第45話:絡繰【肆】

 丹羽にわと呼ばれた黒ずくめの男。


 光のない目が、來良きらを捉える。

 ゆらりと來良の前に立ちはだかった。


「その男は、死体が綺麗に残っていてね。脳波を入れたら動いたから、使ってるんだよ。有効活用ってやつかな」


 あまねの言葉を無視するように、來良は床を勢いよく蹴った。

 丹羽にわに向かって、銃を向ける。


 ――しかしトリガーを引けなかったのだろう。

 丹羽にわの手が銃を弾き飛ばした。


「……クソ!」


 來良は大声で悪態をつくと、飛びのくように距離を取る。

 近くに落ちていた銃に手を伸ばした――その時、けいの後ろから手が伸びてきた。


「よそ見はダメだよ、啓」


 ――いつの間に、背後を取られた。


 慌てて振り返ると、あまねが視界いっぱいに映る。

 あまねは啓の顎に手をかけた。


「僕だけ見ていてよ」

「……触らないで」

「啓。僕がいつ、そんな口を利いて良いと言った? なぁ!」


 パン、と乾いた音が響く。

 頬にじわりと集まる熱で、啓は頬を叩かれたのだと後から理解した。


 ――失言だった。

 もしくは、悪手だったか。

 啓は判断を間違えたと、強く唇を噛み締めた。


「ぶってもわからないのか?」

「ごめん、なさい」


 冷たい瞳。

 圧倒的な威圧感。

 体が動かない。


 來良が隣にいないだけで、これほどまでに身がすくんでしまう。


 ――この時代に来て、強くなったと思っていた。

 ――いや、実際に肉弾戦には強くなったと思う。


 でも、心は。

 ひとりだと、未熟なままだ。


 啓は迷いながらも、言う通りにあまねを見つめた。

 無意識に兄の言葉に従ってしまう自分に、嫌悪感を覚えながら。


「ついてきなさい」


 先を歩く背に、啓も続く。

 啓は重たい足を引きずりながら、來良から離れて行った。


 ◇   ◇   ◇


 しばらく歩き、來良の戦う音が遠く聞こえなくなった頃。


 ふとあまねが立ち止まる。

 啓も倣って、足を止めた。


「啓、やっと二人で話ができるね」


 ゆっくりと振り返るあまね

 その顔には、うっそりとした笑みが浮かんでいた。


 啓は眉根を寄せながら、口を開いた。


「兄さん、まずは聞かせて。本当は……俺たちのこと、泳がせていたんだろ」

「泳がせる?」

「俺らが事件を起こすのを見て、楽しんでたんだろ!」


 静寂に、啓の荒らげた声が響き渡る。

 あまねはため息をつくと、口の端を上げた。


「僕は別に、楽しんでたわけではないよ。吉良・・くんに事件を起こしてもらって、吉良・・くんに反感を持つ人を作る。――彼らを集めて、組織を作り、機械をより良いものにしていっただけだ」

「……利用したってことか」

「聞こえは悪いけど、結果としてはそうなるのかな?」


 肩を揺らしてあまねは笑う。

 啓に歩み寄り、愛おしそうに目を細めた。


「でもまさか、啓がこんなに早く来てくれるとはね。計画では、完璧な世界を作ってから、啓をこっちに来させるつもりだったのに」

「完璧な世界――だって?」

「そう、完璧な世界。僕が啓のすべてを管理できる・・・・・・・・・・・完璧な世界。それを作るために、吉良・・くんを含む『学内で優秀な人たち』をこっちに送ったんだ」


 あまねの冷たい手が、啓の頬に触れた。


「前の世界の悪いところを教えてあげよう」


 あまねの瞳が、さらに細められる。


「一つ目。権力が分散してること。前の世界は、一人で革命なんて起こせなかった。でもここでは、こうやって仲間を集めるだけで、くにの軌道も変えられる。つまり、啓が幸せになれる世界を作れる。こんなこと、前の世界じゃできなかったよ」


 啓の頬を、あまねの指が滑っていく。


「悪いところ、二つ目。――啓の回りに、害が多すぎる。前の世界には、ヒステリックな親、僕の存在に囚われて啓を見ない先生、啓に対して冷たく当たるクラスメイト――他にもキリがない。……でもこの世界はどう? 害を及ぼす人間はほとんど・・・・いない」

「ほとんど、って――」


 あまねは頷き、花が咲くように笑った。


「あと一人。吉良・・くんを除けば、完璧な世界の誕生さ」


 啓は怒りのまま、きつく拳を握る。

 あまねの瞳――自分と同じ紫色のそれを、まっすぐに見た。


「兄さんが、ここを良い世界だと思ってるのは分かった。でも――この時代の人の命と……來良さんの命を何だと思ってる!」


 ふ、とあまねは声を漏らして笑った。


「何とも。簡単に言うなら『興味がない』。僕と啓が二人で幸せになれるなら、それ以外はどうだっていいのさ」


 啓の顔から、指が離れていく。

 あまねはその指を、自分の顎に添えた。

 目を伏せた後、「あぁ」と声を漏らした。


「……興味はないけど、退屈しのぎにはなる――かな。『トップ』の存在を知って、何人かがコンタクトを取ってきた。ある奴は目立ちたいと言っていたから、気まぐれに爆弾の作り方が映る映画フィルムを送ったな」


 啓は驚きで体が固まってしまう。


 目立ちたい。爆弾の作り方。フィルム。

 そんなことを言っていた、子供に――覚えがある。


 啓はぎり、と歯ぎしりした。


「……その子供が、どうなったと思ってる!」

「すごいね、啓はその子にも会ったのかい! あぁ、運命ってやつかな」

「話を聞け!」

「はぁ、まったく。啓は随分とせっかちになったね。――まるで吉良・・くんみたいじゃないか」


 あまねは、肩を落としてため息をついた。


「その子がどうなったかって? 拷問送りじゃない――でしょ?」


 笑みを浮かべたあまねが、首を傾けた。


「そうじゃなきゃ、森に死体が埋まっている・・・・・・・・・・・はずがない」


 あまねが再び指を鳴らす。


 そこから現れたのは、小さい影。

 その手にはぬいぐるみと、短いナイフ。


 ――啓の脳裏に、フラッシュバックする。

 ――來良と初めて任務に行ったあの日。

 ――孤児院の廊下を曲がった時に現れた、の、再現コピーだった。


「――友太ゆうた、くん」

「ああ、嘆かわしい。彼の名前も覚えてしまったんだね。大丈夫――啓の頭に記憶される名前は、僕だけでいい」


 ナイフを握る小さい影は、虚ろな表情を浮かべていた。

 一度も啓を見ることはなく、襲ってくる気配もない。


 代わりに――自分の細い首にナイフを向けた。

 躊躇ためらうことなく、刃はどんどん近づいていく。


 ついに薄い肌がぷつりと切れ、傷の間から真っ赤な血がとろりとあふれ出す。


「何、を……」

「さあ、啓――目の前の人間を殺せ。この子供は百回殺さないと、死ねない傷をつけ続け、永遠に苦しみ続ける」

「なっ……」

「この子供を殺せ。名前を呼ぶのも嫌になるほど。思い出すのがつらくなるほど。何度も――殺せ!」


 啓の腰にあるホルスターに重みがかかる。

 慌ててその先を見ると、あまねが啓のホルスターの蓋を開けていた。


 実弾入りの銃が取り出される。


「さぁ握って。彼の『脳波』は、永遠に苦しみ続けるようにプログラムされているんだ。それを救えるのは、啓。君だけなんだよ」


 優しくさとすような声音。

 それとは裏腹にあまねの手が、啓の手を力強く覆う。


 握らされた、銃。


 間髪入れずに、セーフティーが解除される音が響く。


 啓の手は、震えたまま。

 何の覚悟もないまま。


 ――銃口が、友太の方を向いた。

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