骨な手には――見慣れた、白いタバコ。


「來良、さん……?」

「……っ!」


 タバコをくわえなおした患者は、驚いて肩を跳ねさせた。


「い、いや、先生、タバコ吸ってたほうが落ち着い、て……」


 患者はゆっくりと、啓の方を振り向く。

 朽葉色の目が、啓を捉えた。


 次の瞬間。

 患者は大きく目を見開く。

 慌てたのか、口にくわえていたタバコを落とした。


 煙が尾を引いて、宙に散っていく。


 啓はふふ、と笑いながら、もう一度口を開いた。


「……來良さん……ですよね」

「まったく、恰好悪いところ見られちまったな」


 來良は頭を掻いて、深く息を吐く。

 ふわりと、タバコの匂いが啓の鼻を掠めた。


 そしておもむろに、検査着の袖から小さな箱を取り出した。

 角をトントンと叩くと、白い紙タバコが二本飛び出す。

 一本は來良の口に、もう一本は啓に差し出された。


「これが燃えるまで、話し相手になってくれないか?」

「十八なので、吸えません」


 啓が呟いたその言葉に、來良は小さく噴き出した。


「ふっ、そうだったな。でも……病人の喫煙を止めないお前も――共犯だ」


 來良はにやり、と笑みを浮かべる。

 その瞬間、啓の視界がゆがむ。

 ぼろぼろと涙が頬を伝っていく。


「きら、ざんっ……」

「おうおう、泣きすぎだ」


 歩み寄った來良の腕が、啓の背に回る。

 温かな胸の中で、啓は嗚咽を漏らすのだった。


 ◇   ◇   ◇


 喫煙所で話していた二人。

 しかし結局担当医にバレてしまい、病室に連れ戻された來良。脱走防止もかねて、栄養のある液体を点滴されていた。


 殺風景な個室。

 その中央にあるベッドに來良が、啓はその横の椅子に腰かけていた。


「――どうして? 一ヶ月後って言ってたじゃないですか」

「あぁ。俺も一ヶ月後に帰るつもりだったんだがな。あの日、色々起きたんだよ」


 ふぅ、と息を吐くと、來良は再び口を開いた。


「お前の兄が逃げのびて、旧バージョンの機械で帰ろうとしたらしい。その結果、『ホンモノの』黑居くろい誠士郎せいしろうは帰ってきたが、本人は――こっちに戻れなかったみたいだな」


 來良が壁を指さした。

 ふと耳を澄ますと、隣の部屋から、すすり泣く声や怒鳴り声が聞こえてきた。

 それは啓にとって聞き覚えのある声。


 ――父と母の声だ。


「タバコを吸いにこっそり抜け出したら、隣の部屋に見覚えのある奴が寝てて本当にビックリした。病室の名前見たら、『タニガタ アマネ』。驚いて声出しちまったもんだから、看護師に脱走がバレて散々だったな」


 來良はきまりが悪そうに頭を掻く。

 啓もふふ、と小さく笑った。


「シロも帰れたなら、良かったです」

「そうだな。……あと、お前が帰った後。お前と入れ替わりで、『中身』が帰ってきたんだ。そいつがそりゃもう……手に余るくらいのおてんば娘でな」


 啓はふと、日記の文面を思い出した。

 たしかにそうかも、となんとなく納得していた。


「そいつと黑居が、とんでもなかったんだ」


 一度言葉を切ると、來良は真剣な顔をした。


「たった半日で、身分制度を壊しやがった」

「さすがに、そんなこと……」

「やりやがったんだよ。俺の作った『偽造書類』を使ってな」


 ――紙でやり取りされる身分制度は、コネがあれば偽造ができる。


 つまり何の価値もない・・・・・・・

 それを自らをもって証明したらしい。


「あの時代の人間の根性というか、この時代にはない執念みたいなのを感じたぜ。こうおつひのえ。それぞれが多く集まる広場に移動しては、書類を見せながら話したんだよ」


 遠い目をしながら、來良は話し続ける。


「――そしたら当然、『こう』の価値が一気に落ちる。その結果、官廳館かんちょうかんが取り囲まれる。火を付けるなんて脅しもあったみたいでな。結局どうしようもできず、身分制度の撤廃が宣言されたってわけだ」

「ちなみに、その事件も――」

「あぁ、もちろん。緘口かんこう令が敷かれて、あの時代には『身分なんてなかった』。そんな形で収まったさ」


 來良は笑いながら、院内の本屋で買ったのであろう、歴史の本を掲げた。


「これでほぼ、史実通りになった。おかげで、わずかに残ってた燃料で帰れたんだよ」


 なるほど、と声を漏らしながら啓は頷いた。

 そしてスマートフォンを一瞥した後、啓は來良を見た。


「お――私も、彼女に助けられました。彼女が両親を説得してくれたおかげで、一人暮らしを始められて。日記も付けてくれていたので、入学式も無事に行けたんです」

「あぁ、だからスーツなのか」


 ふっ、と声を漏らして、來良が笑う。


「やっぱり、完全に着られてるな」

「もう……」


 冷たい病室に、來良の笑い声が響く。啓は耳に熱が集まるのを感じながら、その声を聞いていた。


 少しして、部屋を静寂が包む。

 それを破ったのは、來良の優しい声だった。


「なぁ、啓」

「はい」


 改まったような口調に、思わず啓の背筋が伸びた。


「退院したら――ホットケーキでも焼いてやる」


 來良はふっと笑みを浮かべながら、点滴のチューブが繋がれた手を伸ばした。

 そのやや痩せた手は、啓の頭を数度撫でる。


 啓は思わず頬が上がるのを感じながら、まっすぐに來良の目を見据えた。


「男に二言はない――ですよね?」

「あぁ、もちろん。約束しよう」

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